網創漠蓄

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京都神明流の伝承形式など

2009-07-03 18:39:46 | UQ HOLDER!
第256時間より武術の伝承についてもう少し詳しく。



武術に限らず、伝承形式には「完全相伝」と「一子相伝」があります。
刹那によると、「宗家ゆかりの」という言葉が出てくるところから、
どうも元は青山宗家による一子相伝だったような感じです。
それがどうやら「ゆかりの」ある者にも伝えるようになった感じです。

「魔法」の類の存在なしにはありえない技でもあるため、
やはりこれも「魔法の秘密」を守るためのシステムという側面がありそうですが、
西洋魔法の影響もあっての変化かもしれません。
実際、「ラブひな」の素子等は魔法の存在を知っていたのではなさそうですし。



また刹那の場合には、小学時代以降は「宗家」のある京都から離れており、
その後は刀子などに教わったようです。その
刀子が「弐の太刀」等の「奥伝」を伝授されていなかっただけか、
或いは「まだ早い」と判断していただけのような感じもあります。

武術の場合には「完全相伝」といえども
子供のうちに「一定力量」に達することはほぼありえないため、
実は中卒か高卒時点で伝承を検討するとかいうこともありそうです。



ちなみに「問派」というものが明確に出来たのは、日本では室町時代以降。
神明流はそれ以前からの流れを受け継いでいるようですが、
鬼達の「平安の昔と違って~」発言からすると、
かなり後世に開発された武術のようです。

恐らくは「気」や「陰陽術」などを武門が取り入れた後に、
青山宗家の祖が「弐の太刀」等を開発したことにより、
他の武門に対する競争優位を確保したのではないか、と。
柳生新陰流における無刀取りのように・・・