1996年にロッテの開幕投手が園川ということがあり議論を呼んだがこの年、中日の落合博満はそれを上回る衝撃を与えた。
なんとFAで中日に移籍しながらも右肩の負傷で3年間1軍登板のなかった川崎憲次郎を指名したのだ。大方の予想はエース川上憲伸だった。
この報を東京ドームの解説席で聞いた星野仙一(当時は阪神のシニアディレクター)は「名古屋のファンに失礼」と苦言を呈したほど。だが落合には、それなりの意図があった。
落合は監督に就任すると毎度補強する巨人や、監督に就任すると大幅に選手を入れ替える星野仙一へのあてつけか、「補強はしなくてもチームの総合力を10%上げれば勝てる」と一切の補強はしなかった(ドラフトは除く)。そこで補強なしの全選手横一線のチームに刺激を与えること、先発投手の漏洩がないかを確かめるために川崎先発を決めたという。
年が変わった1月3日に川崎に電話し、「開幕はお前だ。これは俺とお前しか知らない」と通告している。
落合は先発投手、投手の交代はすべて投手コーチの森繁和に任せていた(07年の日本シリーズで完全試合達成目前の山井に代えて岩瀬を投入したのは落合ではなく森の選択)が、監督初年度の開幕投手だけは自分で決めた。
落合は森に開幕・川崎を提案すると「開幕戦から捨てゲームを作るのか」と呆れられたという。
実際、川崎はブランクを埋められず、2回途中5失点で降板するが、チームはその後、逆転勝ち。これで勢いがついたかはわからないが、チームは5年ぶりにリーグ優勝をはたす。
この年を含め、落合は8年間指揮して4度のリーグ優勝、1度の日本一。球団創設初めてのリーグ連覇を達成する(2010・11年)など黄金時代を築いたが、スタートは「開幕投手・川崎」の選択だった。
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