♦️885『自然と人間の歴史・世界篇』イラン核合意(2003~2016)

2017-09-11 09:20:19 | Weblog

885『自然と人間の歴史・世界篇』イラン核合意(2003~2016)

 イランは、1970年のNPT(核拡散防止条約)の発足当初から加盟していた。とはいえ、イラン革命の高揚感に象徴される1980年代に入り、二酸化ウランや六フッ化ウランを入手し、遠心分離器の実験やレーザー濃縮実験を開始した模様。1990年代に入ると、テヘランの核関連施設における実験で、少量のプルトニウムの抽出に成功したという。
 2003年、IAEA( 国際エネルギー機関、International Atomic Energy Agency 、国際連合傘下の自治機関)の理事会にて、イランに対する非難決議案を全会一致で採択する。2006年に入ると、国際連合安全保障理事会が動く。この安保理において、英仏独3カ国が提出したイランに核開発中止を求める決議1696を採択した。同決議には、は8月末までに核開発を中止しない場合、制裁措置を検討することが盛り込まれた。2008年、IAEAが国連への報告の中で、遠心分離機約3800基が設置され、低濃縮ウラン約480キロが製造済みとした。2008年には、IAEAがイランが新たなウラン濃縮装置「カスケード」を設置し、ウラン濃縮を継続、拡大していると報告した。
 2009年、IAEAがイランのウラン濃縮を報告、その中でナタンズの遠心分離機は7000台体制になり、うち5000台が稼働していると報告した。同年6月に再選されたマフムード・アフマディーネジャード大統領は、核問題は「過去の問題」と述べ、ウラン濃縮停止に応じる考えがないことを示した。この年の10月、イランが新核施設の査察を容認するにいたる。11月には、イランが10か所の濃縮施設の新設を表明する。
 2010年2月、アメリカのオバマ大統領は、イランがウランの濃縮度を20%に高める工程を開始したことについて、この活動を続けるなら「次の措置は制裁だ」と警告した。この発言の背後に、アメリカと緊密な外交関係にあるイスラエルの意向が働いていたことは、疑いなかろう。6月、国連安保理がイランへの追加制裁決議を賛成多数で可決した。
 2013年8月、アフマディーネジャードがイラン大統領を退任し、後任に穏健派と目されるハサン・ロウハーニーが就任する。10月、ロウハーニーとアメリカのオバマ米大統領との断交以来初の電話会談も実現した。イスラエル側は全くロウハーニーの主張を受け入れておらず、イスラエル単独での軍事攻撃も辞さない姿勢を崩さなかった。そして11月、イランと欧米など6カ国で交渉が行われる。イランと国連安保理常任理事国とドイツの6カ国が核開発の透明性を高める代わりに対イラン制裁の一部を緩和する措置をとることで合意した。
 2015年7月、前の6か国とイランとの間の核協議が最終合意(正式にはJoint Comprehensive Plan of Action(JCPOA)、つまり「包括的共同作業計画」と呼ばれる)に達した。イラン側は核開発の大幅な制限、国内軍事施設の条件付き査察を受け入れる。

 イラン国内では核開発能力自体は維持した。すなわち、イランの核開発に関する制限を行い、イランは部分的に平和目的の原子力開発を行うことは認められた訳だ。この合意を最高指導者のアリー・ハーメネイーも同意したことが伝わる。2016年1月、IAEAはイランが核濃縮に必要な遠心分離器などを大幅に削減したことを確認と発表した。これを受けてイランと6か国(安保理常任理事国である米英仏中ロとドイツ)は同日、合意の履行を宣言し、米欧諸国はイランに対する経済制裁を解除する手続きに入った。ただし、この「核合意」の中ではミサイル開発やミサイル実験については一切触れられていないことに留意する必要がある。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆