私が居る理由

~私が今ここに居る理由を探して生きている・・・~ とは言ってみたが、書いていることは超カルい、日々の雑記帳。

がんばろう、東日本

2011-10-29 22:41:47 | 雑記
今日は、レンタカーを借りて、基本、国道45号線を北上してきた。
この日のために買った「復興支援地図(旺文社)」と図書館で借りたるるぶを持って。
朝8時過ぎに仙台駅を出発し、塩竈市、松島町、東松島市、石巻市、南三陸町、そして、気仙沼市へ。

松島町は、観光バス、観光客がいっぱい。さすが、日本三景。
大打撃を受けた特産の牡蠣も鳥羽から取り寄せて、食べ放題ではなく、1個or2個or3個セットで観光客に焼き牡蠣を提供していたので、美味しくいただいた。

で、東松島市の野蒜地区に入って飛び込んできた風景は、まさにTVでみたもの。
以前の風景を知らない者には、広がる何もないところに、所どころ、壊れた家が残っている。
初めて、壊れた駅舎を間近に見たのも野蒜駅。すさまじい。

石巻では、市役所に合わせたはずのナビが、高台の石巻小学校の脇を抜け、訳がわからなくなって、海側を目指すと、偶然、門脇町にでた。
大木が残った大きなお寺の脇には、多くの倒れた墓石が。その向こうの高台には、鳥居さんが見える。
そして、先にある学校らしき建物は四階まで全部津波に襲われたのか。
特に左側は、火災の後のように黒くなり、何もない感じ。
そして、よく見る「がんばろう!石巻」の看板が立っている場所が、すぐ近くにあった。
たくさんの花やお供え物があり、ここで初めて車から降りた。他所は、そんな雰囲気でない。

石巻で昼食をとり、大川小学校を目指す。
北上川沿いの道を走る。本当に川のすぐ横にある学校。
降りていいのかどうか迷ったけど、たくさんの車があったから、遠くに停める。
お線香やたくさんの花やお供え物があげられた慰霊碑の前で、リンをたたき、手を合わす。
保護者の方々が常にきれいに手入れされているようで、タオルで汚れを拭いたり、花を活け替えたりされていた。
円形をモチーフにしたモダンな学校で、奥の建物の太い円柱の根元部分は、鉄筋が見え、傾いているものも。津波の破壊力を感じた。
ただ、逃げようとした橋は、小学校より高いが、川沿いの道と同じ高さ。避難場所には見えず、裏山しか高い場所はない地形。
想定外の津波。そう、そうだったんだろう。

山の中の細い道を抜け、45号に出、南三陸町を目指す。
すべてがなくなった南三陸町を抜ける国道45号。言葉もない。
地盤沈下か、水が道路をおおう場所も多くある。
何もかもなくした場所をぬけようとした所に、プレハブのセブンイレブンがあった。元気をみつけた気がした。

そして、一山越えた所も津波の被害。そして、そこも南三陸町。その場所を抜ける時、目の前の高い場所に鳥居さんが。
この辺りの人は、ここへ逃げたのかな、神様が守ってくれたのかな、と思うと、もうダメだった。
もう、津波の被害を見たくないと思った。誰が悪いの、誰が助けてくれるの、と思った。

そして、何の被害も受けていない私たちには、何ができるのか、何もできないのか、息子と語り合いながら、でた結論は、ちゃんと生きること。
誰にも迷惑をかけずに、自分の力で生きること。無駄なお金を使わせず、困っている人に、一番お金が必要な人に、私たちのお金(税金)を使ってもらうこと。
でも、それを決める人は?任せておいて大丈夫なのか?どうなる、日本。

気仙沼に入った時は暗くなっていて、被害の様子は、あまりわからなかったけど、ホテルの近くは、信号もなくなっていたり、消えていたり。
もちろん、アスファルトはない。


たった1日だけど、TVでしかわからなった被害を実際に見て、これは、本当にとんでもないこと、想像を絶する事だと実感した。
あまりにも大きい。とてつもなく大きい。言葉では言い表せられない。

でも、かならず、復興する。いつか、必ず。
がんばろう、東北。がんばろう、日本。

でも、この被害の大きさを実際に目にすると、途方もない。無力だと感じる。

でも、今日より明日は、、、。
信じるしかないのだろう。がんばるしかないのだろう。

もう、どうどうめぐりにしかならない。今の私には。

今、一番、がんばらなければいけないのは誰?
やっぱり、無力だ。。。どうすることもできない。
どうして、何もできないのか?

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