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「地獄変」 芥川龍之介 ハルキ文庫

2015-06-23 | 読書


北村さんの《私》シリーズの流れで読んでみました。4編収められている中、「六の宮の姫君」が目当てだったのですが、「舞踏会」は初めてだったものの、他の「地獄変」「藪の中」は何度か読んでいた作品でした。
特に「藪の中」はIpadで無料で読めると言うので喜んで読んでいたら、途中で終わっていました。
もう、消化不良になってしまったようで、探し回って最近読んだばかりでした。

こういう風に、一冊の本から広がり始めると読書熱に歯止めが利かなくなります。
でも、こういう機会でもないと、過去の寝遺作に触れる機会が無いと思います。いいチャンスでした。



「地獄変」
高名な絵師良秀が地獄絵の屏風を描くのだが、思う限りの地獄の有様を書き込んでも得心が行かなかった。眼で見たものしかかけない、牛車を燃やして見せて欲しいと言上する、聞き入れた殿様が目の前で火をつけると中にもだえ苦しむ娘が乗せられていた。呆然としたのもつかの間、良秀は筆を出して筆写して下命の「地獄変」の屏風を完成させた。
下女の視野からの話が生々しい。

「藪の中」
死んでいた男を発見した木こりと、通りかかった旅法師、検非違使、殺された男に同行していた娘の母、の話。
娘はその場から姿を消していた、母は捜して欲しいと哀願する。
捕まった犯人と、それぞれの証言が違っている。それぞれの思惑が交差して面白い。

「六の宮の姫君」
父母が相次いで亡くなり、暮らしに困ってきた。売るものもなくなったころ、乳母が男を見つけてきた。姫はその男に馴染んでいたが男は父親について遠い国に行ってしまった。待っても帰らない、また窮乏の生活に戻ってしまった。羅生門の下で姿かたちも衰えているところに、9年経って男が探しに来た。男は妻も娶っていた。姫は死にぎわに念仏を唱えなさいと言う法師の声も聞こえずうわごとを言いながら死んだ。男がまた訪ねると空に細く嘆きの声がして消えていった。

「舞踏会」
明子は舞踏会でフランス人の海軍将校と踊った。ベランダで花火を見たとき
―― 明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美しく思われた。
「私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火のことを」
しばらくして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下ろしながら、教えるような口調でこういった。――

老齢になった明子は鹿鳴館の舞踏会の話をした、名前はジュリアン・ヴィオだといった。それを聞いた青年は「ロティだったのですね、「お菊夫人」をかいたピエール・ロティだったのですね」
「いえあの方の名は、ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方です」

これがなぜと思ったがあとがきで、老齢になった夫人の突き放し方が、時間の経過を一足飛びに書いたことによって知れるそうだが、ちょっと解らないところがあった。高名な作家になった将校を知らなかったと言うだけだと読めたが。ただロティとの花火の会話が芥川の人生観の一端だとしたら、少し理解できるように思う。





しかし芥川龍之介という、まだそう遠くない過去に、生きることに様々に迷いながら書いた名作を、肉声のように読むことが出来るのは、恐ろしい気もしました。こうして過去の名作の余韻を感じると、もっとそういう中に引き込まれて迷い込みそうで、周りに積んでいる、様々のエンタメに戻らなくては、と何か夢から醒める思いでした。


  
コメント
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