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「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」 ジェフリー・ユージェニデス 佐々田雅子訳 早川書房

2016-12-05 | 読書



暗すぎる話で我に帰るのに時間がかかった。
ヘビトンボの幼虫は川に網を入れて掬うとヤゴなどと一緒に捕まえられたが、見るからに気持ち悪く、羽化するとますます胴長で嫌な感じになる、さすが昆虫に強くても余り好きな虫ではなく、これを題名に使った作品は想像どおりだった。

ちょっとひるんだが図書館にあるし、予約してみたら、折り返し来たのでビックリ、やっぱり読む人は少ないのかと思いつつ、図書館本優先で読んた。

手首をきったが見つかって、一命を取りとめていたリズボン家の13歳の末娘が窓からとびおりた、塀の上に落ちて助からなかった。

5人の娘はみな年子だった、こういう家庭は珍しいが、ない事もないだろう。両親は厳格過ぎるほどだったが、5人いれば自分たちだけの世界が作れる。それぞれの性格にあった暮らし方で、貧しいながら学校にも通っていた。

美人ぞろいで、近所の男の子の関心の的だったが、ひとり目が自殺した後、一時残りの娘たちは、自分たちだけの世界の閉じこもってしまった。次第に落ち着き周りには正常に見えてきた。だが母親は何もしなくなった、茫然自失というふうで、数学教師の父親も勤めには行くが次第に奇矯な振る舞いが多くなってクビになる。その頃は、姉妹も家庭の鎖からは解かれたようだったが、それぞれの輪の中からは出てこなくなった。家は荒れ、姉妹は閉じこもってしまった。

関心を持った記者は姉妹の心理を想像してあれこれと書きたてたが、噂も次第に静まっていった。

20年後、この騒ぎを見続けた近所に住んでいた男の子たちは、そのとき姉妹を助けようとした、いざ出発というとき、残りの娘たちもそれぞれの方法で自殺していた。

なぜなのか、助けようと努力した男の子たちはいつになっても衝撃から抜けきれない。

ありそうもない美人五人姉妹の自殺が、最後のシーンだった。そこに至るまでには、穏やかに見える日もあった、だが様子を窺っているとひとりの娘の奔放な生活が見え、中には信仰に生きている娘も見える、また自分の美しさに酔っているようでもある。性格は違うが、閉ざされた中で、異常なことを異常だと感じない、もう学校にも行かず家の中の暮らしがたまらなく暗い。

娘たちの青春、それを見続けた男の子たちの青春は、最初の末娘の自殺から宙に浮いてしまった。

中に入れば姉妹の日々はそれなりに過ぎていったのだ。外の生活を知ってはいるがいざ外に向かって拓かれるときが来ると、明るいものよりも妹が飛び込んだ闇の中がふさわしく思えたのかもしれない。
死者は残されたものの悲嘆と諦めを残して去っていける、だが若い姉妹にとって末娘の死にざま、痛ましさ、醜さに出逢った衝撃は、既に一部が壊れるのに十分だっただろう。時がたてばそれは美しい死に変われるものだろうか、成熟過程の不安定なとき、それを青春物語にして、成長過程の不安定さに持ってくるのはいい、死に憧れたのか?それも間違いではない、事件があった家で残りの年子たちが一塊になって身を守ることは十分考えられる。両親も生きることを放棄して娘たちにも関心がなく、何くれとなく世話を焼いた近隣の人々も、リスボン家はそういうものだと見慣れてしまう。
作者は何を言いたかったのか分からないが、残酷で惨めで恐ろしい。青春の痛み?厳格な両親に対する反抗?これを読みとれというのだろうか、こうした結末にいたったという物語は十分に書きつくされているとは思うが。





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