美術と本と映画好き...
徒然と(美術と本と映画好き...)




というわけで内海さんが参加されたシンポジウムに行ってきました...
シンポジウム 制作の言語の制作(雨宮庸介×内海聖史×池田剛介)(con tempo:北千住)

映像とパフォーマンスを作品にする雨宮庸介さん、大小様々なドッ
トの油彩画を制作する内海聖史さん、透明な箱に金魚や葉っぱを散
りばめたような作品を制作する池田剛介さんという、それぞれに独
自の方法論を持ったアーティストの、制作の言葉についてのシンポ
ジウムです。三時間の長丁場ですが、作る人たちの言葉がビビッド
に伝わってきました。

拙いですが、メモから抜き出しでアウトラインを書いてみます。

司会は大山エンリコイサムさん。

大山:これは制作者が制作に関わる方法論を制作者同士、あるいは
オーディエンスと共有できないかという試みである。個別の作家が
持つ制作の言葉を、言葉にならない部分も含めて考えてみたい。

内海聖史さんからの自己紹介。

内海聖史:絵画についてはその空間にどのように入って行くかにつ
いても考えている。ひとつの空間にひとつの作品を置くこともあれ
ば、多数の作品でひとつの空間を作ることもある。空間によって作
品の見え方は変わるし、それは自分の作品にとって重要なことであ
る。空間と絵画の美しい関係性を示したい。言語については絵を描
くためのツールと考えていて、制作自体を言語化したい。色とマチ
エールを含めて絵具が美しいと思っている。筆跡の単位としての点
を、ストローク、あるいは押し潰した絵具の形で表現している。

雨宮庸介さんからの自己紹介。

雨宮庸介:美術に対する態度を表明しようと思ってこの場にきたが、
自分の作品は見なければ分からないし、変に言葉にすると言い訳が
ましく聞こえるかもしれない。自分の作品は映像によってインスタ
レーションを暴くようなところがある。普段感じる違和感を表現す
るのにパフォーマンスはとても合っている。現実が剥離した瞬間を
観客と共有したい。一方、インタラクティブをアートの手段にして
いる人がいるが、こうすればこうなる、といったことを、アートで
やってはいけないと考えている。

池田剛介さんからの自己紹介。

池田剛介:制作はしているが、文章を書いたり話すことも多い。マ
イケル・ジャクソンやピナ・バウシュの訃報、スタジオボイス休刊
などのニュースを聞いて、世紀末がようやく終わりつつあるような
感覚を持っている。制作は個人的なモチベーションによるものと考
えているが、現在は削り出した金魚や葉っぱを透明な樹脂で固めて
絵画のように見せる作品を制作している。近代型のアプローチでは
ひとつの方法論を突き詰めていたが、それではもう面白いことがで
きない。現代美術が持つ雑多性によって、面白いものができる可能
性を感じている。

その後は三名の討議に入ります。

内海さんの作品を巡る『美しさ』について。

内海:人それぞれで違うだろうが、美しいと表現すると、説明がい
らなくなる。美しいという言葉を使わないで表現できればいいけれ
ど、美しいでいいじゃんとも思う。
大山:美しくないものを良いと感じることもあるし、きれいと美し
さは違うものだろう。内海さんの作品は視覚的だけではなく、身体
的レベルで感じさせるようなところもあるが。
内海:僕が目という時は、体も含んでいる。
雨宮:美しいというと、単にカラフルな作品とはめられてしまう危
険性があるし、身体が入ってこないと成立しないようにも思う。
池田:内海さんは描写していない。絵具を具象的に描いているとは
言えないか?
内海:絵具自体が美しく、それを置けば美しくなると考えたら楽に
なった。ただ、絵具を出せばいいというわけではなく、それを操作
することによって美しくなるのだと考えている。
池田:絵画が美しいということ?
内海:その通り。

雨宮さんの作品を巡る『関係性』について

池田:チューブに入った絵具がスーラに変わる瞬間、その間にある
膜をデュシャンはアンフラマンスと言った。チューブに入った絵具
は可能性のある状態にあり、それを実現するとスーラになる。その
境界の状態を指す。雨宮さんの作品にはこちらの風景を写した鏡の
映像などが使われており、境界にこだわりを持っており、美しさと
か格好よさではなく、関係性を求めているように見える。
雨宮:原体験が物質に宿っていないから物質で表現しない。偏りを
感じているからその偏りを正確に表現したい。
池田:物質に宿せないのはなぜ?
雨宮:日常に感じる剥離した違和感を表現したいからだ。過去の話
や遠い未来の話はできないので、現在、起こっていることを作品に
取り込んでいる。
池田:絵画は現代性が高いメディアではないか?それに対してイン
スタレーションは時間的な制約があるように思う。
内海:雨宮さんの作品には不思議な格好をしたパフォーマーが出て
くるが、ノイズが多いとは言えないか?
雨宮:表現されるものとそれを受け取ることとは違う。ただ、地面
が繋がっていないとダメだと考えている。特撮などは使わず映像で
表現できるものを制作している。また、観客の時間を使うことにつ
いての必然性が必要で、それが関係性に繋がっている。

池田さんの作品を巡る『表現』について。

大山:池田さんの作品には標本を見るような感覚がある。
池田:デュシャンの言葉に無関心な視線というものがある。デュシ
ャンの時代は絵画はしっかりと観るものだった。それによって可能
性がせばめられているとも言える。美しいということが現代美術の
中で成立することが難しくなっている。美とか美術を認識的に捉え
るようになった。美の自明性が疑われているとも言える。美が自明
だった時代にはレディメイドは成立していたが、それが現代に成立
するかどうか。そんなねじれを持って美を評価する方向性を模索し
ている。
雨宮:分かるという感覚は面白くない。分からないモノの面白い感
覚。例えば2チャンネルの不気味な感じはどうやったら表現できるの
だろうか?また、美に対して危ないと思うのはクライアントが見当
たらないこと。私の基準ではデザインと油絵の違いはクライアント
がいるかいないか。特に油絵の場合は美術そのものがクライアント
になる場合がある。しかし、キュレーターのために作っていたら、
それはアートとは言えないだろう。

再び『美』について

内海:作品の置き方はひとつだけに限定されないが、自分がいる以
上は美しく見えるようにしたい。展示することも制作の一部である
と考えている。
池田:僕にとって美とは難問で、内海さんのようには使うことがで
きない。京都にいたから京都らしく若冲の作品を意識している。小
さいものがパラパラと散りばめられたモノに対して違和感を感じ、
それを取り込んでいる。キッチュなものを取り込む、それをハード
ルとして端的に示したい。
内海:だけど美は排除できないのではないか?例えば池田さんが選
択する理由は、金魚のフィルターをかけても美しいという感覚があ
るのではないか?デュシャンも便器を美しいと考えていたのかもし
れない。たとえビジョンがあったとしても、自分の位置から自分を
詰んだところに美を作るしかないだろう。
大山:しかし、例えば劉生の描いた『でろり』のような、質感とし
て訴えかけるもの、それも含めて美だとは言い切れないのでは?
内海:大山さんは『でろり』に近づいてそういうけれど、作家はそ
こで美を問うているのではないか?『でろり』を問うている。思い
切り投げている。それを受け取れる人もいれば、受け取れない人も
いる。人から見たら他人事だろうけれど、僕の筆跡は僕のものとし
て考えなければならない。
雨宮:美しいを掘っていくと『でろり』としてくるように思うのだ
が、内海さんの美しいはどうして『でろり』としないのか?
内海:湿っぽくなりたくない。僕の美しいを突き詰める時には、僕
を排除しなければならない。湿っぽくない、からっとした作品にし
たい。にごったところ、タッチの乱れる部分があっても、それによ
って他の部分の精度があがればいいと考えている。
雨宮:身体性を求める人が身体性を抑制しようとするところが面白
い。

ところどころ端折ったり、勝手に意訳したりしています。聴いてい
る時は面白かったのに、こうして書いてしまうと迫力がないなぁ...
# 私の聴き方、書き方の問題です...

興味深かったのが『美しい』という言葉への過剰反応です。制作す
る人たちにとっては禁句のようになっている様子。ただ、古典的な
美から遠く離れて、今の時代に今の感覚に合った新しい『美しさ』
を求める人がいてもいいと思うし、そういう作品に出会いたいとも
思います。『美しさ』を毛嫌いしてほしくないなぁ...

あと、今回はこじんまりした会場での二十人たらずのシンポジウム
でしたが、こういう面白い話はきちんと告知して、もっと大勢に聞
かせた方がいいのではないかと思いました。
# 個人的には茶飲み話的距離感がとても心地よかったのですが...(^^)


おまけ デュシャンについて私が書いたこと
マルセル・デュシャンと20世紀美術展(横浜美術館)
流行するポップ・アート(Bunkamura ザ・ミュージアム)
日経・美の美(画家の言葉)

あと、デュシャンの作品についてはこんなことも書いていました。
> 『便器』の曲線や、『瓶乾燥機』のとげとげに、それぞれ色形の
> 美しさを感じたのは私だけでしょうか。既製品を選ぶにも、やっ
> ぱり審美眼ある選択をしているように思えます。
閑話休題より...

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コメント
 
 
 
すごいです。 (meme)
2009-07-06 21:27:19
3時間の長丁場に怯んで参加しませんでした。
早速内容をアップされていて、素晴らしいですね。
実は、かなり記事を期待していました。

この中では内海さんが空間と作品の関係について
語られている箇所が興味深かったです。
実際の展示に、いつもその姿勢を感じます。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2009-07-06 22:08:11
こんばんは。詳細なレポートありがとうございます。近いので気にはなっていたのですが、memeさんと同じく3時間に怖じ気づいてしまいました。申し訳ないです…。

内海さんも興味深いのですが、個人的には雨宮さんの「分からないモノの面白い感覚。」にも強く惹かれます。渋谷で見たパフォーマンスの面白さはまさにそれでした。

>作品の置き方はひとつだけに限定されないが、自分がいる以
上は美しく見えるようにしたい。

ここは内海さんの強みかもしれませんね。
次という面では難しさもありそうですが、
色の力を素直にも引き出す審美的な視点は変わらずに持ち続けていただきたいです。
 
 
 
Re: すごいです。 (lysander)
2009-07-07 00:24:37
memeさん
コメントありがとうございます。

参加者の皆さんはそんなに面識があるようでもなく、
それぞれが手探りだったのだと思うのですが、
とても充実したシンポジウムでした。
勝手に文字にしてしまって良かったかなぁ...

北千住の西口あたりは怪しい路地もたくさんあって、
病みつきになるかもしれません。
 
 
 
Unknown (lysander)
2009-07-07 00:32:27
はろるどさん
コメントありがとうございます。

それぞれの作家さんの作品と言葉が重なるところも多く、
そういう意味でも興味深く聴けました。

内海さんは『美しい』をぶれずに主張していたのですが、
終演後、自分の作品と『美しい』との間で揺れる学生さんが、
内海さんのところに『勇気づけられた』と言いに来て
いたのが印象的でした。
 
 
 
Unknown (ogawama)
2009-07-08 00:23:25
私も行きそびれました。
池田さんのブログで知って、意気込んでいたのですが、北千住って近くて遠いです(あ、lysanderさんに較べたら・・・)。
池田さんが若冲を意識してるって、面白いです。
やっぱり作家さんの言葉は貴重ですね。
レポありがとうございました!

 
 
 
内海さん (YC)
2009-07-08 22:55:35
詳細なレポート、作家さんの理解に大変参考に
なります。ありがたく拝見しました。
私も昨日内海さんにお話を伺ったばかりですので、
その内容とオーバーラップする箇所もあり。。。
特に作品と展示の関係については、ある意味
インスタレーションにも近い意識が感じられました。
自分を排除する、という点についても昨日作品を前に
説明をして下さり、興味深かったです。
 
 
 
Unknown (lysander)
2009-07-09 01:04:39
ogawamaさん
コメントありがとうございます。

> やっぱり作家さんの言葉は貴重ですね。
とても良いシンポジウムでした。
ただ、メモ書きでは限界があって、読み返すと
議事録みたいですね...(^^;
現場の言葉はもっと熱かったです!
 
 
 
Re: 内海さん (lysander)
2009-07-09 01:09:39
YCさん
コメントありがとうございます。

> 私も昨日内海さんにお話を伺ったばかりですので、
> その内容とオーバーラップする箇所もあり。。。
いい機会に恵まれましたね!
早くギャラリエアンドウの新作が観たいなぁ...
と思っています。
 
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