三冊のうちで、一番好きかも知れない。ビザールな(奇妙な)本に挙げられているものが私も特に好きだ。
最近読もうとした(最後まで読んでないけど)藤枝静雄、昔から読んできた筒井康隆(特に虚人たち)それに吉田知子、村田喜代子、それに、それに、奥泉光が(嬉)怖さがドッペルゲンガーのそれだ、と書いてある。私が好きなのもそのあたりか、裸で書割の窓に向かってサックスを吹くカフカかぶれの男など。なんとも言えず奇妙で面白い。
後、笙野 頼子(残念ながら未読、Wikiでは緊密な文体で鬱屈した観念・心理表現と澄明な幻想描写の融和を試行した、とある、読まねば)そして、川上弘美さんと酒を飲む夢。
言葉に拘って想像があらぬほうに飛んでいく話は、相変わらず突き抜けている。
* おかしな童謡編、「コガネムシンの子供に水あめをなめさせる」「山から小僧が下りてきた」短すぎるし何で小僧か。(私はこの小僧は冬将軍の孫で冬の前触れに偵察に来たのだと思っていた)
* 「根掘り 葉掘り」の「葉掘り」ってなんだ。
* 「おおよその見当がつけられない」
(私もこの先300Mで右折、と言われても車で走っていてみなさんは距離が分かるの?と思っていたら 今度の車は3.2.1と色が変わっていく。1になれば鼻の先で曲がるのだ。それでもタイミングが合わないことがあり信号を通過する)
* 「気になる部分」子供の頃社会見学でも、気になる部分にだけ目が行った。大人になって社長のほくろに気をとられた。
* 「透明人間」子どもの頃は自分の存在が希薄だったそうだ。
(最近読みたてなのに原典は忘れたが、透明人間は網膜も透明なので、盲目ではないかという疑問、なるほどと記憶)
* 「サルマタケ」はどう訳すか。辞書にもない、まして逆に「サルマタケ」を英訳する人はどうするのだろうと煩悶する。
---つね日ごろ英語で書かれた文章と向き合って、言語のちがいと文化の違いと言う薄いヴェール越しに、なんとかそこに表現されているものを感覚としてとらえようと四苦八苦しているせいなのだろうか。仕事と関係なく日本語の本を読んでいても、いつの間にか”もし自分が日本語以外の言葉を母国語としている翻訳者で今読んでいるこの文章を訳すとしたら”という視点で読んでいる自分に気づくのである。(略)頭の中で邪念の小人たちが勝手に苦悩し出してうるさいことこの上ない。---
* 数年前のアンケートあなたの夫になる男性にい一番望むものは、日本では「優しさ」アメリカの女性は「ユーモアのセンス」だったそうだ。
そんなこんなで興味深い話題が満載、一部を引いてみたが、こんなものだけではなく、こどものころの思い出、経験した不思議な出来事、いまでも折にふれて感じているあれこれが、私にも思い当たることが多くて一気に読んでしまえた。
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