空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

うろんな客 エドワード・ゴーリー 柴田元幸訳 河出書房新社

2021-03-18 | 読書

ゴーリーの絵本。ユニークでシュールで特に深い意味もないが読んで眺めると胸がくすぐられる。ああ楽しくてほんのり暖かくて面白い。
「うろんな客」が突然現れた、顔は尖がったオオアリクイかバクのようだが直立歩行で人のようでもある生物。
風の強い冬の夜にベルも鳴らさずやってきた。

わずか30ペ―ジほどで左半分に二行ほどの英語文と訳、右にイラストがある。

解説を読めばもう言葉は尽きるけれど。

風の強いとある冬の晩、館に妙な奴が闖入(ちんにゅう)してきた。そいつは声をかけても応答せず、壁に向かって鼻を押しあて、ただ黙って立つばかり。翌朝からは、大喰らいで皿まで食べる、蓄音機の喇叭(らっぱ)をはずす、眠りながら夜中に徘徊、本を破る、家中のタオルを隠すなどの、奇行の数々。でもどういうわけか、一家はその客を追い出すふうでもない。
アメリカ生まれの異色のアーティスト、エドワード・ゴーリーによる、1957年初版の人気の絵物語。なんといっても、「うろんな客」の姿形がチャーミングで、忘れがたい。とがった顔に短足。お腹がふくらみ、重心が下にある幼児型が、稚拙な仕草をほうふつさせる。
この客、傍若無人ながらも憎めないのは、多分、彼が無心に行動するからだろう。たとえば子どもにせよ、ペットにせよ、無垢で無心な存在に、手はかかるけれども案外私たちは救われているのでは。そう思うと、この超然とした招かれざる客には思いあたるふしがある、と深いところで納得させられもするだろう。
白黒の、タッチの強いペン画と、文語調の短歌形式の訳が、古色蒼然としたヴィクトリア風館の雰囲気を、うまく醸し出している。明治時代の翻訳本のようなレトロ感も魅力。原文はゴーリー得意の、脚韻を踏んだ対句形式。どのページの絵も、これまた芝居の名場面のようにピタリときまって、子ども大人共に楽しめる絵本だ。(中村えつこ)


もうこれで何も加える言葉はないが、それでもどこが好きかというと、この家族がいい。三世代の五人が住んでいる中流家庭のようだが、変な客に振り回されながら「もう、困ったやつ」「おいおいそれは捨てるな」と一応言ってみるだけ。客は好き勝手に暮らしていて、振り返ってみるとかれこれもう17年も住み着いているのだ。

シュールといえば「スナーク狩り」も何が何だか説明のできないおかしみがあった。穂信さんのリズム感のある訳もノリノリで、ちょっとどころか全く異世界のようなずれた話なのに取り込まれた。

そんな類の絵本だろうか。ありそうでなさそうな、へんてこなお話がなぜ心に残るのだろう。
もしかすると、今生きている世界も自分が納得しているだけで、違った眼鏡をかけると大いにずれた暮らし方かもしれない。

この「うろんな客」をあまり抵抗なく受け入れている家族もそんな少しずれた世界に住んでいる。でもそんなことには気がついてなくて、「うろんな客」もまたそんなずれが居心地いいのかもしれない。

訳の柴田元幸さんは、韻をふんだ原文を四文字熟語に置き換える面白い試みをしている。

小さい薄い絵本でもこんなにこんなに広い世界で遊ぶことができて楽しい。
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3月16日の散歩

2021-03-18 | 日日是好日

風邪気味でちょっと外出を控えていたが、外に出て歩いてみた。春なのに♬ うちにはいられない♬

黄砂かPM2.5か山の上は霞んで、くしゃみが止まらない。

公園の桜のつぼみはどのくらい膨らんだかな?

まだこのくらい。

ユキヤナギもうっすらと白くなった。

ローズマリーって今頃咲くのだ。何度挿し木しても失敗する。

可愛い顔に似合わず丈夫で育てやすい。今満開。

匂いすみれの香りは周りの花よりも強くて嬉しい。

昔々中国から海を越えてきた。古事記の時代から今でも数を増やし続けている。

紫木蓮もいいが明るい白やピンクも春らしく美しい。

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「生まれながらの犠牲者」 ヒラリー・ウォー 法村里絵翻訳 小学館文庫

2021-03-18 | 読書

これは「失踪当時の服装は」と似た雰囲気だが、随分後に書かれた、フェローズ署長が指揮を執る別のシリーズ。衝撃のラストという言葉通りの作品。
これを先に積んでいたが、初めての作者なので発表された順がいいだろうと「失踪当時の服装は」から読み始めた。

コネチカット州ストックフォード警察署、フェローズ署長が指揮を執るシリーズ。
「失踪当時の服装は」とは別なシリーズになるが、よくあるメンバーの私生活や個人的なつながりに深入りしていないので個別な作品として楽しめた。

続けて読んでよかったのはプロットがよく似ているし混同しそうだった点だが、並べてみるとストーリーの違いが整理できた。
警察の捜査方法も、書かれた時代を反映している。今から見るとスマホもなく科学捜査の点でも足を使っての証拠集めが主になっているのもよく似ている。
ただ「失踪当時の服装は」に比べて「犠牲者」という言葉があるところが登場人物は重く、社会的な影が濃く、個人の人生を踏まえた深みがある。
どちらかといえばミステリに哀切な色付けがされた時代背景や社会環境の影響が濃い作品だと感じた。

代表作とされる「失踪当時の服装は」と雰囲気が同じようなところも多かったが、やはり読んでよかった作品だった。
題名のとおり「生まれながらの犠牲者」が語る最終章が、まさに慟哭の結末で、伏線にも気づかないで一気読みをした。

ヒラリー・ウォーはチャールズ・ボウエルのノンフィクション「彼女たちは、みな若くして死んだ」に啓発されてミステリを書き始めて成功したのだそうだが、参考図書を読むのは好きだが、こういった犯罪はフィクションだから読めるので、現実に起きた事件なら悲惨な結果に眼をそむけたくなるだろう。犯人も被害者もいわば不幸な出会いがあり、被害者になり加害者になった。その不幸は環境や素質の歪みであったとしても、即犯罪に結びつくのはやはり異常で、ミステリにだけ許されることだろう。昨今の似たような事件でも死刑判決が出て執行された例がある。だがやはり罪は罪で被害者がどんなに恵まれない環境で育ち性格が大きく歪んだ結果にしても犠牲者の人生を恐怖に陥れることはできない。

この作品で美しい13歳の少女の人生がどんなふうに閉じられたか。捜査の足並みが深みに踏み込むにつれ、伏線も見逃す新しい視点で読んだ。二作を比較して同じようでいながら犯人は誰だというミステリの根本はこうも書けるのだという新しい読み方ができた。
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