話の散歩道

時々の話題の中に趣味の花の写真などを飾り日記風に綴ってみたいと思います。

散歩道の花々

2013-06-30 13:56:28 | Weblog

日課の散歩も暑くなってきましたので朝早くの涼しいうちにと思い、午前6時頃からはじめています。道中には季節ごとにいろいろな花が咲きますが、コンデジ片手にそんな花々の写真を撮りながらゆっくりと1時間ほど歩いています。歩き慣れた道で毎日見ている風景ですが気が付くとこんな花が咲いていたのか驚くこともあります。そんな花々の写真です。いつもの拙い写真ですがご笑覧下さい。

               

                                                             アガパンサス

               

                                   くちなし

               

                          ノーゼンカズラ

               

                                    ユリ

               

                                 ユリ

               

                               ひまわり

               

                               同上

               

                              ムクゲ

               

                            オシロイバナ

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ハスの花(庄内緑地公園)

2013-06-29 15:14:35 | Weblog

庄内緑地公園(名古屋市西区)のガマ池でハスの花が咲きだしました。毎年咲くそうですが私は初めて見ました。6月29日に昨日のテレビで情報がありましたので行ってきました。私と同じようにテレビで知ったという人達でしょうかハスの廻りにはカメラマンが並んでシャッターを盛んに切っていました。ガマ池の一部に数十本のピンク色のハスが咲いていました。まだ蕾のものも多数ありましたのでしばらく楽しめそうです。いつもの拙い写真ですがご笑覧下さい。

               

               

               

               

               

               

 

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古都奈良の旅(2)

2013-06-26 09:46:06 | Weblog

奈良の旅の2日目です。今日も良い天気に恵まれてかなり暑くなりそうです。今日の行程は次のようなコースで走りました。

平城宮跡(朱雀門・大極殿)→唐招提寺→薬師寺→春日大社→興福寺→帰路につく

最後の訪問地の興福寺を午後3時過ぎに出発して、天理のインターから名阪国道へ入り途中事故にも渋滞にも遭うことなく順調に走り、東名阪道経由で自宅に帰宅したのが午後6時頃でした。二日間の旅で運転と見物で疲れましたが、満足した旅でした。

                                      平城宮跡

平城宮跡の石碑と朱雀門です。朱雀門は平城宮の正門でここから大極殿までの間は朱雀
大路が通っていました。この朱雀門は平成10年に復元されたものです。

                       朱雀門全景

大極殿は宮殿の中でも最も重要な建物で、即位の儀式や元日の朝賀には天皇の玉座である
「高御座(たかみくら)」がおかれました。この大極殿は平成13年から9年の歳月をかけ[平城
遷都1300年]の平成22年に完成しました。

 

 

                        唐招提寺

唐招提寺は奈良時代天平宝字3(795)年、平城京の右京、鑑真和上が新田部親王の旧地を
賜って創建された私寺から始まります。講堂など諸堂が整えられ、伽藍の中心である金堂は和上
が遷化(763年)した後、如宝の時代に完成しました。これまで数回の大修理を受けましたが平成
の大修理が10年間かけて行われ、創建1250年にあたる平成21(2000)年秋に国宝金堂平成
大修理の落慶法要が行われました。

                       金堂の威容

                       鑑真和上の墓

                      境内の苔むした庭

 

                            薬師寺金堂

薬師寺は天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)、さらに文武天皇
の時代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成をみました。その後、平城遷都(710年)に伴い現在
地に移されたものです。爾来1300年を経、この間幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528年)
の兵火では東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願され、失われた堂塔の復興を薬師
寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊さらには平成15年3月に大講堂が
復興され、白鳳伽藍が甦りました。

                           西塔
 
   ゆく秋の 大和の国の薬師寺の とうの上なる ひとひらの雲  
                                                                佐々木信綱 
   

                          修復中の東塔

                           大講堂

 

                          春日大社

春日大社は710年(和銅3年)に奈良に都が移されると、藤原不比等が神代に功績のあった
また同氏が氏神として崇める常陸鹿島神宮の{たけみちづちのみこと」を都の東方、春日御蓋山
(みかさやま)の頂上浮雲峰(うきぐものみね)に祀り、国土安穏、国民繁栄を祈ったのが始りと
されています。

寄進された灯籠はおびただしく、春日の万灯籠と称されている。2月の節分と8月14、15日に
火がともされる。

 

                        興福寺(東金堂)

興福寺は法相宗の大本山。その前身は飛の厩坂寺でありさらにさかのぼると天智朝の山階寺
が起源となります。平城遷都(和銅3年・710年)の際、藤原不比等によって移され、「興福寺」
名付けられました。

                            五重塔

                          南円堂

                           猿沢の池

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古都奈良の旅(1)

2013-06-19 16:22:05 | Weblog

先日思い立って奈良へ行ってきました。6月11~12日の1泊2日の行程で妻と二人のドライブを兼ねた旅をしてきました。奈良へはいつ頃訪れたのか忘れてしまうほどご無沙汰しておりました。今回は飛鳥の里から斑鳩の里そして西の京から春日大社・興福寺周辺を廻る予定で出かけました。名古屋近郊からこのコースはさすがに1日では廻りきれないと思い1泊することとしました。
        菊の香や 奈良には古き 仏たち  松尾芭蕉

今回はその1日目の様子をご紹介します。概略次のようなコースで走り廻りました。

石舞台→橿原神宮→今井町の古い町並→法隆寺→法輪寺→法起寺→矢田寺(あじさい寺)→宿舎(かんぽの宿奈良)

石舞台です。築造は7世紀の初め頃と推定されています。被葬者は不明ですが6世紀
後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

橿原(カシハラ)神宮です。神武天皇と皇后を祭神として明治23年に創建されました。
近接して神武天皇陵があります。当日どこかの団体さんの記念植樹が行われていました。

今井町(橿原市)の町並です。称念寺を中心とした寺内町です。江戸時代初期には
東西600m、南北310m、周囲に環濠土居を築いた戸数1100軒、人口約4千数百人
を擁する財力豊かな町でした。

                      同上

称念寺です。現在本堂は改修中で全体に覆いが架けられていて見学できませんでした。
一向宗の門徒が開いた寺です。戦国時代に一向宗を弾圧する織田信長に反抗したが
明智光秀を通じて信長に降伏し事なきを得ました。

法隆寺南大門です。法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築です。
推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで推古15年(607年)に寺とそのご
本尊「薬師如来」を造られたのが法隆寺であると伝えられています。
    柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺  正岡子規

金堂 法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂

金堂及び五重塔 五重塔は我が国最古のものとして知られています。

夢殿 八角円堂の建物です。中心の厨子には聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥
時代)が安置されています。

法輪寺 三重塔は斑鳩三塔として親しまれてきた当時国宝であったものは昭和19年落雷
で焼失しました。現在のものは昭和50年に再建されたものです。法輪寺の創建は飛鳥時代
に遡り、聖徳太子の御子山背大兄王が太子の病気平癒を願って建立されたと伝え、一説に
は、百済開法師・円明師・下氷新物三人合力して造寺したともいわれます。

矢田寺(あじさい寺) 約1300年前、大海人皇子(後の天武天皇)が戦勝祈願のため矢田山
に登られ、即位後の白鳳4年智通僧上に勅せられ七堂伽藍48ヶ坊を造営、十一面観世音菩薩
と吉祥天女を安置されたのが開基とされています。

お地蔵様とあじさいの花(矢田寺)
お地蔵様はその身を種々の姿に分身し、一心に民衆を救済される仏様です。これに因み
当山に咲き競うあじさいの花びらの一つ一つがさまざまに色を変えて目を楽しませとどまる
ところのない世の無常を説くが如きはまさにお地蔵様の化身といえましょう。

かんぽの宿奈良の屋上から見た平城宮跡の大極殿のライトアップ

 

 



 

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今が盛りの「あじさい」(性海寺)

2013-06-07 14:29:55 | Weblog

稲沢市大塚南の性海寺(しょうかいじ)はあじさい寺としてよく知られており、今年も6月1日から16日まで「あじさいまつり」が行われています。あじさい鉢物の販売、文化財特別公開、あじさい茶会、写真コンテストなどが行われています。また、8日~9日の土日には屋外ステージで各種イベントが行われることになっています。テレビ等で何度も紹介されている所ですので土日は混雑することと思い7日の金曜日に行ってきました。10時過ぎに着いたところ近隣の駐車場は満車ということで少し離れた公民館の駐車場に停めることができましたが、性海寺まで15分ほど歩かされました。マスコミの力は大きくウイークデーにもかかわらず次々と見物客が詰めかけていました。
あじさいは7~8分咲き位でしたが写真を撮るには十分で沢山の写真を撮ってきました。変わったあじさいもありますのでいつもの拙い写真ですがご笑覧下さい。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

 

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「花しょうぶ」が見頃(庄内緑地)

2013-06-04 15:54:51 | Weblog

庄内緑地公園(名古屋市西区)の花しょうぶが見頃を迎えました。6月4日に行ってきました。ここの花しょうぶ園は面積は小さいのですが、毎年きれいな花を咲かせみなさんを楽しませてくれます。10種類以上の品種があるのですが、写真を撮るのに夢中でどれがどんな品種か後からではさっぱりわかりません。
このところ梅雨に入ったのに晴天が続いており、今日はそれに暑さも加わり2時間ほどいただけで日焼けしてしましました。以下、いつものとおり拙い写真ですがご笑覧下さい。

               

                          

                          

                          

                          

                          

                          

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