話の散歩道

時々の話題の中に趣味の花の写真などを飾り日記風に綴ってみたいと思います。

古都奈良の旅(1)

2013-06-19 16:22:05 | Weblog

先日思い立って奈良へ行ってきました。6月11~12日の1泊2日の行程で妻と二人のドライブを兼ねた旅をしてきました。奈良へはいつ頃訪れたのか忘れてしまうほどご無沙汰しておりました。今回は飛鳥の里から斑鳩の里そして西の京から春日大社・興福寺周辺を廻る予定で出かけました。名古屋近郊からこのコースはさすがに1日では廻りきれないと思い1泊することとしました。
        菊の香や 奈良には古き 仏たち  松尾芭蕉

今回はその1日目の様子をご紹介します。概略次のようなコースで走り廻りました。

石舞台→橿原神宮→今井町の古い町並→法隆寺→法輪寺→法起寺→矢田寺(あじさい寺)→宿舎(かんぽの宿奈良)

石舞台です。築造は7世紀の初め頃と推定されています。被葬者は不明ですが6世紀
後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

橿原(カシハラ)神宮です。神武天皇と皇后を祭神として明治23年に創建されました。
近接して神武天皇陵があります。当日どこかの団体さんの記念植樹が行われていました。

今井町(橿原市)の町並です。称念寺を中心とした寺内町です。江戸時代初期には
東西600m、南北310m、周囲に環濠土居を築いた戸数1100軒、人口約4千数百人
を擁する財力豊かな町でした。

                      同上

称念寺です。現在本堂は改修中で全体に覆いが架けられていて見学できませんでした。
一向宗の門徒が開いた寺です。戦国時代に一向宗を弾圧する織田信長に反抗したが
明智光秀を通じて信長に降伏し事なきを得ました。

法隆寺南大門です。法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築です。
推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで推古15年(607年)に寺とそのご
本尊「薬師如来」を造られたのが法隆寺であると伝えられています。
    柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺  正岡子規

金堂 法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂

金堂及び五重塔 五重塔は我が国最古のものとして知られています。

夢殿 八角円堂の建物です。中心の厨子には聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥
時代)が安置されています。

法輪寺 三重塔は斑鳩三塔として親しまれてきた当時国宝であったものは昭和19年落雷
で焼失しました。現在のものは昭和50年に再建されたものです。法輪寺の創建は飛鳥時代
に遡り、聖徳太子の御子山背大兄王が太子の病気平癒を願って建立されたと伝え、一説に
は、百済開法師・円明師・下氷新物三人合力して造寺したともいわれます。

矢田寺(あじさい寺) 約1300年前、大海人皇子(後の天武天皇)が戦勝祈願のため矢田山
に登られ、即位後の白鳳4年智通僧上に勅せられ七堂伽藍48ヶ坊を造営、十一面観世音菩薩
と吉祥天女を安置されたのが開基とされています。

お地蔵様とあじさいの花(矢田寺)
お地蔵様はその身を種々の姿に分身し、一心に民衆を救済される仏様です。これに因み
当山に咲き競うあじさいの花びらの一つ一つがさまざまに色を変えて目を楽しませとどまる
ところのない世の無常を説くが如きはまさにお地蔵様の化身といえましょう。

かんぽの宿奈良の屋上から見た平城宮跡の大極殿のライトアップ

 

 



 

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