新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

目下減量に努力中

2017-06-28 08:20:09 | コラム
主治医に注意されて:

5月16日の国際医療研究センター病院での定期検診で主治医に体重が58 kgに迫りつつあると申告した際に、57 kg以下を維持するよう警告された。体調が良くなれば、栄養分を吸収する力が付いてきたと勝手に考えて、余り考慮していなかったようだ。そこで、それ以降懸命に減量に努めているところだ。思い起こせば、2006年1月16日に1度目の心筋梗塞に襲われた時に救命処置後に病院で測った体重は何と62 kgで、我ながら「それほどあったのか」と驚いたものだった。

ご存じの方は多いと思うが、体格に比して多過ぎる体重は心臓に病を抱える者にとっては、過剰な負担がかかるのであってはならないことである。そこで(僅か?)19日後に退院を許されたので、そこから本当に一生懸命の減量に入っていった。カタカナ語排斥論者としては「ダイエット」などとは言わないよ。

その方法はOxfordでdietを見ると”a low-fat, salt-free diet”というのが出てくるが、将にそれだったのだが、私の場合にはそれに”low carbohydrate”、即ち、炭水化物を減らすことを加えたのだった。これは簡単に言えば、米飯と麺類を可能な限り遠ざけること。塩分は看護師さんからも指導されて1日6~8 gとなったが、この量を実際に量って見てその少なさに驚愕した。尤も、病院内での食事にはほとんど味がなかったので、その少なさの見当は付いていた。また、間食は絶対に近いほど止めることにしていた。

この食事療法は家内にも苦労と迷惑をかけることになったが、極端に言えばほとんど塩味がなく脂っ気がない食事をすることで、何を選んでどのように調理するかは容易ではなかったと思う。また、食べる方は「それが生き残る為に残された数少ない手段である」と思えば、それほど苦とは思えなかったので、対策の結果が出るまでじっと我慢して続けようと思っていた。

結果は6ヶ月で8 kg減量の54 kgとなって、そこから先は徐々に、本当に徐々に脂肪分、塩分、炭水化物を増やしていって見た。私はそもそもが戦時中の育ちなので、戦後の物がない時代では「ある物を食べる」という食生活を経てきたので、何でも食べるのには慣れていた。当時をご存じでない向きには「お米」などは貴重品だったので、米飯には執着がなかったのは助けになった。

また、1972年以降はアメリカでの食事と、アメリカ人と日本国内を行脚する生活に入ったので、益々米飯から遠ざかって行った。そこでは、戦時中と戦後の食生活に慣れていたお陰で、お米を食べないか食べる機会がない生活に何らの抵抗感もなかった。ここでお断りしておくべきことは「ライスですかパンですか」の選択を迫られるのは我が国だけの現象で、アメリカではパンそのものが選択制だと認識している。

換言すれば、あの不味くて直ぐ胸焼けがするアメリカのパンなどは、何日でも食べないでいられるのだ。「ライス」などは勿論選択肢にはないし、我が国のような米飯などは日本食レストランにでも行かない限り出てくる訳がないのだ。なお、確認しておけば、私は日本駐在員であってアメリカには出張で行っていただけで、留学も駐在も経験していなかった、念の為。

ところで、今回の減量作戦である。今回は脂肪分抜きや減塩はさて措いて、炭水化物を極限までに減らすと共に、米飯は言うなれば週に一度程度に止め麺類も極力遠ざけて、食事の量も楽しみの外食も週に1回とするなど大きく減らしてみたが、1ヶ月以上たった今でも特に体力と気力に支障はないと思う。なお、私はアルコールは体質に合わないのでもう20年以上もビール1杯すら飲んでいないし、喫煙は生まれてから経験していない。

もう一言追加しておくと、在職中には後に心筋梗塞の原因となったのではと当時の主治医に指摘されたアメリカでの食事による体重の増加を防ぐ為に「良く噛む減量法」とでも言えば良いことを1ヶ月ほど続けて1 kgほど減らせたことがあった。これは「良く噛むことで時間がかかり、体が自然に満腹感を覚えて沢山食べられなくなる」のだそうだ。しかし、減量できた後にアメリカ出張があって、減らした以上に増えて帰って来たことがあった。

今回はこの「良く噛む方式」も加えてみている。昨日までの成果では、5月17日の瞬間風速?58.20 kgから6月27日の時点で56.50 kgと1.7 kgの減量となっていた。2006年8月には54 kgまで下がっていたことを考えると、未だ未だ努力を続ける必要があるのかも知れない。だが、「減量し過ぎで寿命に影響するのでは何にもならない」との懸念もあるにはある。



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