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「尹東柱詩 空と風と星と詩」 尹東柱 金時鐘編訳 岩波書店

2021-03-06 | 読書

ネットで本を注文したらこの詩集が届いた。どこで間違えて私行きの線路に乗ったのだろうか。薄い本だし読んでみようと手に取った。この韓国籍の詩人は27歳の若さで獄死したと表紙にあった。

文字数が少ない詩なので、読んでみるのは時間がかからなかった。
これはちょっと近代詩に近い、清冽な抒情詩のようだった。だが解説やネットで調べた背景の重さを知れば知るほど、若くして亡くなった思想犯だったという詩人はこんな美しい詩を残したのかと、尹東柱という人の詩を知るために繰り返し読んでみた。

「序詩」
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が、風にかすれて泣いている。


こうして最初に掲げてある詩を読んでも、若者の汚れていない詩心や抒情的な風景や,
生きる意味などで埋められた言葉が並んでいる。二度目に読んで、なぜ太平洋戦争の真っただ中、その頃植民地だった韓国から日本の大学に留学し、福岡刑務所に収監されわずかな時間に亡くなったのか。

尹東柱の詩は知れば知るほど、暗く重い歴史の闇を背負っていながら、キリスト教の精神を自分の心の糧にしている。死の間際まで濁った川を流れる清らかなせせらぎのように美しい世界を書き続け、過去も現実もストイックなほどにその中に閉じ込め、歌って書いて亡くなったことを知った。
短い人生や過酷な環境に気づいてはいても恨むでもなく人生を悔いるでもなく、思い出を優しいまま残している。
当時どれだけの人が、異国人を虐げそれを罪とは思わないで国是としていたか。人は時代を超えることはできないという人がいる。そうした人の中に私もいて、小さな声を聞かないふりをしている。だが尹東柱の詩の前ではなぜか恥じ入ってしまう。
政治活動や政治批判が見当たらない詩を読んで、疑問符が頭から溢れそうになり、金時鐘さんの解説を読み始めた。


「金時鐘」さんは「解説に替えて」でこう書いている。

まずもってかつての日本の表立たない歴史的事実の数かずと、被植民地人であったわが同胞文学者たちの、愛憎相半ばする文学流転の人間模様を視野に止めて尹東柱の詩を推し計らなければ、尹東柱はまさしく、時代の嵐のただ中で身をこごめて瞳をこらしていた、時勢にまみれることのない澄んだ抒情の民族詩人でありました。

素朴な抒情詩に見えることについては

詩が素朴さに徹するということはほんとうはむずかしいことなのです。飾ることの一切を捨て去って、言い表したいことだけを紡ぎださねばならないのですから。表現者の思考体質がそれだけ素朴でなければなりません。ですので説明の要素も当然、作品の行間から省かれていきます。伝えたいことはほとんど暗喩(メタファー)となって読者に迫るわけです。


私は詩を読むのが好きですが、このメタファーは個人的な心理の奥底から発せられるもので、同じ体質であり上質なものでなくては共感を得られない、尹東柱の詩について初読みで抱いた誤解はこのあたりにあったのかと気が付いたのです。

2021.02.16 再
コメント
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