新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

辛い試合だった対サウジアラビア戦

2019-01-22 16:29:47 | コラム
矢張り中近東でサッカーをやるのは辛いな:

21日夜の対サウジアラビアとの試合は、開始時刻が日本時間の20時だったので体調を心配せずに安心して観戦することが出来た。だが、安心だったのはこれだけのことで、試合の内容は厳しかったし、相手と審判も一筋縄ではいかなかったと思う。両国代表がボールを支配した時間が77対23で圧倒的にサウジアラビアだったことが示したように、兎に角我が代表は「よくぞ防ぎきり、少ないチャンスを活かして1対0で勝ったものだ。偉い」というのが偽らざる感想である。

テレ朝の中継は松木安太郎がしゃべり過ぎでうるさいから敬遠しているが、確かNHKのBSで解説した山本昌邦が「早くレフェリーが反則を取る基準を見極めないと」と言っていたと思うが、ウズベキスタンの主審と旗振りの判定には「流石、中東の笛か」と思わせる場面が多々あった。この辺りは我が代表も森保監督も計算の上だったと思うが、それに加えるに77%もボールを支配されて攻め続けられたのだから、選手たちはさぞかし大変だったと思って見ていた。

忌憚のないところを言えば「サウジアラビアの連中は球扱いには大いに優れており、我が代表のデイフェンスをものともせずに中盤を支配し、恐らくこぼれ球(ルーズボールなどとも言うようだが)の90%は拾って積極的に攻め続けていた。ということは、それほど我が代表はクリヤーリングが不正確でこぼれ球を拾って攻撃の起点にできなかったということでもある。敢えて相手に拾わせていたのならば話は別だが、私は次の試合(相手はベトナム)に備えての大いなる修正点だと思う。

サウジアラビアは80%に近い間ボールを支配しながら1点も取れなかったのは、我が方の酒井宏樹、富安、吉田、長友と並んだデイフェンスバックス陣の裏を最後まで取れなかった単純な攻め方に原因があったのではないかと思っている。言葉を換えれば、それほどその4名に柴崎、遠藤が下がって良く守ったことに加えて、原口以下のオフェンス陣が前線で良く動いて、相手の攻撃陣を思うように速やかに前に進ませなかった懸命の動きが良かったと思う。

実は、この試合開始前には全く何の閃きもなく、果たして我が方が勝ってくれるかどうかを全く予想も予感もできなかった。だが、試合が始まってみればあれほど目一杯にボールを支配される展開になってしまったのには驚かされたが、不思議なことに観戦中は「勝てる」とだけしか思い浮かんでこなかった。それほど我が方が良くも凌ぎきったのであるが、何と言っても不安だったのがレフェリーの判定だった。こういうことを言うべきではないとは知りつつも、今言っているほど疑問な点が多かったのが怖かった。即ち、何時10人で戦わねばならない局面になるかと危惧していたのだ。

この試合では我が方には誰も批判せねばならないと思う者はいなかった。だが、気懸かりだったのは南野も堂安も何となくガス欠かと思わせるほど勢いがなくなってきていたし、原口も一頃の何試合か連続で点を取っていた頃の切れ味が全く見えないのは不安材料かと思った。残る懸念材料は「この試合のようにデイフェンスバックスの4名にあそこまで依存していれば、対戦相手もそこを如何に攻めるかを研究してくるだろうし、彼らの疲労度も原口とは違う意味で不安になる点」ではなかろうか。

解説者の誰だったかが、「決勝まで行けば当たる相手は韓国では」と言っていたのも、最近のあの国との望まざる軋轢を考える時「あーあ、また彼らを相手にするのか」と少なからず不安なというか暗い思いにさせられる。彼らは元々弱い相手ではないのだが、我が国を相手にした時の異常なというか敢闘精神に満ち溢れ過ぎた強さを発揮する試合振りには、これまでに何度も何度も嫌な思いをさせられたものだった。ではあっても、何としてもそこまで行って、必ず叩き潰し貰いたいと今から願っておく。


他国の民度の考察

2019-01-21 07:18:05 | コラム
我が国の民度の高さで他国を考えるな:

私はここで我が国と余りにも多くの軋轢を生じさせてくれる韓国の民度を考えて見ようと考えた。だが、その前に私が従来から唱えてきた「アメリカには知的水準が低い者が多く100人に1人しかまともな知的水準にない」を採り上げてみよう。そう言う根拠の一つには1994年7月に当時のUSTR代表、カーラ・ヒルズ大使が指摘した「アメリカの対日輸出を増加させる為には労働者階級の識字率の向上と初等教育の普及が必要だ」があることも確認しておこう。

ヒルズ大使は我が国では教育水準が高く、それに伴って民度も高く洗練された労働力を備えているとご存じだったと解釈して聞いた。その民度と教育程度の平均的な高さは世界でも最高水準にあると、私は経験上からも確信している。そこで言えることは「他国も我が国と同等の水準にあるのだろう」などとは考えてはならないことだ。例えば、「我が国で識字率の心配などした経験がある者がいるか」を考えて見れば、直ちに解ることだ。

そのアメリカには、現在では私が低水準を論じた20数年前と比較すれば、に6,000万人もの知識的に低層に属する移民を中心に人口が増えたのだから、全般的には以前よりももっともっと知的水準が低下した者たちが増えたと推理して良いだろうと考えている。トランプ大統領は賢明にもそういう階層からの支持を取り付けることに成功したので、現在でも支持率が高く虎視眈々と再選が狙える状態にあるのだと見ている。

その程度の教育水準にある国民(所謂少数民族だが、アメリカでの表現は“minorities”と複数になっているのを忘れてはなるまい)が圧倒的に多くなってきたアメリカが「日本は同盟国であり、安保条約を結んでいるのだから、我々が犠牲を払っても守ってやるべきだ」と、イザという時に立ち上がってくれるだろうかと、私は不安に思っているのだ。

そもそもあの広いアメリカの白人も含めた一般大衆は自分の生まれ育ったか、または居住している州のことしか知らないかまたは意識していないので、世界というか海外の事情にも疎く、日本との間柄などは対日関係の業務にでも従事して者以外は極めて関心が低いのが普通だ。であるから、日本と安保条約があるとか同盟関係にあるかなどについては、無関心な者たちが圧倒的に多いのだと言って誤りではないと、経験上からも指摘できる。

同盟国のアメリカですらこの状態であるから、反日無罪、抗日も無罪の教育で育ってきた国民が構成する韓国民が如何なる思考体系と知的水準にあるかなどは論じるまでもないと事だと思う。そこにあるのは感情と情緒だけだし、大方のマスメディアの報道も常に対日悪感情を煽ってきた。その日本敵視(と言って過言ではあるまい)政策の頭目が文在寅大統領である。彼ら韓国民の民度も疑わしいと思わざるを得ないのだ。

私はかかる情勢下にあっては、「文在寅大統領以下の韓国民につける薬を開発しよう」と意図することからして無駄だという気にもさせられるのだ。とは言っても、効果があるだろう薬を開発して欲しいという願望は捨てきれないのだ。正直にい言えば「これ以上不快な念を味合わされては堪らない」のであるから。政府の奮起に期待したい。

それは韓国との関係を改善して友好国として付き合っていき、その国民とも親しくなろうという意味などではなく、何とかして彼らの無法且つ不法な非難攻撃や中傷から我が国と我が身を守るかと言う意味で言っているのだ。

私には不思議に思えてならないことがある。それは、大統領以下があれほど我が国に対して何らの善意を示さず、嫌っているとしか思えない国から毎年のように7~800万人も観光と称して訪れている事実だ。「嫌いならば来なけりゃ良いのに」と思わせられてしまうし、そんな連中をも含めて観光客を増やしたいと願っている政府も何かが間違っていると思えてならない。「世界では我が国の国民のように高い民度を維持し、物事を善意から考えている者たちは極めて少ないと思うべきではないか」と言って終わる。


1月19日 その2 日本・アメリカ・韓国の関係を考える

2019-01-20 11:29:36 | コラム
韓国の北(左)傾で益々微妙になってきたのでは:

私には未だに文在寅大統領が確信犯的に確固たる理論的裏付けがあり、側面から支援する学者なり何なりの所謂ブレーンの組織が整った大統領なのか、あるいは単なる金正恩委員長以下のDPRKに操られた傀儡なのかの見極めがつかないのである。確かに同一民族で構成された国であるDPRKとの統一国家が出来れば歴史的な偉業だろうし、朝鮮半島に核を持つ世界有数の経済力を備えた国家が成立のだから、立派な業績となるだろう。

だが、現在の世界情勢はかかる単細胞的な大統領の野望(ambitionで良いだろうが)だけで事が進む状況下にはないと思う。私はアメリカにトランプ大統領が出現し「アメリか第一主義」を自らが思うがままに推し進めようと立ち上がった辺りから、世界情勢は簡単なようで複雑な事態に巻き込まれてきたと考えている。そこで思い出したことが、何十年前だったか時の大統領を風刺した漫画に“Where are the allies?”という吹き出したつけられていた点だった。気が付けばそこにもアメリカを支援する国がいなかったという意味。

現時点でも、トランプ大統領の自らが思われたこと(「のみ」と言える気もするが)を強引に推進させる手法では、何時かは同様な風刺漫画が出てきはしないかとすら危惧させてくれるところがあるように思えるのだ。しかも側近や反対する閣僚が多数入れ替わってもトランプ大統領は飽くまでも忠実に選挙公約を守って行かれようとする方針に変わりはない。この度の国境の壁関連の予算問題などは典型的な例であろうか。

実はこんな大統領批判のようなことを論じたかったのではない。トランプ大統領はミサイルを次から次へと開発し発射実験を繰り返してアメリカに迫ったDPRKと金正恩委員長と退治すべく立ち上がられて、自国とDPRKに国境を接する韓国と安保条約を結んだ同盟国である我が国の為に眦を決して崇高なる目的の為に世紀の大事業である金正恩委員長との会談に臨まれ、非核化を追及されたのだった。DVICだったかが前提のはずだった。

ところが、肝腎の日本・アメリカ・韓国という緊密な間柄であったはずの一角である韓国に、一音階調子が狂った大統領が現れて、ここでも崇高なる南北統一の実現に向かってひた走りだしたのだった。文在寅大統領が掲げる旗印は「アメリか第一主義」にも似たところもあるかの如き「南北統一第一」で、その目的の前には何事もないとでも形容できるのだが、彼に何処までも確たる信念があるのかとか、彼以前には表向きだけでも友好国だった日本とアメリカとの関係を維持する気があるのかすら不明なのだ。

トランプ大統領は2月末には金正恩委員長との2度目の会談を実行と発表された。私はDPRKが完全な非核化に突き進むとは思えないが、トランプ大統領対金正恩委員長の会談の結果如何では「韓国に対するDPRKの南進や核兵器による攻撃の危機の危険性が激減するだろうから、アメリカ軍を韓国に駐留させておく意味がなくなるか薄れていく」のは確かだ。即ち、南北統一が限りなく近い状態に入っていくとすれば、核兵器による攻撃の標的は我が国になってしまう危険性も生じるのだ。疑問は「果たしてトランプ大統領はそこまでお考えのことなのか」なのだ。

韓国は既にアメリカのとFTAにも合意しているが、我が国はTPPも発効したことだし、トランプ大統領が積み残された19の公約中の3項目の一つである「対日貿易赤字削減」という大課題の実現には障壁の如くに立ち塞がる我が国に対しては不満をお持ちだろうとは思う。即ち、DPRKとの交渉が進めば進むほど、韓国は北に近くなっていき、もしかすると高麗連邦国のような国が出来てしまうかも知れず、我が国は現在よりも不安で不安定な対北アジア情勢に曝されることになりかねないのではないか。

「対北アジア」と言ったが、そこには勿論中国がある訳で、先頃の金正恩委員長の北京訪問での習近平主席との会談を見る時に、我が国のアジアにおける位置と安全は従来とは別な形で難しくなってくることが想定できると思う。その時に当たってトランプ大領は何処かに「新冷戦時代」と呼んだ学者がいたように、中国との関係を何処までこじらせる意図があるのかまたは、または完全屈服させるのか、何処かで一線を引かれる気なのかなどは将に“unpredictable”の極みにあると思う。

私は安倍総理の任期が切られているのも何となく我が国には好ましくない条件かと思っている。と言うのは、総理は恐らく現在の諸国の指導者の中で最も交際範囲も広く、外交接能力も維持しておられると見ている。だが、隣国の大統領にはそういう能力はなく、出来たとしても告げ口外交程度だろうから、これから先益々困難になっていく国際情勢の先行きをどこまで読み切れるのかという心配があるのだ。

だが、もしも遠からぬ将来に新高麗連邦国のような国と中国が組まれれば、そこには恐らくロシアも参加すると考えられるので、世界の情勢は「新冷戦時代」どころではなく「新覇権闘争時代」とでもなりかねないのではとも考えている。私程度がそんなことまで危惧している時期に、憲法改正すら阻もうとする野党とマスコミと反日日本人一派がいるのが恐ろしいと思っている今日この頃だ。


対韓国問題を考える

2019-01-20 10:13:44 | コラム
落とし所など探るべき性質ではない:

先日のPrime Newsでは司会の松山が「落とし所の有無」をゲストに尋ねていた。まさか彼が本気で落とし所があるとでも想定して尋ねているとは思わなかったが、私は絶対に落としてやるべき案件ではないと思う。報道にもある通り、韓国は最新の国防白書では如何にも我が国が(仮想であれば良いが)敵国と看做しているが如くに思わせる記述があるではないか。私は「如何なる根拠で、かかることを記載したかを問い詰めても良いのではないか」とすら考えている。

私はこれまでに何度も何度も我が国の国際交渉の拙さと言うか「論争と対立を怖れる腰の低さと弱さ」を嘆いてきた。そこには我が国独特の文化というか美風でもある相手の立場に配慮し、妥協点を探るような論旨を展開するか、交渉相手の顔を立てることを考慮するような優しさがあったと経験上も指摘して来た。ビジネスの折衝の場でもこの姿勢は相手に「与し易し」と思わせるのだから、国際交渉の場でも相手は予めそこを計算して臨んでくると十分に考えられる。

私は韓国などはその典型的な質の悪い交渉相手だと看做してきた。それはカタカナ語に言う「タフネゴシエーター」などではなく、対日無罪と反日無罪に裏付けられた単なるこじつけの議論だけなのである。言うなれば筋の通らない「屁理屈」(私がアメリカ人に教えられた言い方では“forced analogy”なので、上手いことをいうと思った。だが、和英辞典には“quibble”と出てくる)ばかりだ。私は我が方が正当な非難の理由がありながら、彼らとの折衝で何故真っ向から論破して屈服させないのか奇異に感じていた。

私が真っ向から叩けという理由は「論旨を正当に組み立てて、筋が通った根拠を示して議論すべきであり、妥協点などあり得ないことを見せつければ、結局は相手は降参する以外にないと何時かは観念するだろう」との点にある。相手が勝手に落ちるのを待つだけに持って行こうという考え方だ。それなのに、何故か韓国は執拗に反抗して粘ってくるのだ。と言うことは、そこには何かそれなりの「隠匿せざるを得ない事情でもある」のかも知れないとまでは思いが至っていた。

その点について、今朝ほどフジテレビに登場された東海大学山田吉彦教授はDPRK関連で知られてはならない事情があったのではないかと説明されたが、確かにDPRKの漁船を救助するのに、駆逐艦や海上警察の船がそれぞれ1隻も出てきたのには無理があるしいと思わせるのだ。韓国側でもこの番組を見ていただろうから、またもや抵抗してくるか「最早これまで」と諦めるかの何れかだろうが、私は前者を選択すると思って見ている。理由は簡単で「相手は仮想敵国なのだから」だ。

事ここに至れば「韓国につける薬」を開発して下さる学者か研究者が現れたら、即刻ノーベル賞者に「ノミネート」(立派なカタカナ語だ!)したいと考えている。


近頃気になること

2019-01-19 15:17:47 | コラム
矢張り「だから言ったじゃないか」の事態だった:

*アメリカの上層部に伝わっていなかった韓国のレーダー照射の件:

18日夜のPrime Newsに出演した自民党総裁補佐の河合克行議員が(私に言わせれば「何を今更」だが)最近アメリカに出張されて、上院議員10数名と某有力シンクタンクの会長とに、この韓国駆逐艦の我が国の哨戒機へのレーダー照射の件と韓国の対応を語ったところ「知らなかったと言った者が多く、シンクタンクの会長に至っては椅子から立ち上がらんばかりに驚いて見せた」と語っていた。

私が好む表現を使えば、将に“Better late than never.”以外の何物でもなく、語ってこられたのは結構なことだ。だが、河合氏が何か手柄でも立てたように語るべき案件ではないのである。勿論、これぞ将に私が永年指摘し続けてきた「(英語による)海外への情報発信(提供?)不足」の典型的な悪い(良い?)なのである。韓国側の無礼な言動については、国内では官房長官の談話等で十分に(?)に報じられているし、正常な感覚の持ち主であれば韓国の不当性は良く解っているはずのことである。

ところが、我が国では外務省の不行き届きか在外公館の広報宣伝活動が不十分なのか、我が国の内閣乃至は担当官庁の正式な見解や意見等が英語乃至は各国の言葉で十分に諸外国に広まっていないのである。菅官房長官が記者会見で穏やかな口調で韓国の「日本が無礼だ」という発言を非難して見せても、在日の外国人(アメリカも含めて)たちは期待通りには反応し自国に「重大案件」としては送信してはてくれていなかったようなのである。

私は諸外国に我が国の正当性を広める為には外国人記者クラブにでも出向かれて正式に韓国の非を咎め立てるくらいの思い切りがなければ、我が国の正当性は愚か、事件があったこと等報じては貰えないと思っている。そうでもしない限り、韓国側の逆宣伝の方が先に広まってしまう危険性が高いだろうし、韓国側はこれまでにもそういう我が国を貶めるロビー活動をイヤと言うほど行ってきた実績があるではないか。兎に角、安倍内閣の甘さにはウンザリだし、「だから言ったじゃないか」となるのだ。

未だに「この件の落とし所は」などという議論をフジテレビの松山がしていた。そういう場合ではないし、そういう形で決着をつけるべき案件ではない。相手が怯むまで徹底的に叩かないと、韓国は最初から「日本与し易し」と高を括ってきている危険性すらあると思っているべきだ。国際的な論争のでは「言うべき事は全部言うべき」であり「言わずとも相手が察するだろう」は通用しないのだ。英語で何か言えれば良いっていう問題ではないのだ。「論争と対立」を怖れていてはならないのだ。

*稀勢の里、故市原悦子、市川海老蔵等の過剰報道に思う:
我が国のテレビ局は何が何でも非知識階層を相手にして視聴率を稼ぐことにしか神経を集中していないので、ニュースを見ても上記の対韓国問題よりも芸能ネタに重きを置いているので、ここに採り上げた方々の話題を優先して報道しているのだ。それが営業方針だと言われれれば「そうでしたか」と言って引っ込む以外ないのだ。だが、私が何年も前から見込みがないと断言していた稀勢の里を郷土の英雄に仕立てて、その引退を繰り返し残念がってみせるのには呆れるほどだ。

市原悦子さんは確かに個性豊かな女優さんだったとは認めるが、故赤木春恵さん同様に一気に杉村春子並みの大女優としてその死を悼んで見せてくれた。芸人については人それぞれの好みがあるから何とも言いようがないが、国内外の政治・経済・外交問題に優先すべき事なのかなと思わせてくれた。海老蔵の来年の襲名の件もさることながら、彼の学齢にも達していない子供が良い演技をしたと、亡き母が草葉の陰で云々と言い募るのは勝手だが、あの子はそういう家に生まれた以上、年少者でも舞台を務めるのは当然であり、それに感心して賞賛しろの何のと騒ぐのはおかしなことなのである。

尤も、テレビ局には対韓国問題を矮小化しようと企む連中がいて、敢えて芸能や興行の話題を誇張して採り上げようとしているのだと疑えないこともない。その結果は大久保通りには既にチャンと現れていて、あの何とかドッグというジャンクフードに群がる若き女性があれほど増えているのだとも言えるかも知れない。あーあ。