我が家は90歳で亡くなった父の代からずっと早稲田フアンでした。しかし、今年、孫が慶応高校に入学、しかも体育系の部活です。早稲田一辺倒の応援というわけにもいかなくなりました。そこで、今年の早慶戦はどちらが勝ってもよい、できたら何回も早慶戦を見たいという気持ちに変わりました。
初戦は、甲子園からのフアンでありドラフト1位の斉藤投手の好投を祈りながらのテレビ観戦でしたが、斉藤投手が2点を失い敗れ、早稲田のこの時点での優勝はなくなりました。
第二戦は神宮球場に出かけ、慶応を応援することにしました。連勝すると、早慶両校同率首位となり、優勝決定戦が行われるのです。しかもこれが50年ぶりの早慶優勝決定戦となることをあとで知りました。
第二戦見学記です
月曜日にもかかわらず、地下鉄外苑前駅構内から熱気で溢れています。待ち合わせをする学生など、神宮球場へ向かうファンで、駅の階段から混雑しています。歩道は人で溢れ、車道側にカラーコーンを並べ、一車線を歩道としています。球場近くでは昨日の早慶戦を報じる両校の大学新聞を立ち売りする学生が目立ちました。当日券があるかどうか心配でしたが、慶応側の内野席が買えました。
試合開始の30分前には内野席は満員となりました。年配のOBたちが同期生の姿を探しあったり、80歳を超えているだろうと思われる方も多く見られ、まさに慶応の同窓会という雰囲気でした。
試合は、3回にはドラフト1位の福井投手から3点ホームランで逆転、4回からリリーフした同じドラフト1位の大石投手からなんとラストバッターの福谷投手が2点ホームラン・・・「信じられない!」「どうなってんだ!」と喜びの声が聞こえてきました。8回に追加点をあげると、「前売り券を早く買わなくては・・・」と勝利を確信したOBが席を立つのが目立ちました。
優勝決定戦見学記です
前日に前売り券を買おうとネットを開きましたが、午前8時時点で内野席はすでに売り切れでした。
当日、30分前に神宮球場に着きましたが、テレビレポーターがインタビューしているや、上空にはヘリコプターが何機も飛んでいるやという大変な騒ぎです。
外野席に入って驚きました。第二戦ではガラガラだった外野席が超満員、立ったままの観戦となりました。第二戦では慶応側の内野席でしたので、決勝戦では早稲田側の外野席に立ちました。
試合は一方的な展開になり、斉藤投手がノーヒットノーランを達成するかどうかが話題にのぼり始めていました。ところが、8回に一死後波乱がありました。初安打に続いて慶応が4安打を集中、一気に5点を斉藤投手から奪いました。この間、慶応側の内野席、外野席の応援団が地鳴りをするようにうねりました。
結果は一方的な試合となりましたが、あの8回の20分間が50年ぶりの早慶戦にふさわしい盛り上がりとなりました。
両校のエール交換には感動しました
決勝戦では内野応援団に2本、外野応援団に2本の大応援団旗が掲げられ、それぞれ二回ずつのエール交換があり、相手校のエールに対して拍手と応援旗を倒して答礼する様は感動的でした。
また、両校のチアリーダーの洗練された応援にも感心しました。振り付けに早慶にそれぞれの特徴があり、試合の合間に両校の応援を楽しめました。
エールの交換から始まって、エールの交換で終わるまでの、濃密な5時間となりました。
神宮球場には、60年前、父に連れられて来たのが最初です
大正2年生まれの父の自慢は沢村栄治投手の伝説的な日米対戦の試合を草薙球場(静岡)での見たということでした。静岡県出身の父は高校野球なら「静岡商業」、都市対抗なら「大昭和製紙」を応援、六大学では「早稲田」、プロ野球は巨人ファンでした。後楽園球場が完成する前の洲崎球場(江東区)にも足を運んだという根っからの野球ファンでした。
戦後の物資のない時代、グローブを買ってくれましたが、それが布製であったことが思い出となっています。
先月に父の七回忌の法要があり、父の供養を兼ねての早慶戦の観戦となりました。
初戦は、甲子園からのフアンでありドラフト1位の斉藤投手の好投を祈りながらのテレビ観戦でしたが、斉藤投手が2点を失い敗れ、早稲田のこの時点での優勝はなくなりました。
第二戦は神宮球場に出かけ、慶応を応援することにしました。連勝すると、早慶両校同率首位となり、優勝決定戦が行われるのです。しかもこれが50年ぶりの早慶優勝決定戦となることをあとで知りました。
第二戦見学記です
月曜日にもかかわらず、地下鉄外苑前駅構内から熱気で溢れています。待ち合わせをする学生など、神宮球場へ向かうファンで、駅の階段から混雑しています。歩道は人で溢れ、車道側にカラーコーンを並べ、一車線を歩道としています。球場近くでは昨日の早慶戦を報じる両校の大学新聞を立ち売りする学生が目立ちました。当日券があるかどうか心配でしたが、慶応側の内野席が買えました。
試合開始の30分前には内野席は満員となりました。年配のOBたちが同期生の姿を探しあったり、80歳を超えているだろうと思われる方も多く見られ、まさに慶応の同窓会という雰囲気でした。
試合は、3回にはドラフト1位の福井投手から3点ホームランで逆転、4回からリリーフした同じドラフト1位の大石投手からなんとラストバッターの福谷投手が2点ホームラン・・・「信じられない!」「どうなってんだ!」と喜びの声が聞こえてきました。8回に追加点をあげると、「前売り券を早く買わなくては・・・」と勝利を確信したOBが席を立つのが目立ちました。
優勝決定戦見学記です
前日に前売り券を買おうとネットを開きましたが、午前8時時点で内野席はすでに売り切れでした。
当日、30分前に神宮球場に着きましたが、テレビレポーターがインタビューしているや、上空にはヘリコプターが何機も飛んでいるやという大変な騒ぎです。
外野席に入って驚きました。第二戦ではガラガラだった外野席が超満員、立ったままの観戦となりました。第二戦では慶応側の内野席でしたので、決勝戦では早稲田側の外野席に立ちました。
試合は一方的な展開になり、斉藤投手がノーヒットノーランを達成するかどうかが話題にのぼり始めていました。ところが、8回に一死後波乱がありました。初安打に続いて慶応が4安打を集中、一気に5点を斉藤投手から奪いました。この間、慶応側の内野席、外野席の応援団が地鳴りをするようにうねりました。
結果は一方的な試合となりましたが、あの8回の20分間が50年ぶりの早慶戦にふさわしい盛り上がりとなりました。
両校のエール交換には感動しました
決勝戦では内野応援団に2本、外野応援団に2本の大応援団旗が掲げられ、それぞれ二回ずつのエール交換があり、相手校のエールに対して拍手と応援旗を倒して答礼する様は感動的でした。
また、両校のチアリーダーの洗練された応援にも感心しました。振り付けに早慶にそれぞれの特徴があり、試合の合間に両校の応援を楽しめました。
エールの交換から始まって、エールの交換で終わるまでの、濃密な5時間となりました。
神宮球場には、60年前、父に連れられて来たのが最初です
大正2年生まれの父の自慢は沢村栄治投手の伝説的な日米対戦の試合を草薙球場(静岡)での見たということでした。静岡県出身の父は高校野球なら「静岡商業」、都市対抗なら「大昭和製紙」を応援、六大学では「早稲田」、プロ野球は巨人ファンでした。後楽園球場が完成する前の洲崎球場(江東区)にも足を運んだという根っからの野球ファンでした。
戦後の物資のない時代、グローブを買ってくれましたが、それが布製であったことが思い出となっています。
先月に父の七回忌の法要があり、父の供養を兼ねての早慶戦の観戦となりました。
慶応の応援、すごかったですよね。
50年ぶりの一戦にふさわしいいい試合でした。