世の中には様々な鏡がある。
ランニングをしていると、いろいろな人に出会う。ニコニコして感じのいい人。無愛想で感じの悪い人。無関心を装う人。
以前、興味深い話を聞いた。ずっと前のこと。私の上司が、奥さんに どうしていつも帰ってくると無愛想な顔をしてるのかと聞いたところ。。。。。奥さんが、ドアを開ける瞬間に見る夫の顔で、相手の機嫌がわかる。あなたの方がいつも、不機嫌な顔をしているから、またか・・・・と、悲しくなると答えたという話。
私はこの話を良く思い出す。自分I対して無愛想な対応をしてくる人は、実は自分の方が無愛想に対応しているということは、確かにある。嫌いなひとからは、嫌われているということと同じかな。好きな人からは好かれる。態度にでるからに違いない。
とすれば、相手の表情は実は、鏡だということになる。
加えてビデオで自分を直接に監察することもできる。これはもう、相手のフリ見て自分を判断するのではない。自分がそこにいる。
正直言って、私は自分が機関銃のように喋るのに驚いた。あそこまでひどいとは・・・・。無いものねだりで、私は静かに低い声で話す人が大好き。それだけで尊敬してしまう。私の場合は声は低いが、かん高い???矛盾するようだが、そういう声もある。自分の声、喋り方を聞いて泣きたくなってしまった。いつでも選挙演説をしているようだからなあ・・・・。
あなたと居ると元気が出る、とか、元気をもらった・とかはよく言われるが、一緒に居ると落ち着くとか、安心するとはあまり言われない。全く言われないかも・・・・。
極めつけ。息子からは、おかあさんネジがはずれているよ!とまで、言われてしまった。私からみると、はずれているのは息子の方なのだが・・・・。しかし、ある面。子は親の価値鏡・・・だから、同じようにはずれているのかもしれない。
自分は変われるだろうか・・・・。悩みは深い。