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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

歴史編(16)去き別れなむ

2009年07月22日 | 歴史編
【掲載日:平成21年7月4日】

やすみしし わご大君の かしこきや 御陵みはか仕ふる 山科の 鏡の山に
 よるはも のことごと 昼はも 日のことごと のみを 泣きつつありてや
  百磯城ももしきの 大宮人は き別れなむ

【山科の鏡山陵とも呼ばれる天智天皇陵】

稀代きだいの英雄 ここに 死す
時に 天智十年(671)十二月三日 

大化の改新の口火を切り 
孝徳・斉明朝 皇太子として 実権を掌握しょうあく
豪族による合議体制から 天皇中心政治への道筋 
内憂外患ないゆうがいかんの日々
白村江はくすきのえの大敗
これを 機に 近江大津へ 遷都 
天智天皇として即位 
即位後五年 
四十六年の生涯であった 
弟 大海人皇子おおあまおうじとの 確執
大海人おおあまが 吉野に隠遁いんとんしたのは 二か月前
大友皇子に 後をたくしたものの
不安に駆られた 臨終であったろう 

額田王は ありし日々を 思い描いていた 
大王おおきみとの 日々は わたしの生きた 日々
歌が いつも あった 

宇治の仮廬かりほ
熟田津にきたつの船出
三輪山との別れ 
蒲生野がもうのの薬狩り
春秋競いのうたげ
もう すだれに吹く風を 待つこともないのだ

かからむの おもひ知りせば 大御船おおみふね 泊てしとまりに しめはましを
《こうなんの 分かってたなら あんたる 場所に標縄しめなわ 張っといたのに》 (悪霊入らんように)
                         ―額田王ぬかたのおほきみ―(巻二・一五一)

鏡山の麓  
服喪ふくもの人々が 去っていく
やすみしし わご大君の かしこきや 御陵みはか仕ふる 山科の 鏡の山に
 よるはも のことごと 昼はも 日のことごと のみを 泣きつつありてや
  百磯城ももしきの 大宮人は き別れなむ

天皇すめらみことの 墓守りと 鏡の山に 集まって 夜昼なしに 泣きつづけ
 終わってしもて みんなぬ 散り散ち ぢりなって 帰ってく》
                         ―額田王ぬかたのおほきみ―(巻二・一五五)

人々の 去るのを見届け 額田王おおきみは 静かに 鏡山を後にする
その後 額田王おおきみの行方は 定かでない

(この後 万葉集に留める 額田王ぬかたのおおきみの歌は 一首を数えるのみ)


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