空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「さようならオレンジ」 岩城けい ちくま文庫

2016-06-01 | 読書



オーストラリア、一人は祖国の戦火を避けて二人の息子とともに逃れてきた黒人女性「サリマ」 夫の研究に同行してきた直毛の黒髪を持つのでつけられた名前の「ハリネズミ」

そこには生まれた風土によって立っていることを、故郷を離れてより強く意識する二人の女性と、それを取り巻く人々がいる。

新しい天地で生きていくために、現地の言語から出発しようとする二人に焦点が当てられる。言葉の持つ力を感じ、それを学ぼうとする人たちの交流が書かれている。

難民のサリマは生肉工場に職を得る。現地人とは全く異なる風貌は、差別とは行かないまでもやはり異郷人である。だが彼女は生きていく。まず言葉を得なくてはならない、と職業訓練学校の英語クラスに入学する。
一方「ハリネズミ」は自分の学問を諦めて夫に従ってきたが、一歳の娘を育てながら、やはり以前から書き始めていた創作を英語で書き上げたいと思って英語クラスに入る。

「サリマ」の生活は作者の言葉で語られ「ハリネズミ」は創作学校の教師に当てた手紙で綴られていく。

二人が次第に環境になれ、日常英語を使いこなせるようになって、新しい自己を言葉というものからも発見する。新しい言葉は外の目を持って自分を語ること、言葉の持つ力を感じながらで生きていくこと、そういう作者の意思が、主人公たちの苦悩や寂しさや、たくましさを見つめる人たちの内面を描き出していく。



母国語を忘れることが出来ない、育った風土もそうだ。サリマはそれを息子に伝えたいと思い、また次の世代の子供たちが新しい国の言葉で生活に溶け込むことも願っている。

小さな心温まるエピソードを読みながら、決して自己は分かり合えないかも知れない、自分だけの基盤を持ちながら、共通の言葉を学ぶことでいつか心の世界は共有できるという二人の思いが伝わってくる。


ただ英語で創作をしたいという「ハリネズミ」はお伽噺でない物語を書きたいとも言う。文章をかくことが、つながれた母国語というの鎖から開放され、英語の単語を集めて文章を組み立てることが新鮮な気持ちで感じられるようになったこと、彼女の手紙はそういう決意を述べて結んでいる。



もう少しディテールにこだわるようにとのことでした。ディテール。これが全てだといっても過言ではないと先生はいつもおっしゃいます。「強すぎる、副詞が足りない、形容詞を副詞で訂正しなさい」と。英語の形容詞は多彩すぎて、形容詞を選ぶときは実際の会話や口ぶりから分析したうえで感覚に頼るしかありません。(略)先生が丁寧に選び抜いて私の掛けてくださる言葉と同じ。


こういう文章から書くことの難しさが学べる。

国を出て言葉も環境も離れた視点で、自己を見出すと言う難しい環境の中で生きていく、今、世界は近くなり、また遠いものにもなっている。

少し遠くても現代のグローバルという言葉から思いつく、母国を離れた生活が、言葉というものを通して語られていること、たくましく自己を発見していく二人に感動した。


この作品は、まだ作者が書ききっていない、お伽噺でないお伽噺の部分が感じられた。
沢山の賞を受けている。だがこの作品を土台にしてさらに深い人間性を、海外からの視点で書いた作品を読みたいと思った。


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