網創漠蓄

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デモ行為について

2010-10-24 12:57:12 | 社会・地理・歴史
反中デモに関する記事を読んでみたのがきっかけでまとめておきたくなったことを。
相変わらずこの手の話では論理がおかしくなるところがありますが、わざとです。



デモ活動は「示威行進」とも訳されるように、意思や主張を他に示す行為。
一箇所に集団で活動する点では暴動と同じで、実際同一視する国もあります。
また集団心理等の条件により暴動化する可能性もある形態の活動ではあり、
日本でも安保闘争のように暴動に至った例もありました。

また諸外国においても( googleニュースによる検索結果より)
イタリアインドネシアフランス等でデモ行為相手に武装警官が投入されており、
デモ「鎮圧」に軍隊が投入されるケースまでさまざまで、
独裁国家においては「武装蜂起」の前段としてとられる要素もあります。


(1918年米騒動で焼き払われた鈴木商店)

ただし日本の場合、略奪行為が少ないなど暴動事件自体の強度も弱い傾向があり
実際、このレポートでも「袋叩きにしようとしている」など、
暴力に縁のある行動」に留まる傾向は江戸時代から見られます。

ただしそれでも独裁国家との連携強化の必要性が強調されるなどすると
友好国の反発をも招きかねない行為として「国益に反する行為」と扱われ
政府などに抑制されることもままあります。知識人等からの批判に晒されることも。
現在は「どの国益を重視するか」で延々と水掛け論が繰り返されている状態。
現在のような経済・国家総動員体制では交易が強調されやすい傾向はあります。



同調傾向が強い日本人の国民性から、論理より感情を優先する傾向があり、
同じ日本人として」という気持ちからか、集団相手に差し挟む異論
論理力が十分でない傾向も見られます。それは
場の空気を読むことを強いる傾向の強さ、リスキーシフトの起りしやすさでもあります。

そういう社会で徒党を嫌悪する感情もまた自然なものではあり、
「~が国益になると考える」行為も同様に警戒されるべき要素も備えています。
民主主義への不信感強力な指導者を求める心理とも同一ですが。

まあ、相手を怪しげな思想集団と思うなら、
そのような集団相手の手法をもって対抗すべきところではないかと。
相手と同レベルの言葉の応酬をこそ楽しみたい人に対しては迷惑な勧めですが。


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