豆豆先生の研究室

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ロビン・フォックス「生殖と世代継承」・その2

2024年02月26日 | 本と雑誌
 
 ロビン・フォックス「生殖と世代継承」(法政大学出版局、2000年)、第2回で取り上げるのは、第1部第1章「一夫多妻のモルモン教徒の事件」について。

 一夫多妻を推奨するモルモン教の信者である警察官(ポッター)が、一夫多妻であることを理由にユタ州マレー市警を1982年に解雇されたため、解雇無効を訴えた(ポッター対マレー市事件)。
 アメリカ諸州では、1862年のモリル法から1887年のエドマンズ・タッカー法に至る一連の法律によって一夫多妻は違法とされてきた。ユタ州では、州に昇格する際の「ユタ州憲章」(1894年)の第1条で、宗教感情への寛容は認められるが、一夫多妻婚ないし複数婚は永久に禁止されると規定した。
 1820年代に東海岸で共同生活、共同農業を始め、最終的にはユタ州に集住することになったモルモン教の信者であるポッターは、モルモン教徒にとって一夫多妻は救済のために必要な宗教的信条であり、解雇は連邦憲法修正1条が保障する信教の自由およびプライバシー権を侵害する、一夫多妻を禁止するユタ州憲章も憲法に違反すると主張した。第1審のユタ州裁判所は即決裁判でポッターの訴えを却下し、連邦控訴裁判所も第1審を支持し、連邦最高裁判所は上訴を受理しなかった。

 ポッター事件判決を検討する前提として、著者が検討したレイノルズ対合衆国事件(1878年)連邦最高裁判決は、一夫多妻制は「良俗」違反であるという理由で、モルモン教徒の一夫多妻を禁止したモリル法を合憲とし、クリーブランド対合衆国事件(1946年)連邦最高裁判決は、一夫多妻はアジア・アフリカでのみ行われることで、西欧では「悪習」である(イギリスでは犯罪である)として、一夫多妻禁止を合憲とした。
 これらの判旨に対して、著者は西欧における一夫多妻(的な婚姻慣行)の実例を多数指摘して、連邦最高裁の「良俗違反」論、「悪習」論に反駁を加える。多数派のキリスト教会は、反セックスの立場から、教会によって聖別された結婚のみが唯一の合法的性交、生殖の手段であるとした。しかしこれも歴史的に一貫したものではなく、グレゴリウス帝が一夫一婦制を強制する600年頃までは、西方・北方民族においても一夫多妻制は「悪習」ではなかったし、その後も教会による禁止は実効性をもつことはなく、貴族や王家の間では複数婚は普通のことであり、複数の女性をもつ法王すら存在した(38頁)。
 一夫一婦制が強制されることになったのはメロヴィング朝の終焉に至った後のことである。キリスト教の一夫一婦制は、女性嫌悪、狂信的な独身主義、反セックスによるものであると著者はいう。イギリスでも、1603年にジェームズ1世が一夫多妻を犯罪化するまでは、(世俗のイギリス)国家は複数婚に関心がなく、教会裁判所の管轄に委ねていたが、1753年のハードウィック婚姻法によって教会は婚姻を完全に支配下に置くことになった。

 レイノルズ判決は、一夫多妻制は家父長制を助長し、独裁専制政治を招くというリーバー説(コロンビア大学教授!)を援用したが、過度の一夫一婦制をとるドイツにおいて独裁者ヒットラーが登場したように、一夫多妻制と独裁政治とは関係がないと反論する。 
 国家が教会とともに一夫一婦制を強制するようになったのは、国家は官僚を必要とし、教会は神職を必要とするが、彼らが(一夫多妻によって)親族集団を形成することを避けるためであったという。
 一夫一婦制の下でも、離婚が増加することによって子どもは両親から引き離され、継親との関係で苦労することになる。一夫一婦制の下で離婚と再婚を繰り返す夫婦は、「時系列的複数婚」と見ることができるし、移動性の高まりによってニューヨークに法的妻をもち、他州に複数の愛人をもつ(著者の知り合いの)弁護士の例などと複数婚的な関係も存在する。
 人類学的には、一夫多妻制のほうが一夫一婦制よりも安定的であったと著者はいう。安定化のための工夫として、複数の妻は原則として姉妹とする、複数の妻は別居するが財産は平等に共有する、複数妻の性的、経済的地位を平等とする、年長の妻に優位な地位を与え若い妻の魅力に対抗させるなどのルールが形成されている(53頁)。複数婚の際には、最初の妻に同意権を与えるとか、女性の婚姻年齢を下げる一方で男性の婚姻年齢を引き上げるなどの方策も書いてあった。
 一夫多妻制は、権力をもった男のための制度であるという批判に対して、著者は、それは一夫一婦制の下で権力のある男が複数性交できるのと同じであると反論する。

 次に、著者は、宗教上の行為に州政府が介入するためには、州は「止むを得ざる理由」が存在すること、すなわち「公共の福利が危険にさらされること」を証明しなければならないとしたウィスコンシン対ヨーダー事件連邦最高裁判決(1972年)などとの整合性を検討する。
 連邦憲法で認められた「結婚の権利」に干渉するためには、州には「絶対不可欠な理由」を示す「厳格な審査」が必要とされるとして(マイヤー対ネブラスカ、スキナー対オクラホマ判決)、ラビング対ヴァージニア判決は、白人と黒人との異人種結婚を禁じた州法を連邦憲法14条違反で違憲無効とした。
 ところが、ポッター事件判決は、「止むを得ざる理由」の審理に際しては近代社会において現に行われている習慣を考慮せよという主張を退け、一夫一婦制はわれわれの社会の中に不可分に組み込まれており、われわれの文化はこの制度の上に築かれている、結婚は家族および社会の基盤であり、この基本的価値に照らして、州は複数婚の禁止を強制し、一夫一婦制の結婚関係を擁護する止むを得ざる必要性があると(根拠を示すことなく)判示した(60頁)。 
 著者は、ユタ州が実際に一夫一婦制の基盤の上の成立しているという証拠は何も示されていないばかりか、離婚の容易化によって一夫一婦制による核家族の終焉に力を貸してきた立法や法廷のほうが、結婚の神聖さを主張する一夫多妻制の擁護者より、「われわれの文化の基盤」に対してよほど深刻な打撃を与えていると批判する(66頁)。

 最後に著者は、一夫一婦制は「自然」であるとの主張を反駁する。
 戦争などによって男女の性比が不均衡になった場合、多くの女性は夫をもてず、女児殺しが増え、独身のままでいるか、売春婦、尼僧になるといった現象が発生するのに対して、一夫多妻制ではすべての女性に家庭と家族を約束できた(一夫多妻のほうが「自然」であった)という議論も可能であるという。モルモン教が一夫多妻制を採用したのも、発足当初は女性信者が男性信者より2000人も多かったからだったという。
 そして一夫多妻のモルモン教徒の養子縁組に関する判例において、変化の兆しが現われていることなどを指摘して本章は終わる。

 ぼくたちは、一夫一婦制の陰に隠れて行われてきた一夫多妻的な現実から目をそらしてはいないだろうか。一夫一婦制を規定したわが明治民法の下でも一夫多妻的な妾を抱えた既婚男性の実例は500例以上紹介されている(黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社)。一夫多妻制を支持するかどうかはともかく、一夫多妻制は検討の余地のない「悪習」であるとか、一夫一婦制でさえあれば無条件で一夫多妻制に優越すると主張するのがはばかられる程度には説得的な論旨であった。
 モルモン教の一夫多妻制は、最近の離婚に許容的な一夫一婦制の婚姻よりはるかに「結婚の神聖」を重視しており、信仰に無縁のぼくなどは世俗化の極点に近づきつつある最近の一夫一婦婚のほうが気楽そうで親近感を覚えるくらいである。

 2024年2月26日 記

 ※なお、第2部「世代継承」の主たるテーマである「母方のオジ」の親族関係上の地位は、著者によればインセスト(近親相姦)禁止よりも人類学上重要なテーマであるというが、ぼくの理解をこえるので省略する。ただ、ここでも著者は、国家法による広範囲に及ぶ近親婚禁止は、近親婚によって親族集団が強大化することを国家が恐れたからであると指摘して、近親婚禁止も「国家と親族集団との戦い」の一端であると指摘していることを紹介しておこう。著者によれば、個人主義の(個人の)ほうが国家にとっては親族集団よりも与しやすいというのである。
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