団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

幼い頃の思い出

2016-01-29 04:52:04 | 日記
 私が子供の頃 それも幼稚園へ入る前ですから3~4歳頃の思い出です。
私の家は洋品雑貨を営んでいました。
最初は多治見ではなく、もうちょっと奥へ行ったところの町で商売をしていました。

たまにだったと思いますが、父親が街へ仕入れに行くと自転車の荷台に乗せてもらって一緒に行きました。
夕方家へ帰る途中にあるレコード店で、レコードを買ってもらうのが楽しみでした。
当時のレコードの値段は覚えがないですが、そこそこしたんではないかと思います。

蓄音機の横にレコードが積んであった覚えがありますが、100枚近くあったと思います。
レコードの大きさは30センチぐらいで当時はモノラル盤でした。

覚えていらっしゃる方もみえるでしょうが、蓄音機の回転台にレコードを置き、
回転するレコードの溝にレコード針を置くのが子供にとってはむつかしいのです。
よくレコード盤をキズつけてしまったものです。

キズついてしまうとそのレコードは、レコード針がキズのところへ来ますと同じフレーズを
繰り返します。
慌ててピックをあげてそのあとの溝にピックを下ろして聴き続けたものです。

幼児によくある事ですが、車の名前をよく知っているとか、
駅の名前をよく知っているとか。
私は父親達が「あのレコードをかけて!」と言われると、
字も読めないのに、ちゃんと言われたレコードをかけたようです。

父親はそんな事もあってか私の将来に期待していたようですが、期待は大きく外れました。(苦笑)








H.T.青い契り  1999_1.mp4
コメント (12)
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