新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月25日 その2 「静かな無視」で良いのかな

2019-08-25 14:02:20 | コラム
言いがかり国家の韓国に如何に対応すべきか:

正直なところ、私如きにこの国家間の大問題に適切な対策が解る訳はないと思う。だが、韓国は我が国からの如何なる呼びかけにも応じて来ずにいながら「光復節の文在寅大統領の演説の内容を事前に知らせておいたにも拘わらず、日本が何ら反応してこなかった」というのをGSOMIAの延長を拒否した理由に挙げてきた。見事なばかりの言いがかりである。このような度重なる韓国側の言いがかりに対して、小野寺五典元防衛大臣はテレビに出演する度に「静かな無視で対応して放っておけば良い」との慎重な意見を披露されている。

私も既に論じたが、下手に韓国の言いがかりに反応して正論を述べれば、彼らとの際限のない「泥仕合」になるだけだろうから、真っ向から反撃乃至は反論に出たくとも,ここはジッと我慢して耐えておく方が賢明ではないかとも述べてきた。だが、それでは韓国を図に載せるだけで、今回のような「良くそこまで考えたものだ」と感心させられかねない言いがかりを付けてくるのだろう。ここでまた英語の講釈をすれば、小野寺氏の「静かな無視」は“benign neglect”辺りが当たっていると思う。「慇懃な無視」などと訳されている。

私はこのまま大人の対応で「慇懃な無視」を続けていれば、韓国側は文在寅大統領は来年の選挙を控えていることでもあり、何としても我が国を屈服せねばとばかりに全世界の諸国に向けて得意技ののロビーイングを強化するか、我が国を貶める広報宣伝活動を一層本格化してくるだろうと危惧する。私は韓国がPR作戦に本腰を入れる前に、さり気なく世界に向けて今日これまでの経緯を可能な限り簡にして要を得た文章で「如何に韓国が虚言を弄し、事実を歪曲しているか」の穏やかな広報活動に励んでみたらどうかと思っている。

しかしながら、いくら我が国が静かに丁寧に実態を述べたところで韓国側が反論に出てくるのは疑いもないのだ。そこで、望むらくは「我が国が韓国が如何にしても反論出来ないような論旨を組み立てて置くこと」が肝要だと考えている。この場合は直接の論争ではなく飽くまでもインターネット上のことなので、韓国政府側もそう簡単には言いがかり的な論旨を組み立てては来られないのではと、希望的に考えている。いや、仮令この手法で泥沼になろうとも、今日までの数々の不当な言いがかりに対して「無反応なのは屈服したのだ」と思わせないことが肝腎だと愚考しているのだ。

私にもこれが最善の手段ではないかも知れないとは解っている。だが、「何処まで続くぬかるみか」と韓国の不当な言い草に連日連夜ウンザリさせられているのに何時までも耐えている必要などないと思って言っているのだ。確かに、現在の局面で本格的に反論・反撃に出たところで速やかな問題の解決に結びつかないだろうことくらいは承知で言っているのだ。だが、国民感情としては何時までも“benign neglect”の穏やかな大人の姿勢で事に当たっておられては「飯が不味くなる」のである。韓国ばかりに言いたい放題を許しておいて欲しくないのだ。


8月24日の出来事

2019-08-25 07:42:41 | コラム
反文在寅大統領のデモ:

8月24日は前日が悪天候の下でやや動き過ぎだったので何処にも行かず、終日テレビを見て過ごした。その中から幾つかの話題を採り上げてみよう。

フジテレビのニュース:
何と言っても白眉だったのは、夕方5時半のフジテレビのニュースでソウルでの「反文在寅大統領」のデモの光景を流していたことだった。先日も何方だったか失念したが専門家が「マスメデイアは反日と抗日のデモばかりを採り上げて報道するが、実際には保守派による反文在寅大統領のデモも行われている」と不満そうに言っておられた。フジテレビは勇敢にも?その反文大統領のデモを放映したのだった。「これは珍しい」と感想を漏らしたところ、居合わせた二男は「フジならやるだろう。何しろ産経の加藤記者が裁判にかけられたのだから」と一言。

そこで「なるほど、そうだったな」となった次第だが、こういう流れが他のテレビ局にも及んでいくかと考えると、どうもそうは行かないような気がしてならない。と言うのは、他局と言えば朝日新聞と毎日新聞のグループ企業だからだ。では日テレならどうするかと考える時、この局は24時間テレビとやらで私が毛嫌いしているジャニーズの嵐だったかに司会をやらせるほどミーハー狙いであるから、政治ネタを喜んで採り上げるとは考えにくいのだ。

バスケットボール:
次に採り上げたいのが我が国の男子のバスケットボール全日本代表(世界のランク48位)が22位のドイツ代表に勝った親善試合。俗な言い方をすれば「手に汗握る熱戦」だった。私はそれほど情勢に詳しくないが、我が代表は未だ嘗て欧州勢に勝ったことがないのだそうだ。それで第3Qまでのスコアでは諦め気味で見ていたが、第4Qに見事に押し切って勝ってくれたのだった。確かにかの八村塁と渡辺雄太2人のNBAの選手がフルに動ければ、我が代表も捨てたものではないと大いに気分を良くさせて貰えた。

この代表にはアメリカから帰化した元NBAのニック・ファジーカスもいるので、これまでの我が国のバスケットボール代表とは大いに趣を異にすると評価して良いとは思う。だが、一寸気になったのは、負傷欠場のポイントカード富樫の代役の篠山が「ドイツが果たして何%の力で当たってきたのか解らないので」と謙遜していた点だった。彼は野村克也の名言「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」が気にかかったいたのかも知れない。でも、勝ってくれて良かった。素晴らしい結果だ。

ボクシング:
お仕舞いにはボクシングで、3階級制覇のチャンピオン田中恒成が挑戦者のプエルトリコのゴンサレスを7回TKOで退けた試合である。私は何らの事前の知識無しに田中の勝利を信じていたし、得意の閃きでも「田中が勝つ」と出ていた。だが、お互いに一度ダウンを奪っていたものの、私の目には6回まではポイントではゴンサレスが上回っているように見えた。一寸だけその試合の様子を見た家内が「挑戦者は逃げ回っているだけ」と言っていたにも拘わらずだ。結局は田中が見事にバデイーブロー(アメリカ式発音に準拠)の連打でTKOに仕留めて、ここでも気分爽快にさせてくれた。

中々こうは上手く物事が運ぶものではないのだが、昨日はフジテレビと我が国の選手たちのお陰でで折角の私の休養日を気分良く過ごさせて貰えた。ではあっても、夜になって読売がDeNAを撃破してマジックランプが点灯したので画竜点睛を欠く結果になった。だがしかし、既に今年は諦めたと言ってあったので仕方がないことだと思う。


何処までも不愉快な韓国の出方

2019-08-24 13:56:52 | コラム
韓国のイヤらしさには気が滅入る:

それにつけても思うことは韓国の我が国に対するやり方のイヤらしさだ。彼らは「我が国に事前に文大統領の光復節の演説の内容を告知したにも拘わらず、反応がなかったからGSOMIAを破棄した」などと言う甚だしい言いがかりを付けてくる作戦にまで出た。また、事前にアメリカと十分に打ち合わせて了解を取った上での破棄だなどと言い出したのには呆れる他はない。それでは、韓国の破棄を真っ向から批判したポンペオ長官などは、元CIA長官ならではのお惚けだったのかと、ついつい考え込まされてしまう。

私はそれはそれとしても、地方の韓国からの観光客に依存してきた経済に問題が起きそうな事態が生じていることは解るが、それをさも我が国の対応が悪かったのでかかる影響が出ているかの如くに報じるテレビや新聞も如何なものかと非難したい。だが、彼らの我が国への観光旅行を見送る姿勢が飽くまでも見当違いであるにもせよ、もしかするとこのまま政府が韓国のやり口に対して政府が全て静観の姿勢を維持しているだけで良いのかと気になってしまう。虚言を弄する相手に論戦を挑む必要はないにもせよ、沈黙では彼らは「屈服させた」と言い出しかねないのではないか。

具体的なことを考えて見れば、特に福岡県などは韓国から至近距離にあるので東京で考えるよりも事態は深刻なのかなどと危惧する次第だ。政府の善処を待ちたいが、何時まで韓国の厭がらせが続くのかと思う時に気分が悪くなる今日この頃だ。安倍総理、可及的速やかに善処方宜しくお願い申し上げます。

86歳の高齢者になったという意味

2019-08-24 08:07:24 | コラム
テレビ局は老化の実態を何ら何ら理解していない:

いきなり英語で恐縮だが、“They don’t know what it means to be 80 or above years old.”とでも言っておきたい。「彼らテレビ局の連中は80歳を超えたら体が如何なる状態になるかが解っていない」と言うことだ。そんな高齢化の辛さを知ってか知らずにか、先ほどもテレ朝がさも解ったような調子で高齢者のアクセルの踏み間違いの事故が多いと言い、高齢者の教習所での講習会の様子を採り上げていた。彼らは何も解っていないなと腹立たしかった。

先日も昭和11年生まれのYM氏と語り合ったのだが、往年は小型飛行機操縦の免許と船舶一級の資格を持っていた身体能力抜群の彼も「歳には勝てなくなって、室内でも何でもない時に脚がふらついて危うく転びそうになることが屡々」と嘆いていた。黒井千次氏の「老いのゆくへ」という本には「低い位置にあるコンセントの抜き差しに苦戦した」とあるそうだが、余りにもその通り過ぎて悲しくなってしまった。そうなんである、今や脚が痛くて床に何か落としたら、身体をかがめて拾うのは大苦痛なのである。

私は若い頃から身体が柔らかい(英語では「関節が柔軟」という表現になっている)ことを誇ってきた。だが、86歳の今となっては両脚の付け根が痛んで一寸でも外に出て歩く度に苦しめられている。そこを何とか我慢して5分ほど経つと身体が温まってきて何とか普通に歩けるようにはなるが、そこに一寸した上り坂でもあれば再び塗炭の苦しみである。2年ほど前には言うなれば「80肩」に苦しめられたが、一昨日はつい気取って洗濯物を投げたところ、右の肩と肩甲骨の周辺に激痛が走って、姿勢如何ではPCを扱っても痛いという情けなさ。

今年の前半くらいまでは13年の夏以来苦しんでいた気象病が未だに自分の身体を蝕んでいてあちこちが痛むのだと信じていたが、掛かりつけのクリニックの医師も国立国際医療研究センター病院の主治医も「大病を何度もしたことと年齢の問題だ」とヤンワリと引導を渡された。そうなんである。「老化」とはそういうことで、何時までも若い頃のように身体が柔らかいなどと言うことはなく、それこそ順番にあちこちが痛んでくるものらしいと漸く解ってきた。今でも、ジムでストレッチをしていれば「柔らかいですね」などとお世辞を言われて喜んでいるが、「老い」は着実に進んできたのだ。

ここまでで何が言いたいのかと言えば、思うに高齢の方々が車を運転して事故を起こされるのは「最早手も足も往年のように思うようには動いていないし、また動かせるものではないのだ」という自覚が不足されていることも相当以上手伝っていると推察しているのだ。72歳まで中学以来の仲間と何ら年齢を感じることなくサッカーをやっていた私の脚が、腰が、床に物を落とせば痛さを堪えて拾うわねばならないほど老化しているのだ。運転をされる高齢者の頭脳と脚が思うように連動しなくても何ら不思議ではないと思う。

それを知らずして、如何にも高齢者の踏み間違いを悪であるかの如くに責め立てて、社会問題であるかのように騒ぎ立てるマスコミの無神経さを非難したくなるのだ。そう言われて悔しかったら80歳になって床に物を落として見ろ。階段を降りる怖さを味わって見ろ。急な坂道をこの酷暑に中を痛む足を引きずって上って見ろと言ってやりたい。高齢化社会とはこういうものであり、何も身体障害者の為だけにバリヤーフリー(念の為に申し上げておくが、これはカタカナ語だ)があるのではないと思っている。これ以上騒ぎ立てる気ならば、いっその事高齢者全員に自動運転の車を支給するべしとでも訴えたらどうだ。


8月23日 その2 甲子園の野球が終わった

2019-08-23 15:29:30 | コラム
奥川恭伸君は何か勘違いをしていたのでは:

何時までも文在寅大統領の大勘違いに付き合っていても詮無いことなので,昨22日に最後まで見てしまった甲子園の野球の決勝戦を冷静な評論家の目で回顧してみよう。なお、本日は午前中に懇談してきた某私立大学の新聞学科の教授は「文在寅大統領の今日までのやり方を見ていれば、当然GSOMIAを破棄してくるものと決めつけていた。あの破棄声明は何の不思議もなく意外でもない」と語っておられた。全く同感だった。

さて、高校野球である。私は既に「奥川恭伸君は言わば完成してしまったような好投手で、最早伸びしろが残っていないのではないか」という見方を披露していた。昨日の決勝戦はどちらが贔屓という訳でもないので、もし何かの閃きでもあるかと思ってチャンネルをNHKではなくテレ朝のBSの元横浜高校監督の渡部氏と古田敦也の解説を選択した。いきなり結論めいたことを言えば「渡辺氏は奥川君は6回で既におかしくなっていた」との見解を聞かせて下さり、その通りで奥川君が打たれて負けた。こういうのを本当の解説というのであり、NHKの解説は説明に過ぎない。

私は試合開始前の奥川君の緩んだ表情を見て「これでは駄目だろう」と密かに履正社の勝ちを予想していた。尤も、アナウンサーによれば星稜高校は「必笑」(ヒッショウ)をモットーとしているそうだが、それにしてもあの表情は私には油断にしか見えなかった。それにアナウンサーは繰り返して「奥川君はキャッチャーの山瀬君と小学校からのバッテリー」を強調していたが、それだけで甲子園で優勝出来るものではない。問題は奥川君の特徴を如何に活かす配球をするかだろう。

奥川君は150 kmを超える直球をビシビシと決める高校生離れした能力を持っていると私は見ていた。即ち、私の考えではその快速球を軸にしてピッチングを組み立てるのだと思っていた。ところが、あの決勝戦では意外や意外奥川君は変化球を主体にしたかの如く三振を取りに行く投球ではなく、寧ろ外していくような組み立てになっていた。それにも拘わらず、あの試合では制球力が整っていなくて全ての球種が高めに流れていたのだった。その最悪の結果がスリーランホームランになった高めのスライダーで、あの一球で試合を壊してしまったと私は見ていた。

要するに「小学校からのバッテリーである事」は勝利に結びつかなかったのだ。この辺りが勝負の怖いところで、ベンチから監督が余程細かくシグナル(「サイン」というのはカタカナ語であり意味を為さない、念の為)を送って、バッテリーを指導しておくべきだっただろう。ベンチから守備中に指示しないでも、ベンチに戻った時に組み立てを注意していたのかと疑っていた。私の言いたいことは「そこが勝負の分かれ目だった」との点である。即ち、山瀬君は投手と当日のどの球種が一番良いかを事前に綿密に打ち合わせておくべきだったということ。

子供のやることを超後期高齢者が批判しても意味はないと思うのでここまでにするが、非常に緊迫した一定以上の技術水準に達している両高校が非常に良い試合をしてくれた。履正社はあの兵庫県の高温多湿に馴れていたのだろうが、あの苛酷な条件の下にまだ身体が出来上がっていない高校生たちに連日連夜試合をさせるのを、もうソロソロ朝日新聞も高野連も本気になって考え直すべきだとあらためて言っておきたい。あの期間中に大阪市内の京セラドームで阪神が野球をやっていたが、その空き時間の昼間にあのドームを活用する企画でも立てたらどうだろう。

「何、甲子園は高校生たちの聖地だから譲れない」だと。そんなのは時代感覚の欠如した野球馬鹿の言い分だ。高校生たちの健康問題に気を配るのが当然だろう。終わりに優勝した履正社高校にお目出度うを言って上げよう。実は何を隠そう、私は高校2年の時にあの大優勝旗に触ったことがあったのだ。それは昭和24年にたった一度だけ出た我が母校の野球部が優勝して、あの優勝旗を持ち帰って学校に飾ってあったのだ。