140『自然と人間の歴史・世界篇』中世における商工業圏の形成と発展
中世に入ると、ヨーロッパに幾つかの商業業圏が形成されていった。まずは、まるで長靴のようなイタリア半島を西と東で挟むような位置関係で、ヴェネチアやピサなどと地中海貿易の覇を競った。ミラノやフィレンツェなどの内陸都市が、毛織物をはじめ、貨幣経済の進展に伴い金融業で栄えたのに比べ、物流中心の商人資本が重きをなしていた。これらを含めた全体を「地中海商業圏」という。
そこで一例を挙げよう。港湾・海港都市としてのジェノバ(Genova、英語ではジェノア Genoa)は、前5世紀頃に始まる。商港として栄えた。ローマ時代はイタリア北部の中心都市となっていた。ローマの後はやや衰退していた。しかし、10世紀頃には勢力を盛り返す。おりしも、中世ヨーロッパでは封建社会が安定的になり、荘園内の生産性も向上し、人口が増加していた。また、ヨーロッパ各地で余剰生産物が増え、それらを交換する商人という職業が生まれ、定期市などが頻繁に開催された。
11世紀からは、さらに手広く商売していく。地中海を中心に、スペインにも出掛けるし、アフリカ沿岸、それに東方にも進出していった。東に向かっては、東に向かっては、十字軍の遠征により、ヨーロッパ以外の交易路が開拓されたことも寄与したであろう。香辛料や絹織物などを東方から仕入れ、ヨーロッパ各地に販売し、莫大な利益をあげるようになった。15世紀からはしだいに陰りをみせ、1796年にはフランスに占領される。その後の1815年ピエモンテ領となり、さらにイタリア王国に統合された。
二つ目に、北海やバルト海地域で商売を動きがあった。こちらは、北ドイツのハンブルク・リューベック・ブレーメン、フランドル地方のガン・ブリュージュ、イギリスのロンドンがを形成し、木材・海産物・塩・毛皮・穀物・鉄・毛織物などの交易で栄えた。これを「北ヨーロッパ商業圏」と呼んでいる。
さらに地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏を結ぶ重要地域には、新しい商業圏が育っていく。ドイツのケルン・マインツ・ニュルンベルク・アウグスブルク・ミュンヘン、フランスのシャンパーニュ地方やパリ・ルーアン・リヨン・ボルドーなどで商工業が勃興していったことで、「中部ヨーロッパ商業圏」ともいえるものが形成されていった。
これらのうち、イタリア地域では、カロリング朝断絶以降、13世紀頃からは都市の経済力が上がるにつれ、封建領主からの自立するための自治権を都市が求めるようになっていく。国王や領主などに迫って、都市に対する様々な権力の放棄・委譲を認めた特許状を得るなどした。特許状の内容としては、市場開催権、貨幣鋳造権、交易権及びその集大成としての自治権などが含まれていた。
(続く)
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448『自然と人間の歴史・世界篇』戦後のアフリカ1(アパルト・ヘイト(1945~)
1948年、NPがUP(United Party:統一党)を選挙で破り、政権の座に就きました。NPはこの全国選挙でアパルトヘイトをスローガンに掲げました。
英国の勢力は、1948年の国民党政権の樹立以降は現地を支配し、黒人に税金を課すこともためらいませんでした。このため、土地と生活手段を奪われた黒人は採掘現場へと労働にでざるをえなくなくなる。国民党政権の政策は次のとおり。かれらは、すべての南アフリカの国民を4つの人種に分けて考えた。白人、カラード(混血)、インド人、黒人。そして異人種間の結婚の禁止、非白人への居住地指定による強制移住、白人とそれ以外の人種との間で公共施設の分離等であった。参政権は白人のみに与える。以上はアパルトヘイト(人種隔離政策)と呼ばることになる。
白戸圭一氏による説明には、こうある。
「白人政権は1959年制定のバントゥー自治促進法などに基づき、総人口の約8割を占める黒人を国土の13%の土地に強制移住させる土地を推し進めた。黒人は十の「部族」に分類され、部族ごとに「ホームランド」と呼ばれる土地に住むこととされた。白人政権の狙いは、すべての黒人を、どこかのホームランドに帰属させ、最終的に全ホームランドを「独立」させることだった。ホームランドが「独立」すれば、白人政権の理論の上では、南アは白人、インド系、カラード(混血)、アジア系だけを国民とする「黒人が一人もいない国」となる。つまり、南アは全黒人を追い出すことで「黒人差別のない国」となるという理屈だった。
白人政権は、荒唐無稽としか言いようのないこの政策を本気で推し進めた。十のホームランドのうち四つを「独立」させ、六つを自治領とし、各
ホームランドには白人政権からの補助金で腐敗した黒人有力者の傀儡(かいらい)政権が作られた。ちなみに、この「独立」を承認した国が世界で南アだけであったことは言うまでもない」(白戸圭一「ルポ資源大国アフリカー暴力が結ぶ貧困と繁栄ー」東洋経済新法社、2009、70~71ページ)
1991年6月に南アフリカ共和国がそれまでの国策としての終結を宣言することになるアパルトヘイトは、1948年から始まった人種差別を旨とする政策であった。この言葉は、同国で使用されているオランダ系現地語である「アフリカーンス語」においては、「分離」または「隔離」を意味する、といわれる。さしあたり、この政策を支えたのは4つの主要な法律であり、それぞれつぎのようなものあった。
①人口登録法(1950年)
出生児の人種別の登録義務を定めるもので、1950年に立法化されました。この法律は1991年6月に撤廃された。
②集団居住地法(1950年)
現住民問題法(1920年)を起訴に強化されてきたアフリカ人に対する居住制限を強化するものとして、1950年に制定された。国民に対し、人種別に居住地の地域等を定めるものであったが、1991年6月に撤廃された。
③施設分離法(分離施設保護法:1953年)
国民に対し、人種別に公共施設(学校や病院等)の使用を定めている。人種によって学校や病院などの公共施設の利用制限を決めている法律で、1953年に立法化され、長らく被差別者を苦しめた後1990年10月に撤廃された。
④現住民土地法(土地法:1913年)
1913年に立法化され、白人以外の人種の土地所有を制限していた。この法律は、制定当時、人口の約70%を占めるアフリカ人に対し、僅か7.3%の広さの土地(所有または賃貸)を現住民の保護居住区として割り当てるものであった。1991年6月に撤廃された。
1951年、NPのマラン政権がヨハネスブルグ近郊の黒人居住区ソフィアタウンの解体に着手した。同地区が、ANC(アフリカ民族会議)、共産主義者(これより先1950年に、マラン政権により共産主義鎮圧法が制定され、南アフリカ共産党は非合法化されていた。)、インド過激派たちの反政府運動の拠点となることを未然に防ごうとしたのであった。
これらに関連して、NP政権になってからは、道徳倫理まで踏み込んだ立法として、異人種結婚禁止法(1949年制定、1985年廃止)や不道徳法(1950年制定、1985年廃止)が制定されていく。さらに、めずらしいところでは、1952年制定のバンツー改正法により、アフリカ人の男子全員がパス(身分証明書)の常時携帯を義務付けられた。それは、1986年にはパス法が廃止となるまで続いた。
(続く)
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329『自然と人間の歴史・世界篇』帝国主義の始まり
19世紀後半から末葉にかけて世界が投入した世界のことを「帝国主義の時代」という。それ以前のあり方にもこの言葉が使われるものの、ここに至って体系的にまとまった概念として使われるようになったものである。とはいっても、この時代の帝国主義の歴史的地位については、当時の人びとの頭の中ではなかなかに複雑な仕組み、組み合わせになっていたのではないかと考えられる。それが資本主義という社会体制を土台にして成立していたことには異論がなかったものの、この概念は、人間社会の上部構造の話となると「全体主義」や「排外主義」なり「人種主義」などの概念と絡み合って用いられていた。
そこで、まず帝国主義の土台の部分から簡単にみておこう。レーニンの『資本主義の最高段階としての帝国主義』(略称は「帝国主義論」)に、こうまとめられている。
「第四に、独占は植民政策から生じた。金融資本は、植民政策の数多くの「古い」動機に、原料資源のための、「資本輸出」のための、「勢力範囲」のための-すなわち有利な取引、利権、独占利潤、その他のためのー、さらに、経済的領土一般のための、闘争をつけくわえた。ヨーロッパの列強が、1876年にまだそうであったように、たとえば、アフリカの10分の1をその植民地として占取していたにすぎないときには、植民政策は、土地をいわば「早いもの勝ちに」占取するという形で、非独占的に発展することができた。
だが、アフリカの10分の9が奪取されてしまい(1900年ころ)、全世界が分割されてしまったときには、不可避的に、植民地の独占的領有の時代、したがってまた、世界の分割と再分割のための大きな闘争のとくに先鋭な時代が、到来したのである。
独占資本主義が資本主義のあらゆる矛盾をどれだけ激化させたかは、周知のところである。ここでは、物価騰貴とカルテルの圧迫とを指摘すれば十分である。矛盾のこの激化こそ、世界金融資本が最終的に勝利してからはじまった歴史的過渡期の、もっとも強力な推進力である。」(ヴェ・イ・レーニン「資本主義の最高段階としての帝国主義」大月書店、1957の「レーニン全集第22巻、347ページから間接的に引用)
(続く)
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