高校のバスケットボールの全国大会を見て:
28、29日と徒然なるままに高校の何とかカップという、男女の決勝戦を見る機会があった。そこで非常にと言うか、あらためてと言うか印象的だったことは、男女の4校の中心となっている長身の選手が皆アフリカ系の父親を持つ者たちだった点だった。こういう現象と言うべきか傾向と言うべきか知らぬが、ヴァレーボールの世界にも群を抜く長身の優秀な選手が現れている。
また、野球界には楽天イーグルスのオコエ君がいるし、陸上競技の短距離走者には将来有望なサニブラウン・ハキーム君がいる。近年のオリンピックや我が国で開催される大きなマラソン大会で断然たる強さを発揮して優勝するのはアフリカ勢で、彼らの卓越した身体能力と優れた運動神経を見せつけられている。更に、一部の国にはそういうアフリカの優れた選手を帰化させた上で代表としてオリンピックに出している。
私は以前に「このままに推移せんか、オリンピックや世界選手権等がアフリカの諸国の代表が覇権を争う場になってしまうのではないか」と述べたことすらあった。その流れと言うべきか傾向というか俄に判断できないが、我が国にもアフリカ系の親の下に育った優れた選手(近年はカタカナ語で「アスリート」などと表現しているが)が明らかに増えてきた。彼らが順調に成長すれば、オリンピック等でも良い成績を残す時代が来るかも知れないとも考えられる。
言葉を換えれば、グローバル化かどうか知らないが、我が国にも(ここ新宿区百人町/大久保界隈に顕著に現れている傾向のように)中近東やアフリカの諸国から流入してくる者たちが増え続けていくことだろう。それが更に所謂「国際結婚」に発展していけば・・・とも考えて見れば、スポーツの世界には優れた能力を持った外国人を親のどちらかに持つ者が増えていくのではないだろうか。そういう選手たちの中には勿論白人と言うか欧米人を父に持つ者もいる事を忘れてはなるまい。
私にはこういう在り方が歓迎すべき事か、あるいは選手の強化策に繋がっていくものになるのかは全く解らない。だが、時代乃至は国際化というものは諸外国に対して保守的だと思われてきた我が国にも、明らかに変化をもたらしている気がするのだ。
28、29日と徒然なるままに高校の何とかカップという、男女の決勝戦を見る機会があった。そこで非常にと言うか、あらためてと言うか印象的だったことは、男女の4校の中心となっている長身の選手が皆アフリカ系の父親を持つ者たちだった点だった。こういう現象と言うべきか傾向と言うべきか知らぬが、ヴァレーボールの世界にも群を抜く長身の優秀な選手が現れている。
また、野球界には楽天イーグルスのオコエ君がいるし、陸上競技の短距離走者には将来有望なサニブラウン・ハキーム君がいる。近年のオリンピックや我が国で開催される大きなマラソン大会で断然たる強さを発揮して優勝するのはアフリカ勢で、彼らの卓越した身体能力と優れた運動神経を見せつけられている。更に、一部の国にはそういうアフリカの優れた選手を帰化させた上で代表としてオリンピックに出している。
私は以前に「このままに推移せんか、オリンピックや世界選手権等がアフリカの諸国の代表が覇権を争う場になってしまうのではないか」と述べたことすらあった。その流れと言うべきか傾向というか俄に判断できないが、我が国にもアフリカ系の親の下に育った優れた選手(近年はカタカナ語で「アスリート」などと表現しているが)が明らかに増えてきた。彼らが順調に成長すれば、オリンピック等でも良い成績を残す時代が来るかも知れないとも考えられる。
言葉を換えれば、グローバル化かどうか知らないが、我が国にも(ここ新宿区百人町/大久保界隈に顕著に現れている傾向のように)中近東やアフリカの諸国から流入してくる者たちが増え続けていくことだろう。それが更に所謂「国際結婚」に発展していけば・・・とも考えて見れば、スポーツの世界には優れた能力を持った外国人を親のどちらかに持つ者が増えていくのではないだろうか。そういう選手たちの中には勿論白人と言うか欧米人を父に持つ者もいる事を忘れてはなるまい。
私にはこういう在り方が歓迎すべき事か、あるいは選手の強化策に繋がっていくものになるのかは全く解らない。だが、時代乃至は国際化というものは諸外国に対して保守的だと思われてきた我が国にも、明らかに変化をもたらしている気がするのだ。
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