新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月18日 その3 冷静にして心配性な私は

2018-09-18 16:54:53 | コラム
大坂なおみが一寸心配だ:

明日彼女は東レのトーナメントに出場するそうだが、心配性の私は一寸気懸かりなのだ。そこにいくつかの理由があるが、先ずはマスコミの持ち上げ過ぎと騒ぎ過ぎを挙げたい。恐らく彼女は日本語の新聞は読むまいし、読めないだろうが、テレビ各局の持ち上げ過ぎは気になる。あの女性は年齢の割に落ち着いているように見えるから自戒する余裕があるのだろうが、あれだけ方々に出演して特集されれば「ひょっとして自分は偉いのでは」と思うことがありはしないかと懸念している。

私事で恐縮だが、1994~95年にかけて「アメリカの製紙会社の実力恐るるに足らず」であるとか「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の違い」を業界内等方々で講演して回っていた時にもっと恐ろしかったのは、行く先々で「先生扱い」して頂くことだった。自分はそれに相応しくないと心得且つ自戒していても、一寸気が緩めば、のぼせ上がりそうになるし「もしかして俺も大物だったか?」などと思うこともあった。しかし、60歳を超えた私は何と踏み止まることが出来た。

その辺りのように不要に「チヤホヤ」されることが怖いのだ。煽て上げられれば誰にでも自惚れる危険性があるという意味だ。なおみさんが何処まで耐えているかだし、精神面のコーチが付いているそうだから、その点は抜かりがなかったと期待している。

次は忌憚のないところを言うが、あのUS Openでの優勝が「出会い頭」的ではなかったという危惧である。私は如何に彼女に素質があったにもせよ、あそこまでの表舞台での限られた経験で世界的な大試合で優勝出来るだけの本当の力が付いていたのかという疑問である。私が常に述べて来たように勝負には運・不運はあるが「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」なのである。「勝った者が強いのだ」が大原則だが、大坂なおみが勝ってしまったところに運・不運はなかったのかという疑念である。

確かにセリーナ・ウイリアムスは要らざる不当な感情の赴くままの抗議をした。その為に1ゲームを失ってしまった。それが勝敗に大きく影響したのも確かだと思う。そういう幸運を引っ張り込んだのが大坂の実力だったのか、出会い頭だったかはテニスを知らない私には不明なのだ。但し、間違いない事実は「あの幸運の1ゲームを活かして、運を自分の味方にしてあのセットを勝ち取ったのが大坂なおみの実力だったのかも知れない。私が解らないのは『あの時点でそこまでの実力があったのか』」ということ。

次なる心配事というか期待は「東レのトーナメントでどのような試合をして何処まで勝ち上がっていけるか」なのだ。それ即ち、あのUSOでの優勝が出会い頭だったか、本当の実力が付いた成果だったかが明らかになるということだ。恐らく参加する世界2~4位のランクにある連中は「ポッと出の若者を叩いて目に物見せてやろう」とばかりにかなり力を入れて当たってくるだろう。「出会い頭であったか否か」は、そこで何処までやれるかで明らかになるだろう、非常に怖いトーナメントであると言うことだ。

勿論、彼女のコーチを始めかなりの人数になっている「大坂なおみとそのグループ」はそれくらいは良く解っていて、それに対する備えが出来ていなければならない。私の心配事は「帰国(なのだろう)以来テレビ等のメデイアに引っ張り回されて十分な練習の時間が取れていたのか」なのだ。テレビは録画で撮りだめしたとは思っているが、その辺りの調整が上手く出来ているのだろうと希望的に考えている。要するに、下手な試合をするとUSOの勝者の鼎の軽重が問われる結果になるのだ。

私は結論としては「優勝する以外ない」のだし、また「優勝して見せてくれる」と期待したいのだが。マスコミも何時までもカツ丼を食べたかとか、抹茶アイクリームがどうのというような下らないことばかり訊くなと言っておきたい。大坂なおみは芸人ではないのだ。運動の選手なのだ。ゴシップの世界に引っ張り込むなと、玩具にするなと言うこと。



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