せっちゃんの毎日

せっちゃんの日々の記録

正月休みも今日で終わり

2014-01-05 10:09:26 | 昔話
正月休みも終わりですね

明日からいよいよ、日常の仕事モードになるのですが

私たち夫婦には、それ程変わりはありません。


それでも、元旦に遊びに来ていた孫と作った正月料理でしたが…



私が子供の頃の年越しは、とても賑やかでした…

暮れの25日にクリスマスが終わって

何時も『御用聞き』に来る魚屋(八百屋、荒物屋等も兼ねる)が来て、

年越しの献立の注文を取りにきます

私の家は電気工事屋でしたので、住み込みの若い子が沢山いまして

『御用納め』(今で言う忘年会)の仕度で母や住み込みの婆さんやお手伝いさんは大変でした

28日が『餅つき』で、多い時で1斗うものお餅をつきます

皆にお供え等を持たせてあげるのです。

まずは、『旨煮』の準備…

大釜で鳥のガラや昆布等でお出汁を取ります

台所にはもう1台の薪ストーブが据え付けられ フル稼働!

何せ、30人前くらいの料理ですから 材料も半端でない!?

お刺身の『御造り』などは魚屋に任せていましたが、

焼き魚の『鯛』なども外で父(?)が付きっ切りで焼いていました。

大根の『紅白なます』『ニシンの昆布巻き』『数の子の出汁煮』

そして、私の大好物の『茶碗蒸し』等です

最後の〆は、『かしわ蕎麦』が出てきます…

その頃には、皆 満腹と泥酔状態です

(北海道ですので東北の人が多いので皆、民謡などがとても上手かった!)
          

他には『口取り』と云って、生菓子・羊羹・あんぽ柿等の折詰め

するめ・昆布・りんご・ミカンなど持ち帰られる用に風呂敷を付けて

一人々のお膳の下に入っています(私たち子供にもです)

こんな準備を30日の夜までにしていたのです。

30日の午前中には皆、仕事も終わって道具の片付け等をして

田舎に帰る者は準備していました。

この日から 4月の仕事初めまでお休みです。

昔でしたので、田舎の無い人もいて、帰らずに家で年越しをする人もいました

30日は、夜通し宴会でそのまま泊まってゆく人たちもいました

それでも、31日になりますと家の中もひっそりして昨日の宴会が嘘のようでした

その日の夜は、家族5人だけの年越しです

親がいない住み込みの子などは、「一緒に年越しをしょう」と誘っても

部屋から出てきません。
         
今思うにどんな思いだったのでしょう…

                   
まだ、15歳位だったと思いますが親戚の家にも帰らないようです

                
今みたいにテレビも有りませんから部屋で将棋をしたり、カルタ等をしていたようです

                  
私たちもお菓子やミカンなどを持って行って一緒に遊んだ記憶があります

                       
お正月は、母などと連れ立って初詣に出かけ…

                   
2日の初売りは夜中から出掛けて行って『福袋』を買い求めて着ました。

                          
あれから50年余りにもなりますが

                 
母が父との話で「今年も無事に年越しが出来たなぁ~」と話していた事が

                     
何とも、胸に「キュン!」と来るお正月でした。

                
従業員を抱えての年の瀬は、両親達にとっては大変な事だったのでしょう

              
私も商売をしていましたが、その時は夢中でそんな事を考える余裕も無かったですが

                
あの時代、北海道でのお正月は、今思い出しても切ない思いがします

                 
雪が深々と降った夜などふと、両親の事などを思う夜長でした…