【掲載日:平成21年7月4日】
やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に
夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや
百磯城の 大宮人は 去き別れなむ
【山科の鏡山陵とも呼ばれる天智天皇陵】

時に 天智十年(671)十二月三日
大化の改新の口火を切り
孝徳・斉明朝 皇太子として 実権を掌握
豪族による合議体制から 天皇中心政治への道筋
内憂外患の日々
白村江の大敗
これを 機に 近江大津へ 遷都
天智天皇として即位
即位後五年
四十六年の生涯であった
弟 大海人皇子との 確執
大海人が 吉野に隠遁したのは 二か月前
大友皇子に 後を託したものの
不安に駆られた 臨終であったろう
額田王は ありし日々を 思い描いていた
大王との 日々は わたしの生きた 日々
歌が いつも あった
宇治の仮廬
熟田津の船出
三輪山との別れ
蒲生野の薬狩り
春秋競いの宴
もう 簾に吹く風を 待つこともないのだ
かからむの 懐知りせば 大御船 泊てし泊りに 標結はましを
《こうなんの 分かってたなら あんた居る 場所に標縄 張っといたのに》 (悪霊入らんように)
―額田王―(巻二・一五一)
鏡山の麓
服喪の人々が 去っていく
やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に
夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや
百磯城の 大宮人は 去き別れなむ
《天皇の 墓守りと 鏡の山に 集まって 夜昼なしに 泣きつづけ
終わってしもて みんな去ぬ 散り散りなって 帰ってく》
―額田王―(巻二・一五五)
人々の 去るのを見届け 額田王は 静かに 鏡山を後にする
その後 額田王の行方は 定かでない
(この後 万葉集に留める 額田王の歌は 一首を数えるのみ)

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