豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

川田順造編『新版・近親性交とそのタブー』(その1)

2022年10月28日 | 本と雑誌
 
 川田順造編『新版・近親性交とそのタブー』(藤原書店、2018年)を読んだ。
 きわめて面白い論考が多かった。まさに「目から鱗・・・」の文章にたびたび出会った。文化人類学や霊長類学の論理展開は正直理解できないところが多かったのだが、エピソード的に様々な情報を得ることができた。

 まず特筆すべきは、インセスト(近親相姦)は、われわれが思っているよりも多く実際に行なわれていると数名の論者が指摘していることである。
 編者の川田は、「現代日本でも実際に多く行われている母と息子の相姦の多くが」、亡くなった夫の姿を、母が成長した息子に感じ取るところに動機をもっている」のに対して、兄妹、姉弟間の相姦は、孤立ないし雑居的居住環境の中である種の強要によって生じるようだと序文で書いている(ⅲ頁)。
 川田は本論「性」の冒頭でも、近親者間の性交は実際には行われているにもかかわらず、タブーとされている社会が多いと指摘する(10頁)。

 青木健一(集団生物学)「『間違い』ではなく『適応』としての近親交配」によれば、ヒトの場合、父娘または兄妹間の近親性交では29%の近交弱勢(子孫の生存率、適応力が弱まること)が伴うが、血縁者との間に儲けた子のほうが自分の遺伝子コピーを多く受けつぐことができるので、生存する子が近交弱勢のために減ったとしても後代に残せる遺伝子コピー数は多くなる可能性があると指摘する(38頁)。
 青木はまた、MHCという生物学的知見を論拠に、インセスト・タブーの起源に関するウェスターマーク説を支持する。MHCとは脊椎動物の免疫系の中で自己と非自己の認識に関わる分子だそうで、MHCが異なる個体は体臭も異なるので、一緒に育った家族間では体臭を介した刷り込みが働くと考えればウェスターマークの仮説は説明できるという(48頁)。 
 最後に青木は、現代日本の民法が「優生学的または倫理的配慮から」直系血族または3親等内の血族の間の婚姻を禁じているが、刑法には近親性交を処罰する規定はないこと、スウェーデンでは1970年代に半血きょうだい間の婚姻が認められるようになったことなどを紹介している(51頁)。「優生学」が登場するのは本書ではここが唯一であった。

     

 西田利貞(霊長類学)「インセスト・タブーについてのノート」は、インセスト・タブーの起源論で一番ぼくの腑に落ちた。
 西田は「インセスト・タブーの起源と進化は『近交弱勢(imbreeding depression)』を避けさせる遺伝的・文化的傾向をもった個体のほうが、より多くの子孫を残した結果であると考える」と結論する(138頁)。インセスト願望の抑圧が起源だろうと、インセスト回避の本能が起源だろうと、インセストを回避した種族なり集団なりが結果的に存続することができたということだろうと、ぼくも思う。
 西田は、ウェスターマークの「幼年時代の身体接触が、青年時に性的嫌悪を引き起こす」という仮説(『人類婚姻史』(江守五夫訳、社会思想社、1970年、84頁を参照)は、人類学の野外調査からも支持されるといい(同頁)、また、フロイトのエディプス・コンプレックス論は、幼少時に兄弟姉妹を分離して養育するユダヤの風習により、兄妹間に本来生じるべき性的嫌悪が生まれなかった場合のことであり、フロイト説は多くの民族の一部にしか当てはまらないという(144頁)。
 さらに、西田は日本にはインセスト・タブーはないと断言する。日本ではインセストを犯した者が自殺したり、何らかの罰を受けた実例はない、嘲笑くらいは受けるだろうが、万引き、剽窃、姦通、乱交、覗きなど嘲笑を受ける行為はいくらもあるが、人はそれを「タブー」とは呼ばないという(143頁)。島崎藤村は姪との近親相姦を小説『新生』に書いたため、姪は地域に住めなくなったというが、これも「嘲笑」程度の反応で、「タブー」というほどではないのだろうか。

 山根『家族の論理』では、ウェスターマークは不人気で、マリノフスキー、マードックもフロイトのインセスト願望説を支持したと書いてあったが、本書ではウェスターマーク説のほうが優勢のようである。
 ウェスターマーク説の再評価は、山極寿一(霊長類学)「インセスト回避がもたらす社会関係」にも見られた。山極は、ウェスターマーク説はフロイトだけでなく、人類学者の間でも長らく無視されてきたが、台湾のシンプア(媳婦仔)調査に加えて、霊長類の野外観察からも「ウェスターマーク効果」が認められるようになったという(63~5頁)。    
(つづく)
 
 2022年10月28日 記

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