現在、甲子園で高校野球が行われているが30年前、甲子園を沸かせたの投手が桑田真澄だった。1年夏から3年夏まで出場可能な大会(5大会)すべてに出場。通算20勝(3敗)を挙げた。この記録は未来永劫破られないだろう。ちなみに田中マーくんは甲子園8勝である。桑田の半分にも及ばないのだ。
高校3年間はストレートとカーブの2種類しか投げず、清原に「スライダーやシュートも投げれんのに、何で投げんの?」と聞かれると「将来プロに進んだことのことを考えてのことだ」と返し、「とんでもない奴と一緒にやっとるんだオレ」と驚嘆させた。
「甲子園優勝投手は大成しない」と言われたが、巨人に入って173勝を挙げ、この定説を覆している。これは松坂大輔、田中マーくんに引き継がれている。
桑田の凄い所は投げるだけじゃない。打っても守っても一流だったことだ。甲子園で6本ものホームランを打っており、これは清原に続いて通算2位である。プロに入っても7本打っており、通算打率は2割を超える。ウィキペディアで投手でありながら、打撃の成績が載っているのは桑田くらいだろう。同僚の川相昌弘(現巨人ヘッドコーチ)が打撃のアドバイスを求めたほどである。
打者・桑田と言えば2002年の6月19日の横浜戦。延長11回無死1塁の場面で、まだ野手が残っているにも関わらず原監督が代打で指名させたのは桑田だった。そしてバスターエンドランを見事に成功させチームを勝利に導いている。
守っても野手顔負けで、ゴールデングラブ賞を8度も獲得している。これは巨人の先輩・西本聖と並んで史上最多タイである。おそらく野手に転向しても活躍できただろう。「投げ終われば9人目の野手」という意識がすごく高い選手だった。
投手は打ち終わって1塁に走る場合、またランナー出た場合、「全力疾走」すると疲れて投球に影響するので手を抜く人がほとんどだが、桑田は走塁も全力だった。解説で「投手が全力疾走して疲れるくらいなら(その程度の体力なら)野球辞めた方がいいですよ」とはっきり断言するほど。
投げても、打っても、守っても、走っても常に全力。そして投手として明確な理論を持っている。そんな桑田を慕う後輩は多い。桑田には巨人という1つの球団に縛られずに、幅広く自らの野球論を指導してほしい。東大の臨時コーチはその一環だと思う。
高校3年間はストレートとカーブの2種類しか投げず、清原に「スライダーやシュートも投げれんのに、何で投げんの?」と聞かれると「将来プロに進んだことのことを考えてのことだ」と返し、「とんでもない奴と一緒にやっとるんだオレ」と驚嘆させた。
「甲子園優勝投手は大成しない」と言われたが、巨人に入って173勝を挙げ、この定説を覆している。これは松坂大輔、田中マーくんに引き継がれている。
桑田の凄い所は投げるだけじゃない。打っても守っても一流だったことだ。甲子園で6本ものホームランを打っており、これは清原に続いて通算2位である。プロに入っても7本打っており、通算打率は2割を超える。ウィキペディアで投手でありながら、打撃の成績が載っているのは桑田くらいだろう。同僚の川相昌弘(現巨人ヘッドコーチ)が打撃のアドバイスを求めたほどである。
打者・桑田と言えば2002年の6月19日の横浜戦。延長11回無死1塁の場面で、まだ野手が残っているにも関わらず原監督が代打で指名させたのは桑田だった。そしてバスターエンドランを見事に成功させチームを勝利に導いている。
守っても野手顔負けで、ゴールデングラブ賞を8度も獲得している。これは巨人の先輩・西本聖と並んで史上最多タイである。おそらく野手に転向しても活躍できただろう。「投げ終われば9人目の野手」という意識がすごく高い選手だった。
投手は打ち終わって1塁に走る場合、またランナー出た場合、「全力疾走」すると疲れて投球に影響するので手を抜く人がほとんどだが、桑田は走塁も全力だった。解説で「投手が全力疾走して疲れるくらいなら(その程度の体力なら)野球辞めた方がいいですよ」とはっきり断言するほど。
投げても、打っても、守っても、走っても常に全力。そして投手として明確な理論を持っている。そんな桑田を慕う後輩は多い。桑田には巨人という1つの球団に縛られずに、幅広く自らの野球論を指導してほしい。東大の臨時コーチはその一環だと思う。
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