犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■今昔340梅花の宴

2009年07月16日 | 今昔(10)四国 九州(一)
天平二年(730)正月
都から派遣された 高官32人が集まった
咲きおおう 梅花を 目出ての 宴である
それぞれが 歌の腕を 競う




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■今昔341大宰府(二)

2009年07月15日 | 今昔(10)四国 九州(一)
万葉集に詠われた時代 1300年の昔
礎石は ここに 座したまま 風雪を耐え 時代を見て来たのか
5年間の 鄙住まいに 望郷の思いを 募らせる 憶良
天地の悠久と 刹那を追う 人の思い
いずれの 優劣を 断じ得ようや




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■今昔342観世音寺

2009年07月14日 | 今昔(10)四国 九州(一)
沙弥満誓さみまんせい
俗姓 笠麻呂かさのまろ
養老七年(723)二月 造筑紫観世音寺別当として赴任
旅人との 交友深く 筑紫歌壇の一角を占める

 世間よのなかを 何にたとへむ 朝びらき にし船の あとなきがごと

の歌で 知られる




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■今昔343蘆城

2009年07月13日 | 今昔(10)四国 九州(一)
天平二年(730)十二月
蘆城駅家あしきのうまやで 大伴旅人 送別の宴が 催された
送る者 送られる者 それぞれの 哀感を乗せて 瀬音は流れて行く
大和の 山川を 髣髴とさせる ここ蘆城の風景
席を 同じくする者の 感懐は 如何ばかり



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■今昔344岡のみなと

2009年07月12日 | 今昔(10)四国 九州(一)
遠賀川河口左岸 「岡のみなと」の地である
大橋が整備され 船は 河口奥に もやわれており
河口付近に 船影はない




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■今昔345金の岬

2009年07月11日 | 今昔(10)四国 九州(一)
金の岬 と 地の島 との間の瀬戸は 難所としての声が 高い
そこを 過ぎたとて 安心しては ならない
行く航海の 無事を 志賀の皇神に 祈ろうではないか




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■今昔346名児山

2009年07月10日 | 今昔(10)四国 九州(一)
宗形神社の南の小山
大伴坂上郎女が 大伴旅人が 大宰の帥の任を解かれの上京に先立ち 
帰路についたとき ここ名児山を通過した時の作歌




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■今昔347志賀のあま

2009年07月09日 | 今昔(10)四国 九州(一)
志賀島しかのしま
「漢委奴国王」の金印出土地
古代では 北九州海域を活動領域とする 海人族の根拠地
「志賀のあま」は 大宰府官人や遣新羅使人らの往還で 京まで知られていた




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■今昔348大浦田沼

2009年07月08日 | 今昔(10)四国 九州(一)
男気出した 志賀の荒雄
宗形部津麻呂むなかたべのつまろに代わり
五島列島 美弥良久みみらくの崎から 対馬をさして船出
折からの 暴風雨にあい消息を絶つ




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■今昔349也良の崎

2009年07月07日 | 今昔(10)四国 九州(一)
波間に消えた 荒雄
乗った船 「鴨丸」
ひょっとして 帰って来るのでは・・・
所詮 甲斐無い望みと知りつつ 家族は 祈る




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■今昔351唐泊

2009年07月06日 | 今昔(10)四国 九州(一)
遣新羅使人の一行は ここ唐泊からとまりで 数泊している
天侯が 禍したのであろう
晴れるにつけ 荒れるにつけ 思われるのは 故郷の家




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■今昔350荒津の崎

2009年07月06日 | 今昔(10)四国 九州(一)
かの邪馬台国ゆかりの地
ここ 那の大津 博多湾岸 
古代より 大陸との交渉・貿易の中心として 栄えた港だ
新羅使人は 港に寄せる 荒波に寄せて 妻への慕情を募らせる




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■今昔352引津・可也の山

2009年07月05日 | 今昔(10)四国 九州(一)
唐泊からどまり引津ひきつ狛島こましま(神集島)~印通寺いんどうじ(壱岐)と
遣新羅使人の一行は 辿る
ここ 引津 航海は 秋を迎えて 寂しさ いや増さる




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■今昔353鎮懐石伝説

2009年07月04日 | 今昔(10)四国 九州(一)
神功皇后 新羅征討の折 自らの 懐妊の兆しを鎮めるため
ふところに 石を二つ入れ 船出した という伝説
帰還後生まれたのが 後の応神天皇




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