空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「冬虫夏草」   梨木果歩   新潮社

2014-06-07 | 読書
  



これの前編のような、「家守綺譚」は、綿貫征四郎が住んでいる家の周りで起きた話だった。手入れのされていない、いわば野趣のある庭の草木が醸し出す夢と現実の境を見るような風景が、描かれていた。

続編の「冬虫夏草」は、長く帰ってこない犬のゴローを探して、鈴鹿の山並を歩く話で、やはりこの世のものでない様々な出来事に出会う。

征四郎の自然体が、呼ぶというのか引き寄せるというのか、人間には「妖かし」に見える事柄も、彼には不思議ではなく、かえってそれらに親しまれ、宿を与えられて歓待される。本当に何かほのぼのとした読後感だった。

ゴローがいなくなったのも、それなりの仕事があったらしいのだが、山には邪気も住んでいて、何かあったのではないかと心配でならない。
そのうえ、イワナの夫婦の宿というのにも泊まってみたいと思う。
そんな征四郎の好奇心と一緒に鈴鹿の山を歩くのは楽しかった。

鈴鹿の峰を源にするいく筋もの流れは清らかに澄んでいるし、雨の後の落ち葉の匂いや、山霧の立つ様子などは、不思議な古代の気配があってもおかしくない気がする。
そこには、川に沿って山奥の集落が点在し、古代からの習わしのように自然の神々が敬われ祭りの行事も伝わっている。


――それはついこの間、ほんの百年少し前の物語――




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雨のち晴れ

2014-06-06 | 日日是好日
  
ムラサキサギゴケ         アケボノソウ


  
喉が痛くて風邪気味だった。引いたなと思ったら市販の風邪薬を飲んで寝るとすぐ治ったのに、かかりつけの先生が心配性で、漢方薬しかくれない。即効でないので、少し横になってみたら、ネコが顔の横でスリスリする。
目をじっと見るので「風邪がうつるよ」といったら、嬉しそうに「にゃーん」と鳴いた。

衣替えに出したまま片付けもしないで積んであった中から薄い長袖を着て、散歩に行った。
梅雨明けまでは寒い日もあるし、と言いわけをして、まだヒーターも置いたままだし。
今朝夫が部屋に来て「オッ 凄い事になってる」と言われたので「まだ油断したら風邪ひくし・・・」もう一言「ホレ 八十八夜の別れ霜というでしょう」「八十八夜っていつかな?」「5月初めごろでしょう、今??アワワ」知ったかぶりで墓穴を掘る私゜(*´□`*)゜

「風邪なのに散歩?」
「行きたがるし、横にいて行こう行こうと言うし、ねだってるし」
「ネコの母音は、アとウだぁけ、ニャーンとフウだけ、それに笑った顔も見たことがない」
違うのだ、微妙な音の混じり方で話は繋がっている、目の色や口元で笑うのだ。と言いたかったが、「ア」と「ウ」しかわからない人には、暖簾に腕押し、ネコに小判?

猫に引かれて散歩に行ったので、料理を怠けると仮病に見えるかも、今朝は野菜ジュースも作らなかった。と善良なところで、夕ご飯を作った。
ごく簡単に茄子とひき肉の味噌炒め。気分治しにサービスで豆板醤を多目に入れた。美味しすぎて泣かないように(笑)

まぁ、この間すだれを吊ってくれたし、おまけにワカメとナメタケのお味噌汁、大好きなかぼちゃと冷凍インゲンの煮物。

手抜きこの上なくてあっという間にできた。余った時間にブログ(笑)


雨だったので水撒きもなし、明日は晴れるらしいが。

「冬虫夏草」を200ページ読んだ。中に出てくる花はみんな懐かしい。昔写したムラサキサギゴケ、とアケボノソウを見つけて貼り付けた(^^)/






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「灼熱」  シャーンドル・マーライ  集英社

2014-06-05 | 読書



シャーンドル・マーライ
1900年 コショ(現スロバキアのコンツェ)に生まれる。フランクフルト大学及びベルリン大学に学ぶ。
その頃、無名のカフカを見出し、ハンガリーで翻訳。
1930年代にハンガリーを代表する作家となるが、48年に亡命。
作品はすべて発禁処分になり、やがて忘れられた。
1989年 ベルリンの壁崩壊の直前、亡命先のサンディエゴで自殺。
1990年 祖国ハンガリーで出版が再び開始される。
90年代末、本書の国際的成功により、20世紀の最も重要な作家の一人に名を連ねることとなる。


久し振りにトーマス・マンやヘルマン・ヘッセの世界を思わせる文学に出会った。未だ友情という徳が輝いていた時代ならではの悲しい物語に心打たれる 川本三郎(文芸評論家)

ハンガリーの高名な作家シャンドール・マーライの傑作「灼熱」は体制転換後五十年を経て再び刊行され、脚光を浴びた。だがその直前、亡命先のサンディエゴで彼は孤独のうちに自らの命を絶っていた。国を出てから四十一年後。奇しくもそれは本編の主人公ヘンリクが友コンラードを待ち続けた歳月と重なる。これは、文学がまだなんのためらいもなく「文学」でいられた幸せな時代の作品である。(訳者あとがきより)



ハンガリーの貴族で今は将軍のヘンリクは、待ちわびていた友コンラードからの便りを受け取る。彼が行方不明になってから41年、当時24歳だった彼らは年老いていた。
ヘンリクはコンラードが旅立った日を再現し古びた館には明るく蝋燭が灯された。ヘンリクには問い質されなければならない疑問が胸に積み重なっていた。ヘンリクの友情は真実だったのか嘘なのか。原因はコンラードか自分か、それとも妻のクリスティーナなのか。
意味深く、繊細な心にしみる物語をうまく語れないので、引用が多くなる。長く長く待ち続けた友人が現れたとき、ヘンリクの心の中の言葉は整理されて、発酵して、究極の香りを持つようになっていた。それは友コンラードに向けられていたものが、やがて一つ一つの言葉が鏡のように自分を映し出す。間違ったのは誰か、こういう悲哀の源は誰が作り出して育てたものか、ヘンリクは年の歩みとともに思いは乱れたり、たゆたったり澄み切ったり淀んだりした。そして確信どおりコンラードは現れた。もう二度と会うこともないような老いた二人の時の流れの中に。

コンラードから手紙がとどいた。

「昔と同じように、とお望みですか?」
「そうだ、あのときのままに。最後のときのようにな」
「わかりました」
 ニニは言った。
 それから将軍に近づいて、身をかがめ、そのしなびた手に口づけした。その手には指輪がはめられしみと血管が浮き出ていた。
「取り乱さないとお約束ください」
「わかった」
 将軍は小声で優しく言った。


父は近衛将校で、貴族の家柄だった。士官学校に入り10歳のとき隣のベッドに寝ていたコンラードと知り合う。

初めて会った瞬間から、ふたりはこの出会いが自分たちを生涯結びつけるものだと感じた。

ヘンリクは緊張しながら父親に紹介したが父はコンラードと握手をして、家族の一員に迎えた。
二人とも一人ではないことを感じて幸せだった。何もかも共有した。
二人が将校になった時、コンラードは家族を紹介した。父は男爵だったが名ばかりで疲れ果てていた。家は狭くて泊まれず、コンラードは自分に必要なものを与えるために身を削って暮らしている両親の話をした。

「だがこんな風に生きていくには僕にはとても辛いんだ(略)二十二年このかた、父は一度もウィーンにいったことはない。自分が生まれ育った町なのにこれもみな、息子の僕を、自分たちが力及ばずしてあきらめたひとかどの人物とやらにするためさ(略)
 コンラードはごく低い声でつぶやいた。
4日間ふたりはこの町にとどまった。発ったとき二人はこれまでの人生で初めて、自分たちの間に何かが起きたという感情を抱いた。一人がもうひとりに借りがある。そんな感情だった。それは言葉では言い表せないものだった。(略)
僕の財産を使ってくれ。実際、彼は自分の莫大な財産をどうしたらいいのかわからなかったのだ。だがコンラードは毅然として言った。「びた一文、受け取るわけにはいかない」(略)
コンラードは早々とふけた。二十五歳ではやくも読書用めがねが必要だった。(略)彼らはお互い相手を好いていたので、それぞれの「原罪」を許した。つまり豊かさと貧しさを。母とコンラードが「幻想ポロネーズ」を弾いたとき、父が漏らした「別種であること」は、コンラードに友ヘンリクの心を支配する力を与えた。


父の言葉は、両親の心の隔たりについて父が気づきながら暮らしてきた歴史を物語っていたのだが。


コンラードもまた、かすかに嘲笑と侮蔑が入り混じった、それでいて抑え切れない好奇心を感じさせる口調で、世間について語った。それはまるで、あちら側、つまり彼の反対側の世界の出来事に興味を抱くのは子どもや無知な人間だけだというようだった。

内心の声を感じながらも彼らは強烈な何ものにも犯されない「友情」という言葉を信じあるいはお互いを縛り続けていた。

コンラードが何も告げずに消えたとき、ヘンリクは初めて彼の家を訪れた。コンラードはそれまで訪問を拒否し続けていた、だがその部屋は実に芸術的に整えられ、高価な家具や椅子が置かれていた。コンラードは農場を受け継ぎ遺産を手にしていた。
空き家に立って呆然としていたヘンリクはそこに妻がきたのを見て驚いた。彼女はコンラードの幼馴染で同じ世界を共有していた。彼女はここへの道を知っていたのだとヘンリクは思った。

コンラードが去ったのは妻のせいなのだろうか、だがそれを聞くこともなく、コンラードがいなくなってすぐに別居した妻は7年後に亡くなった。

出会った二人はお互いの顔に時の流れを見た。そしてヘンリクは昔の友情の底に流れていた思いに気づいたことをしみじみと話す。殺したいほど憎まれていたかもしれないとおもう。猟銃をかまえたコンラードがチャンスをみすみす見逃して撃たなかったことを話す。

コンラードは漂泊した国々の話をする。どこにいても異国人だった年月の話をする。

ヘンリクは答えがほしかった。長年考えてたまっていた言葉でコンラードに問い糺す。絆について。二人が共有した情熱について、生きてきた意味について。


「なぜ僕にそれを聞く?」
コンラードは静かに言った。
「そのとおりだということは君が良く知っているじゃないか」


二人は無言で挨拶をし、深々と頭を下げた。

夜が更けてコンラードは帰る。もう遭うことのない将来に向かって。
「それではロンドンに帰るのかね」
自分に言い聞かせるように将軍は言った。
「そうだ」
「そこで生きていくのか」
「そこで死ぬんだ」





* * *


何も思わないで読書にふけった頃の香りがした。静かな気取りのないしみじみとしたいい作品だった。作者の影が投影されているように感じた。




余談が許されるだろうか。
ヘンリクは一方的に、自分を中心に身分や社会制度や二人の立場などの違い、根本的な心の向かう方向の違いがやっと見えたことを話す。それが不意にコンラードを駆り立ててしまったと思う。彼は自分の考えをコンラードに確かめたかった。それはそれでいい。人とはそういうものに生まれている。
「逐電」という言葉をコンラードは嫌がった。逃げたのではない、コンラードはヘンリクの問いに答えてはいない、ヘンリクはもう答えを出してしまっている。それでいいとコンラードは思ったのではないか、いまさらなにを言っても。過去に双生児だと見られようとも二人は一人ずつの人間で、ヘンリクはヘンリクの見方しかできないと、人はどんなに情熱的で純真だとしてもお互い全てを理解することはできない。ヘンリクのように41年間かかっても知ることが出来ない人間の心の深い闇を持っているのが、生きていくことなのだ。私も出来るだけ何事も隠さず生きたいと思うが、やはり触れて欲しくない部分はそれ以上に沢山持ち合わせている。


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「星間商事株式会社社史編纂室」 三浦しをん  筑摩書房

2014-06-04 | 読書



「舟を編む」「神去なあなあ~」で好きになって、この本を予約していた。多めに来た本の中から一番に読んだが、雰囲気としては「舟を編む」のようにチームで本を作っていく話。ここでは「社史」

ただ、社史というのが身近でない。
私が某財閥系の会社にいた若いときには、役員室や来賓用の部屋の戸棚などに、箱に入った分厚い社史が並んでいた。社業に非常に貢献した言う逸話のある顧問が入院した。見舞いと連絡役を頼まれたが、病院で社史を書いていると聞いた。広い病室のベッド脇に書棚があったが、資料置き場のような体裁だったのに、そこは見舞いの花が溢れていた。
その時、社史を書き継ぐことは長く勤めた役員の現役退任間近な仕事だと思い込んでしまった。


この星間商事は61年目という半端な区切りで初めて社史を作る。まずまずの歴史はあっても、それが今の社内ではすぐ知れるような事ではなく、社史編纂といういわば閑職に回る人もなかったようだが、折りよく毛色の違った4人がその仕事を任される。
何かを作り始めるという緊張感もなく、資料集めはしながらも、個人の趣味や、アフターファイブ(今でも使う?)にいそしんでいる毎日。
社史編纂室という名前はあるが部長は顔も見たことがなく課長も勝手なフレックスタイム出勤で、気の抜けた部署である。
主人公の川田幸代はコミケで高校の友人三人と、小説を載せた同人誌を売ることに時間を費やしている。

資料を読んで見ると1950年から60年にかけて会社は急成長し、戦後の復興事業の盛んな頃、他の大商社に混じって東南アジアでの取引で大成功を収めたらしい。
しかしその時代にはなにかいわくがあるのか、退社した元社員の口が重い。「触れるな」という意味のはがきが来たりする。
これが社史編纂のネックではあるが、既に窓際の席が確定の課長以下三人は、逆にファイトを燃やす。
不明瞭な点については当時の反派閥や外れたルートで何とか記事が埋まる。このことで反響があったこともあって、次第にペースも上がり、期日に間に合ってめでたく発刊の運びとなる。
社史編纂の話はこういう流れなのだが、やはり繰り返すようだが国にまで影響を与えたとか、時代の流れを変えたとかという会社なら社史も対外的に影響があるだろう。名もない中堅商社は社史も社内でも関心がなく、一部の過去の人たちの感傷のような部分がある。
社史の暗部が表向きにできないことで編纂室でこの部分は同人雑誌としてはどうかという話になる。また仕事が増えたという思いもあるが、課長が張り切って書いた小説はそれとなく真相をにおわせた時代劇風のものだったが、一応、裏社史として付録的に作ることになる。これはコミケで売ろう!!
沈滞ムードの編纂室に活気が戻るが、形が変わっただけであって、読み手にはあまり響かない。
戦後の商社の歴史も、特別なものではない。

それぞれ年ごろで合コンや飲み会もあり、友人の結婚式にも出たり、複雑な気持ちを抱えている。
編集室の面々もいまどきの一般的な若者である。


読後感としては、少しものたりない厚みのかけるものだった。
三浦しをんという作家の文章の魅力は随所に見られるが、やはりテーマが良くないのかな、大掛かりになりそうなミステリ仕立ての部分もあっさり通過してしまっている。そして最後にはメンバーの恋愛などもすんなりめでたく収まる。

そういう話も軽いかな。

コミケで売っている川田幸代の同人誌の中の小説も挟んでいるが、コミケで人気の作品とはいえ流行のボーイズラブではなく中年男性と青年の恋愛話。
課長の書いた小説は時代物の「お前も悪よのう」式で贈賄を探る隠密小説。

社員が余暇の趣味で書いた小説は、軽い遊びかもしれないがこの本の中で引用されて随分多くのページを割いている、その割りに面白くない。




何年か前に読んだ「二流小説家」では、作者が生きていくために書いたポルノ、文芸作品、文学論、ミステリなど多岐にわたる作品が挿入されていたが、どれも独立させれば読み応えがあるだろうというものでその部分だけでもとても面白かった。



三浦しをんさんのパンチの効いた文章の才能が生かされていない気がした。


予約してある[まほろ駅前多田便利軒 シリーズ」か、評判のいい「私が語り始めた彼は」、「エッセイ」などを読んで見よう。
また印象が変わるかもしれない。

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「鬼の跫音」  道尾秀介  角川書店

2014-06-03 | 読書

これはホラーティックなミステリというかミステリアスなホラーというか、じわじわ来る不気味さが入り込んで、そこから恐ろしい出来事が展開する。名手の書いた短編集という読後感だった。、久しぶりに引き込まれて読んだ。
人気の秘密がわかった。

鈴虫

大学時代のこと、ずっと好きだった杏子は友人のSと付き合いだした。私は嫉妬した。壁の薄い隣の部屋でSは杏子と会っていたが、違う女の声も混じるようになった。崖から落ちたSを河原に埋めたのは私だ。そばで鈴虫が見ていた。Sが死んで杏子と結婚した。息子が学校から鈴虫をもらってきた。籠を覗くと鈴虫が私を見て何か呟いた。秋が来て鈴虫は死んだ。メスはオスを食い殺すと息子にも教えてやった。11年ぶりにSの死体が見つかった。死体にかけた私の背広には学生証も財布も入ったままだった。刑事の質問が続く。

犭(ケモノ)
部屋の椅子が倒れて足が取れた。刑務所の作業場で作ったものだったが、折れた足に落書きが彫ってあった。「父は屍  母は大 我が妹よ 後悔はない」と読めた。その後にSという名前があった。
Sを検索すると、彼は過去の事件で無期懲役になり、その後自殺していた。ボクは調べたSの村に行って事件のことを訊ねる。そして椅子の足に書いてあった文字の意味に気がつき、Sの恐ろしい悲しい運命を知ってしまう。
僕は家の中では誰からも相手にされない、出来損ないだと思われていた。優秀な家族はボクのことを気にもかけない。
Sのメッセージを解いたボクは、誰も待ってくれていない家に帰る。
これは最後を読むと、途中で何度も作者の意図が表れた文章に出会う。ああそういうことだったのか。全く非の打ち所がない一編。

よいきつね
20年ぶりに取材をかねて帰った村は稲荷神社の秋祭りだった。
高校生時代、悪友に乗せられ、ふざけ半分で女を空になった神輿蔵に連れ込んで犯したことを思い出す。見張り役の仲間がいたがうまく現場から追い払われてしまっていた。神輿蔵の一件は黙っていたので騒ぎにはならなかった。
橋のたもとに未だ神輿蔵はあった、そこで自分に似た男を見かける。
暁闇、日が落ちた後のかすかな空の明かり、そんな不思議な時間には現実と幻が混じり、自分と他人の境も朧になる。長い竹ざおの下で伝統芸能の「よいきつね」が面白おかしく演じられている。過去と現在の境、祭りの夜は見えないものが見えることもある、隠したものが現れることもある。
そんな夢幻のような一夜の中の不思議が、静かに恐ろしく書かれている。これも秀作。

箱詰めの文学
これは技巧的な一編。
作家と友達のS、彼が作品を盗んだのか。作家の盗作か。原稿は泥棒が盗んだのか。泥棒はSの弟だという。
ないはずのネコの貯金箱を盗んだとその泥棒は言う。中に紙がたたんで入れてあった。「残念だ」あの原稿用紙の文字だ。
過去のことは過去にして、泥棒だったSの弟とSの墓参りに行くそして真相を知る。
謎解きクイズのような形式で引っ張られる。

冬の鬼

仲良く暮らしている夫婦の秘密。
妻の日記が遡るにつれて二人の秘密が明らかになる。
谷崎の「春琴抄」を思わせるような、それ以上に不気味な恐ろしく悲しい話。

悪意の顔
人が入ってしまう絵の話。
はじめは悩みを閉じ込めてくれる絵だった。苛められっ子は臆病な心を絵に移し替えて貰った。
その絵を描いた人の妻は絵に入りたかった。
絵で救われることもある不思議な話。

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「ファイアーウォール」 ヘニング・マンケル 創元推理文庫

2014-06-02 | 読書


これでヴァランダー刑事との付き合いは4作目になる。題名を見て、ITに疎い所はどうするのかと思った。同僚の刑事達が何とかするのだろう。まぁ読んでみよう。
そして見事に外れた。

ヴァランダーは理解できない世界に迷い込んでしまう。

こんなことが起きるなんて、分からない。どうなっているのだ。
それぞれにどんな繋がりがあるのだ。ITの宇宙とはなんだ。

少女が変電所の高圧線の上に放り投げられて焼死した残虐な事件、少女たちはタクシー運転手を惨殺していた。
その後ATMの前で男が突然死した。ITのプロらしいこの男は二箇所に仕事場を持っていたが、手がかりは残されたパソコンだけだった。
突然死で彼はデータを隠す暇が無かったらしい(唯一の手ががり)でもヴァランダーはパソコンは苦手でスタートさせることもできない。
運転手殺しの首犯は焼け死に、残った相棒の少女は関係ないとばかりに全く協力的でない。

同僚の多少できるマーティンソンがパソコンを開けて見るが全く歯が立たない。そこでペンタゴンのシステムに入った前科のあるハッカーの少年を呼んでくる。

彼はシステムを解読しながら進んでいくが、強力な厚いファイアーウォールの前で、現れては消えるプログラムを呆然と眺めるだけだった。

ただ20という言葉が頻発するという。彼は自己のプライドをかけて不眠不休でキーボードと格闘する。

20とは確かな情報なのか、何か意味があるのか。モニターの前でヴァランダーの思考は前に進まない。

一方、ウガンダでは、世界規模の破壊工作が進んでいた、彼はITのエキスパートだった。彼のプログラムを実行するだけで世界経済を破壊するシステムを構築していた。
彼の趣旨に賛同して集まった数名の中で、リーダーになっていった。


一方何も分からないと頭を抱えるヴァランダーも、地道に頭と脚で捜査する以外に無いと思いながら、少女たちや突然死した男の背後を調べだす。

しかし、繋がりのわから無い事件はやはりあのパソコンでなくては解けないのか。

そして、少女ガ以前交際していたという少年が行方不明になり、フェリーのスクリューに巻き込まれて死んだ。

ちらちらと見え隠れする東洋人、ヴァランダーは二度狙撃されて命拾いをする。
ハッカー少年も狙われる。

ヴァランダーが優れているのは、その鋭い観察力と総合判断の正確さと些細な出来事の細部のねじれや不具合を感じ取る能力だが、理解不能なIT社会の中では機能することができない。疎外感と無力感にさいなまれる。

読んでいても、なぜこんなテーマで困らせるのか、作者の意図が、現代社会に対する警鐘だとしても、物語の主人公が彼では解決は遠回りでじれったいではないか。

いつファイアーウォールにひびが入るのか、警察のエキスパートでも歯がたたないところでハッカー少年の執念は実るのか。
その間、ヴァランダーの捜査が続くが、これが隔靴掻痒というのか、もうじりじりした。

頼りはひらめきなのかと思っていたところに、20日のITテロの実行を前に、東洋人がヴァランダーに殺され、ATMの前で死んでいた男(ファルク)が経済コンサルタントであったことが分かり、ついにハッカー少年が壁の裏から入り込みそうになっている。

業を煮やした犯人はついに姿を現す。

というような話だったが。20日が近づくにつれて緊張感が増すはずが、乗り切れなかった。
少女の事件も特に重要な手がかりにならずくたびれもうけのようだし、無残にフェリーで死んだ少年もただ捜査を賑わしただけのようだった。多少関係は有るが。

ああ、これはまずいのじゃないか。ヴァランダーとパソコンではいけないなぁという感想で、上下巻を読み通したのは、今まで面白い話を読ませてくれたマンケルさんと、婚活に踏み切ったがうまく行かなくて、捜査では同僚と齟齬が生じ、あらぬ誤解で世間から非難される、横顔がステキなヴァランダー刑事にエールを送るつもりだけでがんばって(?)読み切ったのだった。



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「一覧表を作る癖」  

2014-06-01 | 日日是好日

庭のニオイバンマツリ(匂い蛮茉莉)匂いすぎかも?


小学校3年生のとき「読書予定表」を作った。四国の一学級しかない仲良しばかりの人たちと別れて、大阪に帰ってきた頃。
そこで、学校に図書室があるのを知った。淋しかったのか、放課後はそこに入り浸り、薄いノートを買って線を引いて、一覧表を作った。「少年少女世界文学全集」が始まりだったような。
読んだ本と、読む予定の本を書き出した。
参考にしたのは、最後についている刊行図書一覧で、岩波文庫も新書からも同じように写した。
「ゼロの発見」「地球の歴史」くらいしか覚えていないが。
読んだ日付と、下の小さな箱に10文字くらいの感想を書いた。それからは冬休みごと、新年の始まりに書くように新しいノートを作った。
予備のページには借りて読んだ漫画も書いた。サザエさんや、手塚治虫の本を書いた。

結婚する段になって、こまごまとした私物や生活用品をトラックに載せて運んだ。
その時卒業アルバムとノートは別にして脇においておいた。そして送り忘れた。
両親はあまり自分のことを言わない子供だったからか、理解できていない部分も多かったのだろう、一山あった参考書や副読本とともに処分したらしい。後で聞いても何をどうしたか覚えが無いといった。
私は育てやすく真面目ないい子だと思われていたので、残したものはてっきりいらないものだと思ったという。ほめられたような気がしたので内心悔しかったのだが今でも我慢している(;^ω^A

何十冊もの使い古して汚れた私の読書ノートはこうして消えた。

頭に残っているのは、当時新しく文芸書に付け加えた、横溝正史の「真珠郎」から始まる怪奇、探偵小説の一覧や、その後会社の人に借りて読んだ、エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンから、後のハヤカワに移っても抜粋を書き続けたもの。007シリ-ズもあった。

今は、’06の頃、捻転の手術後の休養中にDVD映画を見た、勢いがついて元気になってからもおよそ三年で1000本弱。自己流で5段階評価にした表を作った。頭の中で、監督がどうの、照明が、脚本がと考え出したので一時休止。映画の感想一覧表も休みにした。

昨日、子どもたちがTSUTAYAにいって、TSUTAYA CLUB MAGAZINEの6月号を持って帰ってくれた。読んだ後、紹介の中から見る予定のDVDにポストイットを貼り、また今度は進んだエクセルで6月の予定表を作るかなと考えたとき、またまたうら悲しい、なくなった昔の読書ノートを思い出した。

河出書房新社の、緑の箱の世界文学全集はどんな作品だっただろう。こんなとき読書ノートがあったらと思う。
全巻買い揃えて読んだのに、引越し屋さんが本が多過ぎて重いと嫌がるし、転勤先で本好きの人にあげてしまった。どこにでもあるだろうと思ったら、古本でも時々一二冊しか見ない。
最後の巻は短編集でキプリングが面白かった。もう一度読みたいと思うがどこにも見つからない。山のほうに歩いて行って、違った世界を見るという内容だったか、作者が違うのかもしれない、記憶違いも沢山あるし。

車でなら近い、国会図書館にならあるだろう。夫はよく行くが、面倒なのでつい後回しにしていては何かの折に思い出す。

「面倒だな」と思う、そんなことが随分多くなってきた。ちょっとしたことでも「後回しの年代」に入ったのかもしれない。



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