新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国とアメリカの会社を比較してみれば

2024-06-16 07:39:55 | コラム
アメリカの会社と会社員は何処か違うのか:

*事業部長(general manager)は全権を持っている:
解説)これまでに何度も説明してきたことで「彼(または彼女)は製造・販売・営業・人事・総務・経理・福利厚生等の全ての権限を与えられている。我が国との顕著な違いは、アメリカには我が国のような権限を持つ人事部が無くGMが時と場合によってその判断で人員の採用と整理を行っていくのだ。我が国の会社では事業部の本部長と雖も、ここまでの権限を得ていないと思う。

また、部門内や社内で年功序列と経験と実績に応じて、段階を踏んで課長、部長、本部長、取締役のように承認していく世界ではない。取締役は社員から選ばれるのではなく、他社の社長や同じ地域の銀行の頭取、弁護士が選ばれていく。副社長という地位は我が国の取締役辺りと同等かと思う。

*個人の能力が基本になっている:
解説)事業部の人員は必要に応じてGMが採用した即戦力となる中途入社した者たちで構成されている。私が勤務した大手製造業の会社では4年制大学の新卒者の採用なしないのが一般的である。新人を育てて使おうという考えは無い。各人には部内の誰とも重複しないような業務が「職務内容記述書」によって割り当てられており、彼等は自己の能力と責任の下に課された任務を全うしていく。我が国のように「皆でやろう」とか「チームワーク」のような考え方はせずに、飽くまでも個人の力が基調にある。

重ねて言うが「個人が単位」であり、相互に助け合うとか援助しあうことなどないのが普通である。そうである以上、各人の下には部下などいないのが一般的であり、援助か補助をして、不在中を補ってくれるのは秘書だけである。

*遅刻/早退という観念は無い:
解説)近年我が国でも「Job型雇用」などと言われ始めたが、当方には何を言いたいのかサッパリ解らないし、これに相当する英語の表現もないと思う。個人の能力が基調になっていて、各自に夫々の仕事が割り当てられている以上、各人が自己の責任において業務を消化していかなければならない。だから、その日のうちに仕上げるべき仕事を消化出来なければ翌日の仕事に差し支えるので、何時になろうとやり終えておかねばならない。

また、その日の仕事量が膨大だと解っていれば、早朝何時であろうとも出勤して取りかかるのだ。反対に、余裕がある日であるとか取引先との約束が遅い時刻に設定されているような場合には、悠々と9時過ぎに出社する者もいる。また、仕事が早く終われば午後3時にサッサと帰っていくこともある。要するに、各自の仕事の都合で出勤・退勤を決めているので「遅刻」や「早退」という考え方が無いのだ。

因みに、本社では8時~17時と設定されている。我が事業部の副社長の車は何時も駐車場に朝7時には停められていた、それも誰よりも早く来たと解る位置に。また5階建ての本社ビルの最上階はCEO以下executive vice presidentとsenior vice presidentのofficeがあり、その階の電気はどの階よりも早く点灯し、最も遅くまで消えることがない。ところが、事業部内の誰もが「そんな事は当たり前。年俸が最も高いのだから」と言うのだ。

*福利厚生の観念は乏しいのでは:
解説)本社ビルは市街地から40km以上も離れている為か、ビル内に広大なbuffetも、ジムも、理髪室も、売店も完備しているし、本社ビルの周辺にはジョギングのコースまで準備されていて、ジムと共に何時でも「気分転換」に業務中でも利用して良いとなっていた。だが、地方都市にある工場ではそうはいかず、組合員用のロッカールームもシャワーも食堂もリクリエーションの設備も無いのが一般的だと思う。

何故そうなのかを尋ねたことも無かった。だが、思うに我々(彼等組合員たちも)は会社に生活の糧を稼ぎに来ているのであり、その場に福利厚生というか、温かい取り扱いを期待してはいないのでは。それに、組合員を除けば、いつ何時他に良い条件の仕事が辞めて知れない者たちを優遇して引き留めて置くことなど考えていないと思っていた。故にと言うか何と言うべきか、アメリカの会社員たちの会社に対する忠誠心は我が国と比較すれば乏しいし、帰属意識もまた希薄であると思う。

*Rank and title:
解説)取りあえず「地位と肩書き」とでも訳しておこう。これは「年俸制」と関連する話である。アメリカの会社では「日本式に新卒者が入社してから年功と共に段階的に地位が上昇して管理職の肩書きが与えられる仕組み」はない。だが、アメリカの会社組織では専門職に中途入社の(と言うか随時適材を採用して)人材を当てていくので、その者が日本式に段階を踏んで課長や部長に昇進する仕組みにはなっていない。業績次第で年俸は増えても地位は上がらない仕組みなのだ。

要するに「専門職」として営業担当に採用された者が、華々し実績を挙げて副社長に任じられたなどという話は聞いたことがない。彼等にはmanagerのtitleは与えられるが、これはtitle即ち肩書きであっても、管理職という地位ではなないのだ。また、年俸制の世界では職務手当も通勤手当も何も、一切の手当は無いと思っていて良いだろう。

現に私はWeyerhaeuserに入社した際には「専門職である以上、東京事務所における地位は上がらない」と言い渡された。これは事業部長のような管理職には通常はMBAで、社内または他社で十分な経験を経た精鋭が任命されるのがアメリカ式の経営の体系であるという意味だ。換言すれば「地位の垂直上昇は無い」という世界。

*経営者と管理職には工場等の現場の経験者はいない:
解説)この点は余り論じられた事はないと思う。それは「会社とは別個の組織である労働組合に所属する組合員が、会社側に転じていくことは例外的にしかない」のだから当然である。そして、即戦力として採用される4年制の大学の出身者も、ビジネススクールMBAを取得した者たちも、組合に所属して生産の現場を経験してあることもまた例外を除いてはあり得ないからである。

言いたくはないが、製造の現場を見たか視察しただけの経験しかない人たちが、工場を管理・監督し指揮命令する地位に就いて運営していくのである。私は22年間に現場の勤務を経験した本社内の管理職に出会ったことはなかった。こういうことまで承知してアメリカ経済を論じている人が、我が国にどれ程おられるのだろうか。

*結び:
アメリカの会社は我が国の会社とこれほど違うのだと認識出来ていた専門家や有識者の方がどれ程おられるだろうか。ここまで述べてきたこと以外にも相違点はあると思うが、それはまた機会があれば論じてみようと思う。


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