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東京の夜景動画ブログです。

鑑賞者の独自性

2007-05-20 19:32:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


今日は朝からすばらしい好天に恵まれ、しかも空気の透明度も比較的高かったので、予定を変更して撮影に出かけた。
現場に到着したのは昼過ぎだったが、それでもシートフィルム10枚にロールフィルム1本も消費したのだから、まぁ嬉しがりにもほどがあるかもしれない。



その後は知人と合流して、荷物の受け渡しついでにインドカレーをむさぼり、雑談ついでに少しだらだらしたのだが、片付けなければならない原稿もあり、夕方までには事務所へ戻って仕事に着手する。



知人と荷物の受け渡しをした際、前から観たかったEuropean Fields: The Landscape of Lower League Footballという写真集を借り受ける。写真集の内容については、作家であるHans Van Der Meer自身のウェブサイトを閲覧していただくのが一番だが、サッカーのことをまったく知らない鑑賞者であっても、作品としてのすばらしさは十分に伝わると思う。



むしろ問題なのは、サッカーのことをよく知っている鑑賞者の方で、だんだんピッチ上の出来事が気になり始めて、ややもすると鑑賞ならぬ観戦モードに入ってしまうのだ。



以前、あるカメラ愛好者が紅葉写真を鉄ヲタにみせたところ、画面片隅の線路跡に引っかかってしまい、紅葉そっちのけで廃線話を聞かされたとぼやいていたが、もしかしたら自分もその鉄ヲタと大差ないやも知れぬ。白状すると、そのボヤキを聞いたとき、自分は「鉄ヲタって本当にどうしようもないですね」などと適当に合わせつつ、内心では「紅葉写真じゃ鉄分に負けても仕方ないよなぁ」などと舌を出し面白がっていた。



ただ、結局のところ鑑賞者が作品のなにに引っかかるか、あるいは肯定的にせよ否定的にせよ、どの要素に興奮するかは、作品が影響を与えるとかそういう問題ではなく、あくまでも鑑賞者自身の問題なのだろう。



このことをブルデュー風に言うなら「作品は鑑賞者のハビトゥスによって選び取られる」とでもなろうか。



最近発生した猟奇的な事件をきっかけに、またメディアや表現への風当たりが強くなるかもしれないが、実は暴力表現やポルノ表現も含め「受け手の側が積極的にその情報なり作品なりを迎え入れ、吸収しない限り、作品や情報が個人の行動に与える影響は非常に限定されている」し、そのことはクラッパー等が提唱した限定効果説によって科学的にもほぼ定説化しつつあるとさえいえよう。



まぁ、作り手の側とすれば自らの作品が多くの人々に大きな影響を及ぼして欲しいところだろうが、現実は鑑賞者が自らの社会的経験や興味の方向に応じて「最も都合がよい、あるいはもっとも好ましく思える要素」を、選択的に受容しているに過ぎないし、そもそも受容されない要素が何らかの影響を及ぼすはずも無いのだ。



それにしても、オタクというのはハビトゥス理論によく合致しているというか、オタク社会そのものがハビトゥスを体現しているのではないかとさえ思えることもあるのだが、なぜかオタク分析にハビトゥスを応用しようとする人はいないようだ。ご存知のように、現在のオタク分析はフランス哲学にその多くを依っているので、ブルデュー的な社会学がオタク分析に応用されないのは、一種奇異な印象すら受ける。



まぁ、まだポストモダンに記号論が幅を利かせているようじゃ、ブルデューどころじゃないよという話も聞いたが、それにしても不思議な話しだよねぇ~



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