豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

W・アイリッシュ「さらばニューヨーク」

2024年05月29日 | 本と雑誌
 
 ウィリアム・アイリッシュ/稲葉明雄訳「さらばニューヨーク」(晶文社、1976年)を読んだ。

 アイリッシュを読むのは何年ぶりだろうか。最後に読んでから20年以上は経っているはずである。
 先日、ふとこの本が目にとまって、何気なく読み始めたのである。懐かしいアイリッシュ節(?)を味わうことができた。
 ※宇野利泰訳「アイリッシュ短編集・1」(創元推理文庫)巻末の解説を見たら、解説者の厚木淳が、アイリッシュを評して「強烈なサスペンスと少々美文調の文体によるアイリッシュ節ともいうべき特異な持ち味」と書いているのを発見した。「アイリッシュ節」には強調の傍点が振ってある。

 何気ない日常のようでいてどこか不穏な雰囲気の漂う冒頭部分(スティーヴン・キング風?)、心理的に(時には物理的にも)スリリングな展開の中間部分、そして意表をつくアイロニカルな結末部分というアイリッシュの公式に従った短編が8話収められている。
 巻頭の「セントルイス・ブルース」は一番良かった。この歌を口ずさむ殺人犯の息子と、息子を庇う盲目の母との交情。稲葉解説によって、アイリッシュと母親の関係を知ったうえで読むとよいかも。
 「靴」は、ドライザー「アメリカの悲劇」のような趣向(どちらが先か?)で、中間部分は悪くはなかったが、結末が微妙。最後はないほうがよかった。
 「抜け穴」は、アイリッシュとしては失敗作の部類だろう。「ぎろちん」も、いまいち。舞台がフランスというのも破調を来たしている。死刑執行吏が執行日に死亡した場合には死刑囚は特赦によって解放されるという慣習は本当のことだろうか。ギロチンの刃の部分は執行吏が自宅においてあって執行の日に自分で刑場に持参するというのも本当なのか。「ワイルド・ビル・ヒカップ」は、そもそも題名の意味が何だったかも忘れてしまったほどの駄作。
 「青いリボン」はまずまず。一度は引退したボクサーが再起を期した試合で終盤まで劣勢にあるのだが、観客の中に「青いリボン」の女性を見た(ような気がして)一気に逆転勝利する。しかし、その女性が本当にそこにいたのかどうかは分からない、「幻の女」だった・・・。「青いリボン」が何かは冒頭で語られる。
 そして、本書の題名にも選ばれた「さらば、ニューヨーク」。アイリッシュの水準作といえようか。ストーリーは明かさないでおくが、ニューヨークのダウンタウン風景、街角の新聞売り、地下鉄の切符売り場、改札口の入り方などの細部が描かれていて、一時代前のニューヨークを知る人にはたまらなく懐かしいだろう。

 巻末の稲葉解説によると、アイリッシュこと本名コーネル・ウールリッチは、1903年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学卒業直後に病いを得たが、恢復期に書いた小説が雑誌に掲載され、原稿料をもらったのを契機に職業作家の道に進んだ。1940年の「黒衣の花嫁」でブレイクし、1942年の「幻の女」、1944年の「暁の死線」とヒット作を連発したが(江戸川乱歩はこの3作をアイリッシュの代表作と見た)、実は1920、30年代から習作をパルプ・マガジンに数多く発表していたという。
 アイリッシュは、生涯独身で、ロマンスの話題すらなく、(シングルマザーだった)母と一緒にホテル住まいをしており、亡くなった際にもわずかな知人しか葬儀に参列しなかったという。稲葉によれば、友人の作家がアイリッシュの母は死ぬまでアイリッシュの首を絞め続けたと非難したという。1957年にその母が83歳で亡くなり、アイリッシュは1968年に64歳で亡くなっている。
 病気がちで寂しい人生だったと思っていたが、実際には作品が多数映画化されるなどしたため巨万の富を残しており、その遺産を若手作家の育成目的のためにコロンビア大学に寄付したという。このエピソードを知って、少し救われた気になった。

 2024年5月29日 記
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