静岡と神奈川の参議院補欠選挙に、公明党は自民党の候補者を推薦しないことになった。創価学会は10年に亙る自公の蜜月時代に文字通り終止符を打った。表向きは自公でいると公明党が埋没してしまうということだが、公明党にとって野党自民党では池田大作先生を守れず意味がなくなったのである。これから公明党は池田大作先生を守るために政権与党である民主党に今度はにじり寄っていくに違いない。もともと公明党は創価学会の化身でしかないことは周知の事実だ。発足当時は庶民の味方、弱者の味方、公明正大がスローガンだったが、池田大作先生を守るために自民党与党政権と一体化し、弱者救済から一転して強いものの味方財界企業救済と変身したため、末端の創価学会員も困惑したことだろう。しかし政権与党に組することは、宗教法人の弱点を付かれなくて済むし、安泰できる。ところが「政教分離」という憲法違反の恐れもある。元公明党委員長の矢野洵也氏はそこらの情報をしっかり入手しており、池田大作先生が今一番恐れる人物だ。民主党政権で、矢野洵也氏が国会で証言し、池田大作先生を証人喚問にでも引き摺りだされた分には学会人にとっては大変なことになる。だから創価学会広報部では、「金はいくらでも出すから矢野洵也を叩いてくれ」と叩いてくれるマスコミ探しをしている。それにのっかったのが渡辺氏の「リベラルタイム」誌だ。経済誌で、渡辺氏もトリ屋の出身である。企業を回り、広告収入には目がない。渡辺氏はこの頃BSテレビの経済司会にも出ているが、テレビ当局もトリ屋ということを知らなくて出演させている。雑誌自身は田原総一郎がコラムを書いたり体裁もいいものだから純粋な雑誌媒体と勘違いしてしまうからだ。そのリベラルタイム誌は創価学会から金を貰って、もう半年以上も毎号矢野洵也氏の誹謗中傷記事を載せ、ご丁寧に朝日新聞にまで広告を載せている。相当の記事広告料を創価学会から渡辺氏はせしめているのだろう。村上春樹氏のベストセラー「1Q84」にはオウム真理教の麻原昇光を彷彿とさせる人物が出てきて、その教団員は教祖に会う主人公に次のように言っている。「それは我々の信仰であって、あなたの信仰ではありません。しかし今日、信仰するしないを超えて、おそらくあなたは特別なものごとを目になさるはずです。普通ではない存在を」。このように新興宗教の信仰とは、信者にとっては教祖が神化していくことでもある。日蓮宗から離れた創価学会では今や池田大作名誉会長が神仏である。池田大作先生も高齢になり、ポストはどうなるのか、信者にはあまりにも偉大な存在なので、先がまったくわからなくなっている。
ところで、大川隆法氏の幸福の科学が衆議院選で惨敗したが、一節はに100億円使ったらしいが、信者から寄付などで毎月100億円入るので痛くも痒くもないらしい。宗教とは税金もかからずおいしい業界である。今度の参議院選には浄土真宗の西本願寺派が僧侶の立候補を公募している。「政治にも仏法を広めたい」ということらしいが、宗教は宗教、政治は政治と別々であってほしいところだが、宗教人はどうして政治権力に目が行ってしまうのだろうか。宗教によってわが身を律することと、権力とは相反するものだと思うのだが。
ところで、大川隆法氏の幸福の科学が衆議院選で惨敗したが、一節はに100億円使ったらしいが、信者から寄付などで毎月100億円入るので痛くも痒くもないらしい。宗教とは税金もかからずおいしい業界である。今度の参議院選には浄土真宗の西本願寺派が僧侶の立候補を公募している。「政治にも仏法を広めたい」ということらしいが、宗教は宗教、政治は政治と別々であってほしいところだが、宗教人はどうして政治権力に目が行ってしまうのだろうか。宗教によってわが身を律することと、権力とは相反するものだと思うのだが。