空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「福音の少年」 あさのあつこ 角川文庫

2014-10-16 | 読書


私が読んだのは、夜空の表紙だった。夜空に大きな月が出て鉄塔の影が見える、この方が原作の雰囲気に合うと思うが、それも随分愛読されたと見えてよれよれだった。検索すると少女の表紙が出てきた新しい版なのだろう。かわいいのでまぁいいかな。


書き出しは、少年たちに情報を与える役の秋庭が来るところから始まる。戦地で記者として働いてきた彼は、余命一年を宣告されている。9人が焼死したアパートの跡地に立ってみようと思っていた。彼は焼死した少女を見かけたことがあった。

このあたりはいつもの浅野さんの筆致ではない重い感じから始まる。細かい風景と心象描写が読ませる。こういう風に進んでいくのかと思っていると、高校生の話になると、やはり読みなれた調子に戻る。

文章通り読んでいけばいいので楽なのだが、作者の「渾身の物語」と書かれているだけに、「死」をはさんだ二人の少年の物語は重かった。

明帆という詩的な名前の少年と、焼死した藍子はカップルだった。しかし秀才の明帆は藍子の愛情を受け止めるには心理的に距離があり、のめりこめないところを、最後になってしまった藍子の、別れの台詞で「可哀そう」と言われてしまう。

柏木楊は藍子のアパートの隣りに住んでいるので幼馴染だった。火事の時は外に出ていて一人だけが生き残る。

柏木は何度も繰り返し述べてあるように、心にふわりとしみるような美しい情感のある声をしていた。

親切で男気のある明帆の父は、同級生で孤児になった柏木を住まわせる。

丸焼けになった火事に不審を抱いた二人は、藍子について、家事の原因について調べようとする。

秋庭は、高級ホテルで見かけた少女が焼死体で見つかったという写真を見て、少年たちとは違う角度から、藍子の行動について探り始める。

明帆と柏木という二人の少年は、相容れない自我を抱えながら、同じ目的で行動するが、いつもお互いの生き方を見つめ続けている。

殆ど大人の人格を持ちながら、まだどこか曖昧な部分を残している少年たちが、読んでいると、共通の部分では重なって見えるが、独立した個人の部分では、違った方向を見ているような、かみ合わない会話など浅野さんはよくみて書いてある。

一ヶ月後、秋庭の情報力もあり、犯人が浮かんでくる。
犯人から連絡があって焼け跡で落ち合うことになる。
明帆はとめる柏木を振り切って、焼け跡に走っていく。

このシーンは少し不可解な感じもするが、「可哀そう」と藍子が言った意味に、時間がたってかすかに思い当たる、彼の中にも実感がある、明帆の一種の「贖罪」ではなかったかと思う。図書館の聖書の話もある。

勝手な想像だが、秀才と言われるものは、自己にこだわり、他所に思いやりがない場合が多い。明帆もそういった成長過程にあったのだろう。

純粋であるだけ他者を傷つけることも、高校三年生という年齢には越えていく一つの人生体験だろう。


後半になって、秋庭の戦争体験の話が出てくる、人の死を身近で見たということだろう。柏木は秋庭の記事を読んでいたというが、ここにいたって、何か違和感を覚えた。


若者の手前にある少年たちの心を捉えて読みやすいが後に残るものも多い、いい作品だった。







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