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網創漠蓄

網(ネット)上で、創作物などを、漠然と、蓄えていこうとするページです。

漏れ出た放射性物質について

2011-03-20 12:12:12 | 社会・地理・歴史

福島原発から漏れ出した放射性物質、その影響について


事故により本当は何が起きたのか、ということに関しては現時点では

MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説

↑から「辿れる情報」がもっとも信頼性は高いと判断されます。訂正され続けているし。
そのためこれを読みこなす力のある人はそちらを読んだ方がよいと思われるし、
おおよそ13日時点での当方の見解を訂正する必要もなさそうです。

福島原発の放射能を理解する追加・pdfの見やすい解説

それくらい、チェルノブイリ原発事故には遠く及ばない規模の事故ではあるし、
(未だに放射能による死者がいないことからも)住民や東電作業員の退避も
「健康に被害を及ぼしかねない」という比較的悠長な理由で行われている状況です。
スリーマイルと比べれば、それが4機だし、人里近くなので重篤な事故ですが。

放射線の検出は各地で相次ぎ、それは一体どれだけの影響を及ぼすのか、というと
これは確かに本当に限定的です。何故ならば現在観測される放射能は大部分が
半減期が「日」から「時間」単位の放射性物質に由来するためです。そのような
放射線量が福島県内ですら「基準を超える」という程度に収まっているので。

放射性物質の放つ放射線量は半減期に、ほぼ反比例します。
「減る」ときに放射線を出す形になるので。原子炉での核分裂により生成されるのは
さまざまな種類の物質がありますが、現在特に放射能を出しているのは、
収率の関係から同じヨウ素でも131(半減期8日)よりも135(半減期6時間)。
セシウムの方も137(30年)より136(13日)が強く、こちらは133(安定)も大量なので。

原爆が広島に投下された時、大量の放射性物質がばらまかれましたが、
その放射線量は思いのほか急速に減衰したという事実もあります。
今回放出された量はそれよりははるかに少なく、中国での核実験で届いたもの
(日本では)と比べてすら、まさしく「微量」ではあるのです。

あのチェルノブイリですら流出した放射性物質は、狭い範囲に集中しているため
大問題となってはいますが、20世紀に数々実行された核実験と比べれば
ほんの微々たる量に過ぎないのです。一般に流布されているイメージと違って。

そう、地球環境は今回の災害をも吸収できます。その後に起きることも、今のところは。
放射性元素の大部分をなす重金属とて、いつかは無害化されます。水俣病等のように。
大事なことは正しく多角的に理解し、必要以上に恐れないこと。
現状では花粉と同様の対策も有効です。似たような大きさのエアロゾルになるので。


輪番停電を巡って

2011-03-15 19:37:24 | 社会・地理・歴史

いよいよ計画停電が始まったようです。
政府側が東電の対応にも苛立ちを見せていますが・・・



東京電力
はなんだかんだ言って一民間企業。また問題となった原発のある福島県は
他社である東北電力の管轄内にあります。通信がダウンした状態に於いて
東京電力が状況を把握することは困難を極めたと思われます。

そしてこのような有事の際の連絡・指令系統は・・・確立されていなかったんだろうな。
個人情報保護法など企業による情報収集を制限する法規も多々ある中、
監視の不完全になった、作業員の置けない場所の状態の確認に手間取り
外部の情報を頼らねばならぬ状態になったところで不思議ではないわけで・・・



2006年の首都圏大規模停電
に見られるように、電力供給網は意外なほど複雑に
張り巡らされており、また電源管理も変電所単位でしか行えず、ライフラインは
鉄道用電力システム病院の自家発電などもあり電力会社の管轄外。

輪番停電にあたり電力会社からの事前情報が弱いのは世界的な事象。
基本的に「電力の安定供給」のための技師の集団であり、情報提供など
行政色の強い事柄は政府や自治体・マスコミに従属的になりがちです。

(個人的に経験がありますが、緊急対応をしているときにそれをしながら
情報提供をするのは至難の業です。優先度は「システムの制御が第一」になり
それに対して全身全霊を振り向けながら、になるので。そのようなときには
外部の方に現場に立ち入ってもらって情報を拾ってもら得たことはありましたが…)



病院
受ける影響は、自家発電設備如何により病院ごとに異なり、個々の病院に
問い合わせるのが一番でしょう。相手の病院にその余裕があるかどうかはともかく。
個人経営からあるたくさんの病院の情報を取りまとめるには、
その管轄部署たる厚生労働省以外の主導によっては不可能かもしれません。

交通機関の運行情報は幸い民間提供の交通情報が整備されていますが鉄道も
道路も取りまとめてとなると、双方を監督する国土交通省の仕事かもしれません。

よって厚生労働大臣や国土交通大臣などを取りまとめる立場の人が指示し、
そうして収集した情報に基づいて東京電力に行政命令を出すことができれば、
首相や官房長官などももっと働きやすくなるでしょう。


災害ボランティアを検討する方に

2011-03-14 20:17:23 | 社会・地理・歴史

地震発生から72時間が経ちボランティアの活躍できるタイミングに入ります。



当方、阪神大震災当時は関東在住でしたが、被災地に比較的近い処に住んでおり、
震災経験者の話を聞くことも多くなります。ボランティアに関しては、残念ながら
それが人災と化す場面も多々ある様子。特にインフラが壊滅した場所では。

諸外国でこのような時になぜ軍隊が動くのか、それは軍の目的は本来、生存だから。
第一、インフラの壊滅したところや初めからないところでも活動しなくてはいけないから。
警察消防とて歴史的には軍隊より分化して成立した組織ですし。



避難訓練
とて、軍事教練の性質を持っています。何故ならば、集団で生き残るための
行動の実習ですから。上(国や自治体)からの避難指示で一斉に行動します。
地域全体における緊急活動時に、不案内な「よそ者」ができることは極めて限られます。

それは生存者の救援活動の只中となる「72時間後まで」でも同じ。
二次災害の危険すらある状況に乗り込むためには、相応の「備え」が必要です。
交通手段すらもどこまで使用可能なのかという状態では、現地に入ることすらも。



新潟県中越地震
の時の前例を挙げての解説が紹介されていました。

“被災外”支援者マニュアル(mixiよりの転載)

支援活動を行うにあたり大事なのは、被災者の方々が何を求めて、
それに対して何をどのようにできるか、ということである。
行ったことは最悪の場合、助けを求める人の負担にすらなる。

災害ボランティアに駆けつけようとする場合でも同様。貴方がそこに行くことで
少なくとも、その場に人間が一人増えることになる。特に食糧は現地で当面不足する
すべて持ち込み+避難所に置いていく分の保存食くらいでちょうどいい位。
そしてこれほどの規模の災害だからこそ、遺体を取り扱う覚悟を・・・


原子力行政に関連して

2011-03-13 14:29:50 | 社会・地理・歴史

福島原発の事態がひとまず落ち着いたことを受けて



福島第一原発の爆発事故は結局、海水注入により安定化
恒久的な発電力不足を招くことと引き換えに、最悪の事態を防止しました。
どうやらIAEAからは比較的肯定的な評価をされているようです。

これに関して
原発で爆発…情報二転三転、対処に戸惑う住民という記事を見て思ったことを。
流言飛語」の発生条件を見る限り、原子炉の状態に関する正確な状況が
回線の寸断などによって把握困難になったことが原因だよなと。



現状では細かいところは推測するしかないが、安全装置に関しては
監視装置や非常用電源なども含めた配線が寸断されたっぽい感じ。
ただし炉内の最低限の安全対策は働いたため破局には至らずに済んだ感じ。

政府による対応の揺らぎも「数時間」の範囲であり、少しずつ把握できた状況に対する
最善手が切り替わる(この場合は避難の方向)ことにより起きた感じ。その際に
「懸念された水蒸気爆発ではない」→「懸念された爆発ではない」
→「爆発は起きていない」という感じの伝言ゲームも起きたのではないかと。



この「逃げるべき方向」は津波のように「逃げるべき方向」が一定になる場合は
最大限の可能性を示す「だけ」でよいが、そうでない場合には集団思考として
対応の最小化を計ろうとしたりその逆になったり、ということになりやすい。

このような短時間での政府の右往左往すら避けるには、連絡体制の強化、
更なる多重化などもさることながら決定の迅速化も図らなければいけない。
そのためにはトップダウン体制の強化が確実である。
この、民主主義をはじめとしたボトムダウン礼賛の時代において。

実際日本でも、強い政治的指導力を求める論がマスコミからもたびたび出るなど、
独裁体制を羨望するような傾向があるのも確かです。中国相手にとか。
結局戦前の無責任体制の反省が十分にできていない、ということになるのかも。


タイガーマスク運動について

2011-01-16 13:52:46 | 社会・地理・歴史
話題が広がる、いわゆる「タイガーマスク運動」。



云わば匿名の慈善活動であり、素直に称賛できる…かというと、そうでもない。
特に「思惑が分からない」という声は活動を訝しむ面からではなく、
実際に寄付先となる施設の関係者から聞くこともある。

なにしろそのようなところが望むのは、もちろん一時的な支援も有難くもあるが
むしろ「継続的な支援」こそを必要としているから。また施設の実情を理解せずに
取り扱いに困るものが送られてくる場合もまたあるからだ。



ランドセルの改訂の必要による在庫処理説やパチンコ台の宣伝説は無視しても
寄付を受ける側の態度として、あるいはそこで預かって育てている子供に対する
教育方針として、どういう形で受け止めればいいのか迷うこともあるし。

また拾得物としてトラブルを招きかねないこともあるようだが、
はっきりと実名で支援の意思を伝えられた場合には税制上などの優遇もあり、
なにより届いた物の扱いをはっきりさせることや直接お礼を言うこともできるわけで。



もちろん施設の性質などによってはランドセルなどをそもそも必要としなかったり
必要量を別口で受け取っていたりする場合もあり、そういう場合には
「せっかくの善意を無にできない」と職員が苦心することも多々あるわけだし。

なによりこのような施設が恐れることは「来ていた支援が途切れること」。
「活動の継続」という意識が強い施設ほど、一時的な支援に戸惑うことも多くなります。
もちろんブームに乗る方が気軽に参加できることも理解はしますが
一度近所の施設を調べてみることから始めてみては、と。

かくいう私はどうなのか?というと、児童関係には現状関わってはいません。
支援が必要なのはそういう児童だけではないし、一人が支援できる範囲も
そう大きくはないので、まずは関心を持った方面から・・・

デモ行為について

2010-10-24 12:57:12 | 社会・地理・歴史
反中デモに関する記事を読んでみたのがきっかけでまとめておきたくなったことを。
相変わらずこの手の話では論理がおかしくなるところがありますが、わざとです。



デモ活動は「示威行進」とも訳されるように、意思や主張を他に示す行為。
一箇所に集団で活動する点では暴動と同じで、実際同一視する国もあります。
また集団心理等の条件により暴動化する可能性もある形態の活動ではあり、
日本でも安保闘争のように暴動に至った例もありました。

また諸外国においても( googleニュースによる検索結果より)
イタリアインドネシアフランス等でデモ行為相手に武装警官が投入されており、
デモ「鎮圧」に軍隊が投入されるケースまでさまざまで、
独裁国家においては「武装蜂起」の前段としてとられる要素もあります。


(1918年米騒動で焼き払われた鈴木商店)

ただし日本の場合、略奪行為が少ないなど暴動事件自体の強度も弱い傾向があり
実際、このレポートでも「袋叩きにしようとしている」など、
暴力に縁のある行動」に留まる傾向は江戸時代から見られます。

ただしそれでも独裁国家との連携強化の必要性が強調されるなどすると
友好国の反発をも招きかねない行為として「国益に反する行為」と扱われ
政府などに抑制されることもままあります。知識人等からの批判に晒されることも。
現在は「どの国益を重視するか」で延々と水掛け論が繰り返されている状態。
現在のような経済・国家総動員体制では交易が強調されやすい傾向はあります。



同調傾向が強い日本人の国民性から、論理より感情を優先する傾向があり、
同じ日本人として」という気持ちからか、集団相手に差し挟む異論
論理力が十分でない傾向も見られます。それは
場の空気を読むことを強いる傾向の強さ、リスキーシフトの起りしやすさでもあります。

そういう社会で徒党を嫌悪する感情もまた自然なものではあり、
「~が国益になると考える」行為も同様に警戒されるべき要素も備えています。
民主主義への不信感強力な指導者を求める心理とも同一ですが。

まあ、相手を怪しげな思想集団と思うなら、
そのような集団相手の手法をもって対抗すべきところではないかと。
相手と同レベルの言葉の応酬をこそ楽しみたい人に対しては迷惑な勧めですが。

大日本帝国の二次大戦その3

2010-08-15 12:00:00 | 社会・地理・歴史
やはり終戦記念日なのでこんな記事を。

その2はこちら

戦争責任

毎年この時期になるとよく出てくるこの言葉。
所謂日本が戦争責任を未だとれていない、というもの。

実際罪に対する裁きとは、裁く者と処罰を実行する者がいて初めて成り立つもの。
このことに関してそれは事実上、当初は連合国(アメリカ)だった。
戦後は主に中国韓国などがそれぞれの主観によって「裁き」、
日本自身による実行を迫る構図になる。

天皇



戦争時の日本のトップ、昭和天皇に戦争責任があるのかどうか・・・
実はこの問い自体が論議をややこしくさせている。
問題になるのは「どれだけあって」「どうとらねばならないか」である。

なにしろヒトラームッソリーニのように自明な独裁者であったわけでもなく、
かなりの部分当時の総理大臣が担っていたわけだし。
少なくとも、GHQから「処罰は望ましくない」と判断されるくらいには。

また占領下の行幸の様子を見る限りにおいても
戦後廃されたイタリア王国と違い、多数世論は「存続」だったと判断できます。
そしてその後に「天皇」としての資質が問われる事態が起きなかったことで、
これ以上「裁かれる」可能性は永遠に失われることになります。

もちろんジンギスカンなどにも見られるように
その評価は政治的立場、つまり「裁く立場」に依存します。
そして「王朝」が現在まで続いている以上、対立の火種にもなるという
だけではあります。丁度ローマ法王がおかれた立場のように。
そしてそのことが廃止される理由としては決して用いられないことも。

謝罪



毎年繰り返される日本の戦争謝罪
実際↑にリンクを張った記事にもあるように「国として正式に謝罪する国家は稀」であり
現状が十分か不十分かを判断できるような「諸外国の事例」は皆無で、
論理ならざる感情の問題として水かけ論が繰り返されるしかないのも宿命ではある。

なのでとりあえずは、おもに謝罪を求める中韓の事例を探った限りでは
もっとも参考になりそうなのは丙子胡乱が最も近そうではある。
つまり、誰にもわかるくらいの屈辱を感じさせるくらいの「謝罪」のパフォーマンスと
「誠意」としての毎年の朝貢。国庫を傾けるに十分な位の。

そしてこれが実際に強制されて屈服、謝罪すること以外には
歴史的に実例が見られず、やったとすればそれはそれで
それがまた歴史的遺恨をそのまま作っているわけです。
つまり、本質的に「遺恨の解消」に至る手段にはなりえません。

結局のところ相手が謝罪を重視しなくてすむ社会的状況になるのを待つか、
自身が明確に「ここまで」という線を引くしかないでしょう。
つまりは未知の打開策が示されるまでは毎年の予定調和であるしかないということに。
そしてその状況が変われば再び蒸し返されるのも必然ではある、と。

懸念



日本の「周辺諸国」が現在の日本に抱く懸念とは何か?
それは当然、「また攻め込んでくるかもしれない」ことではある。

よく比較されるドイツやイタリアと違い、
これさえ排除したからというようなわかりやすい個人も団体もなく、
そのために「十分な断罪(処刑)がなされなかった」ため、
またなぜ攻め込んできてなぜ今その理由がないのかが不明確になるため。

そしてその説明は・・・右翼左翼だのに分かれて統一見解ができていない以上、
できるわけがなく必然的に懸念も去らないことになる。
そしてそのことを以てやはり「戦争責任認識が不充分」ということになるわけである。
「集団責任は無責任」ともいうように。

もちろんそれは、あまり論議されることもない「自国を敗戦に導いた責任」をも
問わなければならない・・・もちろん戦争に至ったというところまでを含めて。
あるいは惨劇を拡大させた兵站の欠如なども。

多分続きます

書籍に対する偏愛について

2010-01-18 18:53:55 | 社会・地理・歴史
川俣晶さんの「ダイレクト系」の記事を読んで、
これが一番「今の」日本からは遠いだろうというものが、



この「書籍への偏愛」。
いや、正確に言えば恐らく「実体本」への偏愛である。
日本においてはかなり昔から、書籍がそれほど貴重ではないという理由で。

知の基盤言語ではラテン語に対する漢文、(今は英語?)
海賊に対しては倭寇など水軍、(ソマリアのは置いておいて)
ギルドに対してはから株仲間、さらには組合と、
ほぼ似たものがかつて日本にはあったが、書籍が貴重であった時代というのは
それらよりは遥かに遠い昔のことになるからである。



書籍は古来より基本的に、あるいは類するものに書かれる。
紙の発明が中国でなされたこともあり、日本に伝わったのは比較的早く、
普及率もかなりのものになっていた。それこそ、ちり紙を作るくらいに。

また出版の方も古来は写本によってまかなわれていた中で
印刷の普及も早く、また識字率も古くから高くその分
本を作れる人自体も今やコミケなどに見られるように相当数である。



人間が感じる価値は希少性によっても決まるものであり、
現代日本では書籍の価値はたいしたものでもないのだ。むしろ江戸時代からかも。
貴重な本というものもあるが、大抵はコピーや現代語訳があるし。

人が愚かであるほど、政府にとっては御しやすい。」という言葉もあるように
儒教圏などでは「庶民まで教育を受けたら、農民も労働者も文字が読めるようになり、
「斯文掃地」(文化が地に捨てて掃いたものとなろう)」といわれてきたが
(キリスト教圏などでも似たようなことは言われていたらしいが)
日本はまさしくそれを古来よりやってしまっている国なのだ。

大日本帝国の二次大戦その2

2009-08-15 23:23:17 | 社会・地理・歴史
終戦記念日ということでたまにはこんな記事をまた書いてみます。

その1はこちら

正義と過ち

漫画・「魔法先生ネギま!」に絡めて書いている戦争の仕組みですが、
実はその3だけは用いている絵以外は内容に絡んでなかったりします。
そしてその中で「戦争の起きる理由」の一つに「正義」を挙げています。

実際、「正義」は争い・戦い・・・そしてもちろん戦争に結びつきやすく、
(特にWikipediaの「正義」の項目に書かれたうちの「匡正的正義」は)
起こす人が「正義」を掲げていない戦争は、特に近現代に至ると、非常に稀です。
なぜならば正義や道理とはあるべき・すべきことを定め、それゆえにその逆、
・・・あってはならない、排除すべきものをも定めるから。

配分的正義



配分的正義とは、各人が何らかの事物に対する自己の相応しさに応じて
それを比例的に持つことを目標とする、とある。
ここで問題は、「自己の相応しさ」をどう捉えるか、何を「比例的に持つ」か、
である。大抵その辺りが争いの火種になる。

そして国際関係の場合、「各人」ではなく「各国」について論じられることになる。
強国・大国と呼ばれるような国は、自らが正義と思うものを他国にも要求し、
またはその大きさゆえの相応の「尊重」を求め、
それ以外の国はそれらを「不正義の圧迫」と感じることになります。
そう、現代においてアメリカが「世界の警察官」を自認し、
そんなアメリカが「悪の帝国」とも呼ばれているように・・・

そして国際的正義を「実行する手段」とは、やはり強制
「間接的強制」である国際条約と、「直接的強制」である軍事力行使・・・
が主たるものでした。もちろん「経済制裁・経済封鎖」という手もありましたが、
これは「直接に近い間接」である点に注意を。

匡正的正義



それは「一旦破壊されたあるべき状態を回復すること」。
それはもちろん今現在の状況の否定、を実行しようとすることです。そして
この「あるべき状態」は、実際に嘗てあったものとかけ離れているかも知れず。

戦前の日本が定めた「あるべき状態」とは、「植民地ではないアジア諸国」、
・・・むしろ、勢力圏が欧米列強に囲まれていない状態である。
「西洋人」の区別がなかなか付かないのは昔からだし、
特に米英をその代表格(というかその勢力圏と接していた)と見做した上で。
そして日本は当時、「劣勢」に置かれていたのです。

テロで有名になった「イスラム原理主義を信奉するもの」のように、
あるいは対北朝鮮の制裁に反対する理由として挙げられるように、
追い込まれた(と感じた)側は限られた実効的手段・・・
直接的・物理的攻撃に頼ることが多くなります。
窮鼠猫を噛むの故事のように。

そう、「話し合い」とは、お互いに余裕がなければ・・・
もっと言えば当事者同士が理性を十分発揮できる場面でなければ成しえないこと。
そういう状態に持っていくために必要になるのは、直接的強制・・・
もしくはそのような状態に落ち着くまで待つこと、すなわち「放置」。

正義を行う



物語の主人公は大抵、「正義のために」戦い続ける。

戦争の放棄を唱える者もそれを「守る戦い」と、戦うことを唱える。
もちろんその当事者は語るだろう、戦うのに必要な「正当な理由」を、
彼らが糾弾する相手と同じように。自らが認める「強制力」を駆使しながら・・・

そしてもちろん、正義とは戦い、そのものである。
道理を通すために、それを遮るものを、排除するための。

そして人間のやること、排除すべき「悪」は、大抵は人に仮託される。
ブッシュとビンラディン、あるいは金正日・・・
日本の戦争に対しては天皇、というように、特定の人物を槍玉に挙げて、
あるいは特定の人間集団・・・鬼畜米英、右翼、異教徒といった
「敵」たる「排除すべき人間」を定めて「裁く」という形へと・・・

もちろんそれは「裁かれる」人間にとっては、殆どの場合
「不当な弾圧」ということになるのだ。
不正義とは・・・通らなかった正義である。
そして戦争を終わらせるのは大抵、妥協という「過ち」である。

多分続きます

構造主義とポストモダン:追加

2009-05-31 20:41:44 | 社会・地理・歴史
tanabeebanatさん
>構造主義とポストモダンもそもそもなんのためにそんな概念を産み出したの?
に自分なりにお答えするためにぶっちゃけ解説の続きとして書いてみます。

構造主義とは何かをもう一度書き出すと、
(略)その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、
場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。

とありますが、これがどういうことかというと、
科学的方法近いやり方で対象を把握する」ことです。

・・・つまり、我々、特に理系の学問や研究のやり方に通じる方法であり、
それ以前はそういうやり方ではなかったということです。
そして言葉自体、所謂「文型」と言われる学問分野、
文学・言語学・哲学・精神医学・・・と言ったあたりで目立つ用語です。

このようなことの導入で人間の考え方がどう変わったのかと言うと、例えば、

「人間は神に似せて作られた存在であり、他の動物とは一線を画す」
→「人間が他の動物とどこがどのように違うことによって人間と呼べるのか」

「定まった『正書法』の研究」
→「個別言語の分析比較」

「物語作者の意図を探る」
→「物語そのものの形式や手法を研究」

と言った感じに、全体的に
「定まった『あるべき姿』に近づこうとする」ことから
「現状を分析し問題点をあぶりだす」ことへの移行と言う感じになっています。

それまでの西洋思想や西洋の学問はいずれも「あるべき理想」にしか
目を向けていなかったともいえます。
これはキリスト教神学にしろ共産主義にしろ、向かうべき理想に向かって
ひたすら前進というニュアンスを持っていることにも現れています。

それを「進んでいる・遅れている」といった以外の視点で見るようになり、
「両者がどのように違うのか」ということを考え出したその手法が
「構造主義」と呼ばれているのです。

そして「ポストモダン」の方は何なのか。
「モダン(近代)の次」と言う言葉が示すように、
>モダニズムを批判する文化上の運動で、近代の行詰りを克服しようとする動き
・・・以外のものではなかったりします。

つまり正確な定義というものがなく、
「行き詰っていると思うから色々試行錯誤しているそれぞれの考え方」
をそれぞれ「ポストモダン」と呼んでいる感じです。

そして「構造主義」と対比して語る場合には、
「構造を見ても分からないところがあるから
今まで見ていた『構造』以外の部分に目を向けよう」位の感じです。
分析的手法に対する「複雑系」とか。

つまり、構造主義的な考え方に慣れすぎている上に
その後さらに「脱構築」ということが現在進行形で論じられているわけですから、
この辺の言葉を聞いても何のことだか、と言う感じになるのではないかと。

構造主義とポストモダン:ぶっちゃけ解説

2009-05-17 21:09:41 | 社会・地理・歴史
「構造主義とポストモダン」について、tanabeebanatさんの記事を受けて
私なりの解説を試みて見ます。まあ哲学専門というわけではないので、
情報処理の資格持ちとしてそちら方面の方には分かりやすいことを目指して。

Wikipediaの「構造主義」の項目から抜き出すと、
(略)その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、
場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。
構造主義という名称から、イデオロギーの一種と誤解されがちであるが、
今日では、方法論として普及・定着している。


プログラマ的に言い換えると、
「目的物の動作単位を抜き出し、そこから要求仕様を導き、
場合によっては必要なソフトを製作すること、位にあたるかなぁ。
~主義と付くので、なんかとっても思想っぽいけど、
今日では、エンジニアとかはそんな感じのことやってます。」
という感じになるかと。

ただプログラムとかと違うのは、「どこまで動作を切ればいいのか」が
はっきりせず、論者の裁量に大きく依存しているところです。
「場合によっては制御するための」とあるように
再現実験して見せることまでは目的とはしていないので。

ポストモダンの方はやっぱり▽架空の杜△さんが触れているように
旧い・新しいの問題でもなく優劣の問題でもない
ということになるかと。
ポストモダニズムとは必ずしもイコールではないが、構造主義以後に
構造主義を批判しつつ継承して出てきた思想傾向をポスト構造主義と呼ぶ。

という言及もありますが、「ポストモダン」とは意味として
「モダン(近代)の次」でしかなく、「近代」という言葉で何を表しているのか
場合によって色々ありすぎるようなので。
コンピューター技術の場合、それは機械以外の政治的要素などを踏まえることか。

で、漫画だの文学だのでこれを語る場合、
構造主義の方は「『物語の構造』をきちんと踏まえてくれ」という感じで、
ポストモダンの方は「外部の影響の反映」を言い表したものではないかと。
実際、読者の要請などを受けてストーリーが「途中で変わる」作品というのは
「連載作品」のように製作途上で人目に触れないとありえないので。

実際「外部の影響」で物語の基本構造が歪んでしまった作品は過去にあるわけで、
そういう意味では対立しやすい要素ではないかと思います。
ただ、過去のそういった実例を踏まえて両取りを目指すという方向性は、
やはり現れるのが必然ではないかと思います。
ただ同じ作品を読んでも何を「物語の構造」の軸と見るかは人によって違うので、
論争の種になりやすいのかな、と。

大日本帝国の二次大戦その1

2008-12-14 22:02:12 | 社会・地理・歴史
当方では「魔法先生ネギま!」に絡めて戦争の仕組みという記事を書いているので、
この辺りで二次大戦の「日本の戦争」をどう捉えているのか書いておきます。

箇所によっては論理がおかしい部分もありますが、それはわざとなので
ツッコミはご容赦ください。色々激しい論議のある事柄なのでご察しください。

~日本の目的~

まずそもそも日本は何故戦争に打って出たのか。
二次大戦の参戦原因としては、例えば以下のようなものがあげられます。

[1]日本の自衛
[2]石油資源の確保
[3]アジア・オセアニアの植民地の解放
[4]アジア・オセアニアの征服・植民地の確保
[5]打倒アメリカ・イギリス
[6]ソビエト共産主義勢力の阻止

このうちのいずれが正解か?


・・・と考えるのがそもそもの間違い。
当方の答えは「全てそれぞれやろうとしていた」だ。以下にそれを解説する。

自衛



「右」の人を中心によく言われるのがこれ。基本的に上の[1][2]にかかることです。

[2][1]に含まれますが、
マッカーサーのアメリカ議会証言録にあることです。
少なくとも、「アメリカ人の考えに基づいて考えうる原因の一つ」で、
イラク戦争の開戦理由としても似たことが挙げられています。

これの構造については「主な石油の出所」が「南方」から中東に変わっただけで、
あまり変わってはいませんが現在は輸入路をアメリカ軍に守ってもらっています。

[1]に関してよく言われることは「満洲は日本の生命線」という言葉ですが、
これは当時併合していた「朝鮮地方」にとって生命線に当たっていたから。

現在でも旧満洲・現在で言う「中国東北部」が
北朝鮮の生命線(主要交易路)であることは変わっていません。

侵略


(零戦・・・ではなく キ43 一式戦闘機「隼」)

こちらは[3][4]にかかること。
日本が掲げた正義である大東亜共同宣言に関係します。

[3]にしても西欧列強の領土(植民地)の分離独立を図る侵略行為として、
平和に対する罪の一端として裁かれました。
今村均など、現地の将官にまじめに実践しようとした者がいます。

[4]石原莞爾最終戦争論等に現れており、
また天津教などの神道系新興宗教にも似た思想が見出せます。

日本をグレート・ゲームのプレイヤーとして位置づける考え方です。

打倒


(降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリに掲げられた
ペリー来航当時のアメリカ国旗)

[5][6]はそれぞれ「南進論」・「北進論」にも関係します。

[5]日中戦争を通じて米英との関係が悪化したことが言われています。
実際にはマニフェスト・デスティニーの延長線上で理解することも出来、
ハル・ノートに至る外交戦の敗北もあり、また
アングロ・サクソン諸国を一体のものとみなして開戦に至ります。

[6]はむしろロシアの南下政策の延長線上にあり、
当初は清朝崩壊に伴う群雄割拠状態に対する対処という面もありましたが、
次第に中国大陸での勢力争いの泥沼に引きずり込まれていくことになります。

その2はこちら

記念メダルの値段は妥当か?

2008-11-22 18:13:06 | 社会・地理・歴史
各所で話題の週刊少年サンデー・週刊少年マガジン 50周年記念メダル
当方で扱っている漫画の「魔法先生ネギま!」と「ハヤテのごとく!」、
共にメダル化されています。

神無さんなど「高い」という方もいるし、
実際金相場に比べてかなり「高め」です。
ではこの金額はどうなのか、ちょっと検討してみます。

(にぎやかしのため色々画像を貼りました)


(Wikipediaより:アメリカの議会名誉黄金勲章)

簡単のため金メダルの方だけ計算してみます。
ちょっとグラムあたりの金額を計算してみると、
これらの記念メダルは1gにつき9052円となっています。

同じ店の他の製品を見てみると、例えば
縁起物の平成20年「子歳」招福小判で1gにつき6262円、
記念品のお誕生おめでとう!!メダルの金メダルの方は7875円(付属品を考えに入れずに)、
・・・といった辺りを見ても、かなり「高め」であることは分かります。


(Wikipediaより:1896年アテネオリンピック銀メダル)

しかしメダルとしての性質を考えると、これはコレクターズアイテムのため、
収集型金貨の性質に近そうです。
つまり、明記はされていないが生産数はかなり少ないことが推測されます。

また、似たコンセプトのメダルを見ると、
金銀の価格などが上昇しても価格の据え置き保証、
といったことをしている感じはある。

つまり、金銀相場よりは人気と希少性に左右されると見てよいでしょう。


(Wikipediaより:メイプルリーフ金貨)

結論としては、この値段が妥当かどうかは
完全に作品の今後の人気に依存すると見て良さそうです。

今後予想される世界的な不景気から考えて、金相場は上昇すると予想されます
確かにこの額は予想できる上昇幅を上回る価格比ですし、
貴金属取扱店に売ると完全に「地金」として買われてしまうので
貴金属製品として買うのは損と言えそうです。

しかしファンとして今後の人気を信じるならば、
価格相応以上の価値を秘めているとも言えます。
(コレクターズアイテムの相場を見ても)
つまり結論として、己の心に聞けというところに落ち着きます。

ヘラス

2008-08-04 16:35:37 | 社会・地理・歴史
Ἑλλας/Hellasギリシャの古名で「ヘレニズム」の語源。
現代ギリシャ語では「Ελλας・Ellas」で、気音「h」が消滅したため。
古くはギリシャ人が暮らす領域のことを言う。

ここから取られた地名に火星の「ヘラス盆地」「ヘラス平原」がある。

ボレアリス

2008-03-30 21:03:58 | 社会・地理・歴史
borealis,borealis,boreale(それぞれ 男性・女性・中性)
ラテン語で「北の」という意味の形容詞。
「北極(圏)」という意味でも使われることがある。

学名としては主の中で分布域が北の方の種に使われることが多い。
星座名に使われる場合は、特に日本語名では略される場合が多い。
(例:かんむり座/Corona Borealis)

「北極」としての用例は
「北極光:Aurora Borealis(英語読みで オーロラ・ボレアリス)」等が有名。
ただし「極」という意味では南極、北極とも「polaris」の方がよく使われる。
(例:北極星/Polaris)