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石見銀山「銀の道ウオーク」に参加する

2007-11-04 13:25:20 | Weblog
 今年の8月に朝日新聞全国版に大田市が主催する「銀の道ウオ―ク」への参加者を募集していることを知りました。石見銀山が世界遺産に指定されてから是非訪れたいと考えていましたから、渡りに船とばかり申し込みました。 今回設定されたトレッキングは三つの銀山街道を歩くルートです。石見銀山から銀を日本海に運んだ16世紀前半銀山開発の初期に利用された鞆ケ浦道(ともがうらどう)、同じく16世紀後半の温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)、そして江戸時代に利用された陸路を尾道まで運ぶ尾道道(おのみちどう)です。私は最も古い時代の銀山街道鞆の浦道のルートに申し込みました。

 10月14日、幸いなことに晴天です。午後9時30分に石見銀山駐車場集合ということで前夜宿泊した大田市内のホテルを7時45分に出発しました。散策をかねて石見銀山に向かって町を歩き、途中で石見銀山から戻るタクシーを拾おうと考えたのです。古い町並みの市内を出て、市立病院を越えると田園地帯です。時折三瓶山が美しい山容を見せてくれ、歩道が整備された道路が点在するこじんまりとした集落を結んでいます。しかし、この散策は大失敗、一時間半歩きましたがタクシーは一台も来ません。後で知ったのですが、大田市のタクシーは駅だけに常駐、あとは電話で呼び出すしかないとのことでした。幸い、久利という村落で一日に7便しかないという大森町行きの市内バスに乗ることができ、10分遅れで石見銀山駐車場に到着、参加者は出発前の準備運動中でした。




 
石見銀山駐車場は山を切り開いて作られています。売店・トイレも完備された当初の駐車場だけでは足りず、更に新たな第二駐車場が完成したばかりです。全ての車は駐車場に置き、ここからシャトルバスで銀山地区に向かうようになっているようです。「銀の道ウオーク」専用バスが到着、コースごとに乗り込み、乗車直前に配布された「コースガイド・街道編」を見て、「しまった!」と思いました。この地図に記載された鞆ケ浦道トレッキングコースでは行程の実に半分近くが「歩行困難」の点線になっている難コースだったのです。温泉津沖泊道温泉津沖泊道にすればよかったと後悔しましたが、バスは走り出し挑戦するしかありません。
 
 10分で銀山公園に着き、そこからウオーキングです。鞆ケ浦道ウオーク参加者は12,3名を1班とした二班で、それぞれガイドが先頭に立ち出発です。銀山川沿いの遊歩道を歩き始めましたが、参加者は石見銀山には何度も来ていると思われる方々ばかりで、難コース鞆ケ浦道ウオ―クそれ自体を目指して参加されたようです。案の定、私は直ぐに遅れ始め、先頭のガイドさんの説明も聞き取れません。 私の班には市から依頼されたのでしょうか、地元大森在住の方が最後尾に付かれました。常に最後尾でしたので、この方の説明をずっと拝聴する幸運に恵まれました。石見銀山の歴史間歩(坑道)の時代ごとの変遷吹灰法やアマルガム法など銀の精錬法精錬に燃料として使用した松や竹の植林(これが結果として環境保全につながり、世界遺産指定の決め手となったとのことです)、足利時代から戦国時代に至る銀山を巡る武将の戦い、更に出雲風土記の歴史的価値、鞆の浦道の山道に見られるアケビ、栗、やまいも、ヤマモモの植物の収穫法など多岐に亘りその博学振りには驚かされるばかりです。毎日一時間半の周辺の散策を日課にしているとのこと、息をまったく切らさずに早足で山道を登られる健脚ぶりには同年輩の方とはとても思われません。
 今回、石見銀山に初めて訪れたのにもかかわらず、「銀の道ウオ―ク」に参加したため、歴史遺産地区の「町並み地区」「銀山地区」「石銀地区」を素通りしてしまいましたが、5時間のウオーキングの間話していただいた知識で石見銀山のイメージを膨らますことができ、来年の再訪が楽しみになりました。

 
 鞆ケ浦道は400年以上の歴史がありますが、銀山街道として使われたのは16世紀前半の大内氏の時代だけで、毛利氏が銀山を掌握するようになると飲料水の入手が容易で、水深が深く、日本海の北風を遮る温泉津沖泊道が使われるようになったとのことでした。しかし鞆ケ浦道は海辺の馬路(まじ)と大森とを結ぶ生活道として綿々として利用され、昭和20年代までは魚などの行商人がこの道を利用して、大森に入ってきたとのことでした。しかしそれから60年の歳月がたった現在ではほとんど自然に帰った状態になっていたようです。
 10年前大田市がトレッキングルートに指定し、一度は整備したようですが、歩く人も少ないのか当時の道標は腐ったまま放置され、一部の道は竹やぶになっていました。今回の「銀の道ウオーク」のために荒れ果てた道を再整備手書きの真新しい道標がポイントとなる箇所に設置されていました。
 しかしマムシが住み、夏から秋にかけてはスズメバチが巣を作る山道、そして両側が深い急傾斜の尾根道を歩くなど、ガイドの方の先導がない鞆の浦道トレッキングは避けたほうがよいという印象です。また、最後の国道9号線を横切る横断歩道は信号機が設置されておらず、両方向ともカーブしている見通しの悪く箇所で、横断には注意が必要です。


 山林を歩くことが多いウオーキングでしたが、昼食を取った「人切岩」先の峠からの眺望は素晴らしいの一言に尽きます。大田市からはるか出雲の日御崎まで伸びる日本海沿岸が見通せ、二年前に訪れた灯台もかすかに見ることができました。また、鞆ケ浦へ降りる直前の峠から馬路集落とそこに広がる鳴き砂で知られる琴が浜海岸を一望できる地点での景色は鞆ケ浦トレッキングの有終の美を飾るに相応しいものです。大森の方が、子供の頃、家族揃って大森から銀の道を辿り、浜辺で開かれる盆踊りを訪れたことを感慨深げに話されていました。
鞆ケ浦のトンネルを過ぎたところに市が配車したバスが待っていました。銀山公園から丁度5時間のコースでした。ほとんどの皆さんは車を置いている銀山駐車場へ戻りますが、松江から参加された女性と大田市から三瓶温泉へ向かう私はここで皆さんと別れ、馬路駅まで歩きました。海岸に沿って集落の中を通り駅に向かいましたが、空き家が点在し、屋根が崩れたまま放置されている家もありました。馬路駅の駅舎は取り除かれ空き地になっており、線路を横切ってプラットホームへ昇り、15時30分発の電車を待ちました。


推奨資料 
石見銀山コースガイド街道編  石見銀山ガイドの会     TEL:0854-89-0120 FAX:0854-89-0706 
推奨リンク
 石見銀山関係 石見銀山 製精錬法解説  佐渡銀山 灰吹方の歴史 東京都鍍金工業組合
 
次回の石見銀山訪問までに課題が二つ残りました。
.灰吹き方の「吹く」という名称の由来は「最後の段階で鉛を灰に吸収させるため酸素を吹き込む様子を言う」のか「鉛を吸収した灰を吹くことで銀が現れる様子を言う」のか色々と調べたのですが分かりませんでした。
.最後の段階で使う灰はどうやら動物の骨灰であるらしいのですが、灰吹方発祥 の地中国と異なり、馬・牛などの肉食の習慣がなかった当時のわが国では骨灰を 大量に入手するのは困難です。佐渡金山の古文書には「人骨がよい」という記述 があるようですが、事実はどうなのでしょうか。

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