巨人・レッズ・チャーハン(2019年は和と動)

基本的には巨人応援ブログです。しばし更新していませんでしたがマイペースで再開。

思い出の開幕戦 まさかの開幕投手・川崎(2004年)

2014-03-28 08:48:18 | 野球
 

1996年にロッテの開幕投手が園川ということがあり議論を呼んだがこの年、中日の落合博満はそれを上回る衝撃を与えた。
なんとFAで中日に移籍しながらも右肩の負傷で3年間1軍登板のなかった川崎憲次郎を指名したのだ。大方の予想はエース川上憲伸だった。
この報を東京ドームの解説席で聞いた星野仙一(当時は阪神のシニアディレクター)は「名古屋のファンに失礼」と苦言を呈したほど。だが落合には、それなりの意図があった。

落合は監督に就任すると毎度補強する巨人や、監督に就任すると大幅に選手を入れ替える星野仙一へのあてつけか、「補強はしなくてもチームの総合力を10%上げれば勝てる」と一切の補強はしなかった(ドラフトは除く)。そこで補強なしの全選手横一線のチームに刺激を与えること、先発投手の漏洩がないかを確かめるために川崎先発を決めたという。

年が変わった1月3日に川崎に電話し、「開幕はお前だ。これは俺とお前しか知らない」と通告している。
落合は先発投手、投手の交代はすべて投手コーチの森繁和に任せていた(07年の日本シリーズで完全試合達成目前の山井に代えて岩瀬を投入したのは落合ではなく森の選択)が、監督初年度の開幕投手だけは自分で決めた。

落合は森に開幕・川崎を提案すると「開幕戦から捨てゲームを作るのか」と呆れられたという。
実際、川崎はブランクを埋められず、2回途中5失点で降板するが、チームはその後、逆転勝ち。これで勢いがついたかはわからないが、チームは5年ぶりにリーグ優勝をはたす。
この年を含め、落合は8年間指揮して4度のリーグ優勝、1度の日本一。球団創設初めてのリーグ連覇を達成する(2010・11年)など黄金時代を築いたが、スタートは「開幕投手・川崎」の選択だった。

落合監督の1209試合 (名将たちのベースボール)
加古大二
トランスワールドジャパン


落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」
横尾 弘一
ダイヤモンド社


野村「ID」野球と落合「オレ流」野球
川崎憲次郎
KKロングセラーズ














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思い出の開幕戦 原2打席連続ホームラン(1989年)

2014-03-28 07:13:10 | 巨人
プロ野球の開幕戦は特別のものだ。たかが1試合されど1試合。重みが違う。負ければただの1試合だと思うんだけどね。
そんな中、元号が昭和から平成に変わった1989年の開幕戦はある種、特別なものだった。スタメンは

1番サード   中畑 清(現DeNA監督)
2番ショート  勝呂博憲(現巨人内野守備コーチ)
3番セカンド  篠塚利夫
4番レフト   原 辰徳(現巨人監督)
5番センター  クロマティ
6番ファースト 岡崎 郁(現巨人2軍監督)
7番ライト   駒田徳広
8番キャッチャー中尾孝義(現阪神スカウト)
9番ピッチャー 桑田真澄 

この年から就任した藤田監督は大胆なコンバートを行う。それがレフト・原、ファースト・中畑だった。
慢性的なアキレス腱痛に悩んでいた原を藤田監督がレフトへのコンバートを通告。「もう3塁へ戻ることはないんですね」という原の問いかけに「それはない。ダメならもう塀の外しかない」と追い込んだ。原にとって藤田監督はドラフトで自らを引き当ててくれた恩人。悩んだ末、受け入れた。

開幕前夜、原はなかなか寝付けなかったという。
そんな中、迎えた初回の開幕第1打席。ヤクルト先発・尾花(現巨人2軍投手コーチ)のカーブを捕らえると、打球は左中間スタンドに消えた。これがプロ入り通算250号。スタッフが花束を持って出迎えたが、それには目もくれず藤田監督やナインとハイタッチをしていたのが印象的だった。3回には2打席連続でホームランを放った。

先発は桑田。ドーム元年の88年も先発したがKOされたが、この日はこの年に中日から移籍した中尾孝義の強気なリードもあり、プロ入り最少の99球で完投。エースと4番ががっちりかみ合い「今年の巨人は違う」という印象を強烈に植え付けた。

このゲーム以降、斎藤が11試合連続完投勝利、クロマティが96試合まで打率4割を維持するほど打ちまくるなど、チームは快調。2年ぶりにリーグ優勝をはたし、アンチ巨人でニュースキャスターの久米宏は、頭を坊主にした。

 
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