泣いている人がいる。
目の前に・・・もし・・・。私は、出来る行動は、大まかに分けて二つだと思っている。ハンカチを差し出し、背中をさすってあげる、そして、やさしくハグしてあげる。・・・もし、相手がそれを許してくれるなら。
もうひとつは、さりげなく、心を残しながら、目をそらしてあげること。
至らない私のこと、他にあったら教えてほしい。
が、あり得ないのは、泣く瞬間を待って、シャッターを切ることだろう。朝青龍のことだけではない。甲子園でもそう。高校球児が泣くまいとして、下を向いているところを、カメラを下におろしてまでも、写真を撮る。カメラマンは地を這ってまでも、泣いているアングルが欲しい。そういう場面を何度となくテレビで見てきた。
NHKの昨日のニュース。『会見後の朝青龍の単独インタビュー』。質問の内容にあきれ返った。あきらかに、相手が泣くだろう、そういう意図を持った質問だった。『もっと、相撲をとりたかったんじゃないですか?』 そんなことは、記者会見の様子をみてりゃわかるだろう。彼の行動は問題だったとして、しかし、辞めると断腸の思いで決断したであろう、彼にそんな質問をする必要がどこにあるのだろうか。私には理解できない。
もっと尊厳があるだろうと思う。人に対する、尊厳に対する敬意だ。子供たちも見ているでしょう?情けなくなる。人に対する敬意を子供たちはどういう風にみるだろうか。
報道は、知りたい人がいるから ということに、その指針を置いて取材しているようだが・・日本人は、人が悲しくて、辛くて、悔しくて泣いているところを、それほど見たいと思っている民族なのだろうか・・・・
そっちの方がよほど悲しい。凛とした、朝青龍を、凛とした高校球児を、凛とした人間を報道すればいいじゃない。その後のことは、推し量る領域で、それこそが、日本人が愛した、粋だとか風流だとかそういう世界ではないのか。
私は、ますますラジオ人間になっていく。