豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ぼくの探偵小説遍歴・その7(補遺)

2024年05月23日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴(その1~6)の落穂ひろい。探偵小説が並んでいる本棚の写真を中心に。

 ぼくにとって最初の探偵小説は、岩波少年文庫で読んだ E・ケストナー/小松太郎訳「エミールと探偵たち」だった(上の写真)。
 つづいて、同じく岩波少年文庫の A・リンドグレーン/尾崎義訳「名探偵カッレくん」のシリーズ(といっても3冊)。
   

 中学校の図書館で見つけた、あかね書房「少年少女世界推理文学全集」の W・アイリッシュ/福島正実訳「恐怖の黒いカーテン」は、扉に挟んであった黒いパラフィン紙とともに思い出に残っている。あかね書房版は持っていないが、創元推理文庫版は持っている。アイリッシュ/亀山龍樹訳「黒衣の花嫁」(文研出版、1977年)、同/稲葉明雄訳「さらばニューヨーク」(晶文社、1976年)という単行本も見つかった。1976~7年頃は、まだアイリッシュに関心があったのだ。
   

 旺文社の「中学時代3年生」か、学研の「高校コース1年生」の付録についていた「赤毛のレッドメインズ」の要約版を読んだのをきっかけに、E・フィルポッツ「赤毛のレッドメイン家」(創元推理文庫)を読んだ。高1の時の担任の先生が、読んだ本の感想を書いた「読書ノート」を毎週提出させていたが、スタインベックなどの他に、「赤毛の~」の感想文を書いた記憶がある。中身は忘れた。
 この頃から文庫本で探偵小説を読むようになったと思う。
 ドイル、クリスティー、クイーン「Yの悲劇」、カー「火刑法廷」、ダイン「僧正殺人事件」、ノックス「陸橋殺人事件」などから、ガードナー「ペリー・メイスン」、チャンドラー、カトリーヌ・アルレー、セバスチャン・ジャプリゾなども読んだようだが、2冊以上読む気になった作家はあまりなかった。「本格」とか「謎解き」といったジャンルは好きになれなかった。

 ぼくは中学、高校の通学のバスの中ではいつも文庫本を読んでいた。毎日片道30分、往復で1時間である。揺れるバスの中で、よくそんな読書ができたと思う。サラリーマンになって以降も、出歩くときはいつも鞄の中に本を持って出かけた。一度中央線に乗っていた時に停電か人身事故で、国分寺・小金井間で1時間以上車内に閉じ込められたことがあった。たまたまその時は本を持っていなかったので、活字の禁断症状が出た。
 文春文庫か新潮文庫がビル・プロンジーニとコリン・ウィルコックスを派手に宣伝していたので、「容疑者は雨に消える」とか「依頼人は三度襲われる」といった題名につられて読んだが(「失踪当時の服装は」や「事件当夜は雨」といった題名が好きだったので)、ちっとも面白くなかった。これを契機に探偵小説から足が遠のいた。

   
   

 探偵小説を読み始めた最初のうちは創元推理文庫が多かったが、そのうちに早川書房の「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」(HPM)で、87分署シリーズや、ファン・デル・ベルク警部(「雨の国の王者」)、ギデオン警部などを読むようになった。シムノンやボワロ = ナルスジャックも HPM で何冊か読んだ。新書版サイズで、勝呂忠装丁の表紙の本を持ち歩くことがお洒落だと思っていた。
 角川書店や早川書房の単行本も何冊も買ったが、定年退職後にかなり断捨離してしまった。ジョゼフ・ウォンボー・村上博基訳「オニオン・フィールド」(早川書房、1975年)と、フレデリック・フォーサイス/篠原慎訳「オデッサ・ファイル」(角川書店、1975年)だけが残っていた。何か捨てがたい気持があったのか・・・。

   
        

 角川書店から出ていたマイ・シューバル、ペール・ヴァ―ルー夫妻の「マルティン・ベック警部シリーズ」は文庫本と単行本で10冊すべて読んだ。第6作の「サボイ・ホテルの殺人」には「1976・4・30 am 0:40 Good !」と書き込みがあり、第9作の「警官殺し」には「1979・3・25(日)pm 6:25 冗漫」と書き込みがあった。 ちょうど飽きが来た頃に、ほどよくシリーズも終わったようだ。
   
   

 河出書房から長島良三の企画で「メグレ警部」シリーズが出た時は、最初の20冊はすべて読んだ。それが全24巻になり、全30巻になり、最後は全50巻になったのだろうか。フランス人(ベルギー人?)なのにワインを飲まずにビールを飲み、サンドイッチを食べて、パイプをくゆらすメグレは好きな探偵だし、事件の描き方もよいが、30冊、50冊も読むほどではない。
   

 犯罪実話もの、クライム・ノベルは、いまだに興味が続いている。
 オカルトものも含めて、コリン・ウィルソンにはまっていた時期もあった。ウィルソンのテレパシー実在説を信じて、吉祥寺の東急通りで、数メートル先を歩いていた成蹊の女子高生の後ろ姿に向かって念力を送ったところ、彼女が振り向いたことがあった。信ずれば通ずる。
 切り裂きジャックもの(?)については前にも書いたが、ドナルド・ランベロー/宮祐二訳「十人の切裂きジャック」(草思社、1980年)という本も出てきた。この本の中に、通称「ヨークシャー・リッパ―」という1970年代にイギリス、ヨークシャー州で13人の女性を殺した連続殺人犯に関する新聞記事が何枚か挟んであった。犯人はリーズ近辺で犯行を繰り返し、最後は何とシェフィールドで逮捕されたのだった。
 現在、BSテレビ 560ch のミステリー・チャンネルで、この実在の事件をモデルにした「ヨークシャー連続殺人事件」を放映している。

   
 
 小津安二郎や西部劇などの映画でも、その他何でも解説本を読まないと身につかないというか、海馬の中の収まるべき場所に収まらない習性がぼくにはある。探偵小説についても、江戸川乱歩「幻影城」や松本清張、有馬頼義らの探偵(推理)小説論を何冊も読んだ。
 以下はその一部だが、シャーロキアン、リッパロロジスト(?)を目ざすほどにのめり込む気質は持ち合わせていなかった。

   
   

 昨日からは、懐かしさもあってアイリッシュの「さらばニューヨーク」を読んでいる。
 結局1960~70年頃から今日まで、数十年にわたって興味が持続したのは、メグレ警部などの警察ものと、ヨークシャー・リッパ―などの犯罪実話もの(クライム・ノベル)だけだった。
 最近は探偵小説だけでなく小説も読んでみたいという気になる作品が見当たらず、ほとんど読まなくなってしまった。「事実は小説より奇なり」で、小説やドラマの「作り物」ぽさがそらぞらしくて、テレビ番組も「映像の世紀」などのドキュメントや、ニュースばかり見ている。
 わずかにテレビドラマでは、ミステリー・チャンネル(BS 560ch)などで放送している「フロスト」「モース」「ダルグリッシュ」「ルイス」「ジョージ・ジェントリー」「ヴェラ」などなど、警察ものばかり見ている。ほとんどすべて見てしまったので、いよいよ最近は見るものがなくなりつつある。

 2024年5月23日 記   
 
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 軽井沢に行ってきた(2024年5... | トップ | ヨークシャー連続殺人事件(... »

本と雑誌」カテゴリの最新記事