【掲載日:平成23年8月16日】
大殿の この廻の 雪な踏みそね
しばしばも 降らぬ雪ぞ
山のみに 降りし雪ぞ
ゆめ寄るな 人や な踏みそね 雪は
「久米広縄殿 聞き及びしに
そなた 古の歌集めに 執心の由
どうかな 雪の歌 何か ござらぬか」
家持の促しに 久米広縄
さればと かねて用意の歌 披露に及ぶ
大殿の この廻の 雪な踏みそね
しばしばも 降らぬ雪ぞ
山のみに 降りし雪ぞ
ゆめ寄るな 人や な踏みそね 雪は
《お屋敷の 周りの雪を 踏まんとき
滅多に降らん 雪やから
山しか降らん 雪やから
そこのお前ら 近づくな 踏んだらあかん その雪を》
―三形沙弥―(巻十九・四二二七)
ありつつも 見し給はむぞ 大殿の この廻の 雪な踏みそね
《いつまでも 見よとなされる 雪なんや 御殿周りの 雪踏みないな》
―三形沙弥―(巻十九・四二二八)
「これなん 藤原房前様 お召により 三形沙弥殿 お読みの歌 伝えたは 笠子君殿」
得意説明の 広縄に
家持 戯れかかる
「さすが 広縄殿
それでは 『雪』に似た字に『雷』があるが
これは どうじゃ 広縄殿」
得たりと 広縄
「畏れ多くも その昔 聖武帝に奉りし
犬養命婦(橘三千代)様の御歌」
天雲を ほろに踏みあだし 鳴神も 今日に益りて 畏けめやも
《蹴散らして 雲粉々にする 雷も 今日の畏怖に 勝つこと出来ん》
―縣犬養三千代―(巻十九・四二三五)
「では 私めも」
と 遊行女婦蒲生も 続ける
天地の 神は無かれや 愛しき 我が妻離る 光る神 鳴りはた娘子 携はり 共にあらむと 思ひしに 心違ひぬ
《この天地 神さんほんま 居らんのか 愛らし妻は 死んで仕舞た 光る娘子の 可愛い児と 手ぇ携えて 生きてこと 思てたのんに 違ごて仕舞た》
言はむ術 為む術知らに 木綿襷 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて な放けそと 我れは祈れど 枕きて寝し 妹が手本は 雲にたなびく
《言うも為るんも 分からんで 木綿襷を 肩掛けて 倭文の布幣 手に持って 逝って呉れなと 祈ったが 手枕巻いて 共寝た妻は 雲に靡いて 逝って仕舞た》
―作者未詳―(巻十九・四二三六)
現にと 思ひてしかも 夢のみに 手本巻き寝と 見れば術なし
《生きてこそ 意味あるのんに 夢中で 手枕共寝ても 甲斐ないこっちゃ》
―作者未詳―(巻十九・四二三七)