美術と本と映画好き...
徒然と(美術と本と映画好き...)




月曜日も良い天気。自転車で横浜美術館へ行きました。横浜へ越して
から半年を過ぎて、地理にも慣れました。伊勢佐木町の裏手から野毛
を経由してみなとみらいへ。その裏手のあたりはちょっとした歓楽街
です。ハングルや強面やケバケバが闊歩しています。年末の深夜、横
浜駅前の中央郵便局に年賀状を持って行くときに迷い込んで、少し怖
い思いをしました。

そんな夜の街も、昼間は寂れています。伊勢佐木町から野毛へは都橋
商店街を通ります。大岡川沿いのスナックひしめき合う商店街。その
古びた通りの緩やかなカーブの先に、インターコンチネンタルと観覧
車が見えます。古さと新しさが同居している現実の風景の猥雑さを見
ると、『便器』をスキャンダラスなんて大げさなように思えてきます。

芸術は現実を超えられるのでしょうか。

美術館に到着するとちょうど伊藤俊治の講演会が始まるところでした。
伊藤俊治が写真について書いたものは読んだ事がありました。美術評
論やメディア論も専門にしていて、今は東京藝術大学先端芸術表現科
の教授だそうです。

1時間半の講演会でデュシャンについての基本的な考え方を学べたよ
うに思います(思い込み?)。

以下、講演会で印象に残った事とその感想です。

1. 既製品のものをそのまま投げ出す態度が特徴的であること。デュシ
ャンが参加したある討論会で『作品にとって芸術家は自分を作らせるた
めの道具である』という発言があったそうです。

作品は作られる前にすでに存在している、という考えは時々聞くことが
あります。彫刻家の人で石なり木なりの素材を前にして、そこに彫るべ
き形が見えてくるというような話。そうした謙虚に見える姿勢を逆手に
とって、すでにあるものを選ぶことだって同じでないかと、喝破したの
がデュシャンだったように思います。


2. 彼の作品は観客の視点によって見え方が変わったり、あるいは作
品の見せ方に制約を与える事があるそうです。観客に参加を促して、
観客の想像によって完結させる。そんな作品が多いという話でした。
芸術係数という概念では、作者の意図と作品との相違、あるいは意図
せず表現されたものと作品との相違、そんな差異を数値化するという
考え方を提唱しています。

必ずしも思った通りには伝わらない。そんな事実を受けとめながらも
表現せずにはいられない。そんな姿が垣間見えました。そこには観る
人に対する信頼があるように思いました。


3. 知性より信念に重きを置くと言っているそうです。

これはある意味古い考え方だと思います。上野の版画展のキャプション
にあった現代版画への懸念、『伝統を知的に逸脱している』を思い出し
ました。デュシャンは保守的な考えもしているように思います。


要約してみるとこんな感じでしょうか。

1. どうせ存在するものなら創作物でも既製品でも構わない
2. 見方を示せば観客が考えてくれるだろう
3. ただし、その示すやり方は徹底的に考え抜いてやろう

こうしてまとめているのは今、書いている私ですが、講演を聴いた後
にも漠然とそんなことを考えました。

展示会場へと移動します。

今回の展覧会ではマルセル・デュシャンの作品と、それにオマージュ
を捧げた現代作家たちの作品とが並べて展示されています。

すぐに分かるのは、作品の強度の差が歴然としているということです。
デュシャンの作品は強く、現代作家の作品は脆弱に見えます。既製品
を自分の作品にする、そのアイデア一つとってもオリジナルと模倣に
は明らかな差があります。

デュシャンは単にそのものを見せたかったわけではなく『見る』ある
いは『覗く』という行為そのものを通し、作品として成り立たせよう
としています。日常で見ているのあたり前のものを、あたり前でない
かもしれないと知覚させる。そんな努力。なので、そんな彼の作品を、
見た目だけ模倣しても、オリジナルの強さが宿るわけはないだろうと
思いました。

では、そんなデュシャンのあり方は、今なお力を保てるのでしょうか。
模倣の残骸を多く生み出したデュシャンの作品は、今なお模倣の対象
になりえるのでしょうか。

ここ数日観てきた多くの展覧会をみて感じたのは、どんなに奇抜なア
イデアでも、そこに共感できるものがなければ風化してしまうであろ
うと言うことです。新しい経験を観客に与えたデュシャンの時代から
遠く数十年が過ぎて、当時は見られなかったどぎつい視覚的な刺激が、
世の中にはあふれています。

我々はデュシャンの作品を、今の時代のやり方で見ています。時代が
変わって我々は、寧ろ懐かしい視覚的なイメージ、いつか観たことが
あるかのようなイメージで、デュシャンの作品を見つめます。それは、
古典を観るような感覚です。

デュシャンの工夫を知ることで、彼の作品が面白く思えました。デュ
シャンの工夫を知ることで、模倣の作品は詰まらなく見えました。デ
ュシャンを真似ることに意味はなく、デュシャンの呪縛からは逃れな
ければならないと思います。


デュシャンの作品へのオマージュの中には、それでも気になる作品が
いくつかありました。

トニー・クラッグの『スパイロジャイラ』は瓶乾燥機をモチーフにし
た作品です。大きな螺旋の骨組みにレディ・メイドの瓶を組み合わせ
たオブジェはとてもユーモラスです。

藤本由紀夫の『The Creative Act』はデュシャンの言葉に音楽をのせ
た作品です。私がこの作品の前に立ったときにタイミングよくテープ
が始まりました。パネルの英語を追いながらデュシャンの言葉に耳を
傾けるのはとても心地よい体験でした。残念ながら意味は分からなか
ったので、今度カタログを参照しながら訳してみようと思います。芸
術係数の話をされているようです。

ジョンケージの『マルセルについては何も言うまい』はアクリルの板
を重ねた小品で、それぞれの板に書きなぐられた文字、個性的なタイ
ポグラフィをしばし見つめてしまいました。

『フルクサス』の展示もあって、うらわ美術館に行きたくなりました。


一方、デュシャンの作品はとても面白かったのですが、印象に残った
のは変なところばかり...

1920年に製作された『なりたての未亡人』はマティスの『コリウール
へのフランス窓』へのオマージュでしょうか。ザオ・ウーキーもオマ
ージュを捧げていたし、マティスも多くのアーティストに刺激を与え
たのだな、と再確認しました。単なる窓が、どうしてこんなに人を引
きつけるのか。凡人の私には分かりません。

展示会場の最後にあった恋人たちのドローイングは、ピカソのそれに
比べるととても初々しいイメージです。講演会で映写されていたスラ
イドに、満面笑みのデュシャンのポートレートがありました。これま
で一方的に持っていた反逆的(?)なイメージとは異なり、とても人が
好さそうな、いたずらっ子のような表情でした。


今回の展覧会を通じて、デュシャンを自分なりにまとめると『見ると
いう行為を通して、美術品と生きた人間とを結びつけた人』なのでは
ないかと感じています。


会場を出ると外はすっかり暗くなっていました。もときた道を自転車
で帰ります。都橋商店街の光が川沿いに弧を描いていて、遠くにみな
とみらいの光が見えます。振り返れると伊勢佐木町のネオン街です。

見るという行為が快くなった。
そんな休日でした。

3/21までやっています


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コメント
 
 
 
比較作品色々 (Tak)
2005-01-12 16:46:57
こんにちは。

じっくりと拝読させてもらいました。

読み応えありますね。



デュシャンとの比較作品は

肯定的に捉えたものと

否定的に捉えたもの、

またはどちらか分からないもの・・・

色々とあって面白く観ることができました。



古典であるデュシャンをリアルタイムで

感じることが出来た人の様々な反応が

表されているように思えました。



拙い感想ですが、TBさせていただきました。
 
 
 
はじめまして☆ (rossa)
2005-01-13 00:39:10
こんばんは~☆

>作品の強度の差

ほんとね。すごく感じます。やはり、先にやったもの勝ち☆です(笑)凄く楽しい展覧会でしたね。rossaは大変勇気付けられた展覧会でした☆

TBありがとうございました☆
 
 
 
Unknown (7ntrdbl)
2005-01-13 09:44:04
TBありがとうございました。

読み応えあって、とても参考になりました。

講演会も行けなかったので、要約ありがたいです。

また関連するエントリーがありましたら、ぜひお知らせいただけたらうれしいです。

 
 
 
Unknown (ちや)
2005-01-13 23:18:50
こんばんは、コメントありがとうございます。

実は時々こちらにはお邪魔してまして…でも、なかなかコメント出来ないでいた私でした^^;。あまりにも自分の感想がお馬鹿なもので・大汗。



横浜と大阪では、少し展覧会の趣向が違っていたようですね。横浜での「チェックシート」なるモノがとても面白そうで、学芸員さんの意気込みが感じられました。



こちらのTBを辿って皆さんの記事を読ませて頂くと、とても勉強になり、見に行く前にもっと勉強しておけば良かったと反省しきり。

改めて私って、ノリが軽すぎると…大恥。。。



今年は、もう少し身に付くようなモノの見方をしなくては…と思いました。。

 
 
 
デュシャンは保守的 (deguchi)
2005-01-13 23:46:24
TBありがとうございました。

>デュシャンは保守的な考えもしているように思います。

やはりデュシャンの作品はヨーロッパ美術の伝統を

意識する、継承することによって成立いる部分が

多いのではないかと思います。

美術作品自体の「見方」や「考え方」を捉え直した

その芸術のベースは「革新」や「破壊」とは

正反対の位置にあるような気がします。
 
 
 
コメントありがとうございます (lysander)
2005-01-15 00:06:49
rossa さんへ

同じようなことをやっているのに、違いがある

のがとても面白かったですね。



7ntrdblさんへ

講演会については私なりに解釈しているので、

伊藤先生が言われていた事とはニュアンスが

異なるかもしれません。講演会では大ガラス

の展示方法を示した図版などもみせてもらえ

たり、なかなか興味深かったです。



ちやさんへ

だけどこういうのは観る人の個性なので、い

ろいろな感じ方があっていいのだと思います。

また、コメントください。



deguchiさんへ

> 美術作品自体の「見方」や「考え方」を

> 捉え直したその芸術のベースは「革新」や

> 「破壊」とは正反対の位置

そうですね。そんな気がとてもします。

 
 
 
遅ればせながら (DADA.)
2005-02-18 21:22:56
こんばんは。

先週末にようやく見に行ってきました。



デュシャンには、ずっと描き続けてほしかったなぁ、というのが主な感想です。

それほど初期のキュビズム作品は魅力的で、そのまま描いてたらどんな作品を残してくれただろう、と思うと口惜しくなってきます・・・。



講演会の要約、説得力を感じてしまいます。



TBさせていただいたので、よろしかったらご覧ください(心の狭い感想で恐縮ですが・・・)。
 
 
 
Re: 遅ればせながら (lysander)
2005-02-19 00:26:06
> 心の狭い感想

そんなこと全然ありませんよ!

とてもよく判ります。ただ一点。



> そうじゃなく感じたのは、デュシャンの皮肉

> に「皮肉」で応戦したと思えた作品。実際の

> ところはどうか分からないが、「泉」を金ピ

> カにして「ブッダ」としたのはなかなかだと

> 思う。



こんなアメリカ人ほめたらいけません。どうせ

なら『ジー○ス』。そこまで皮肉れば天晴れな

のですが。東洋人をなめるなよ!みたいな。
 
 
 
デュシャンの世界観 (はろるど・わーど)
2005-02-25 23:32:22
lysanderさん、こんばんは。

遅ればせながらデュシャン展の感想を書いてみました。



>見るという行為を通して、美術品と生きた人間とを結びつけた人



なるほど。

私はデュシャンの恐ろしいまでの才能と世界観を感じたのですが、

どうしてもその共有が殆ど出来ませんでした。

会話が成り立ちそうで、成り立たない…。

一筋縄ではいかない作品ばかりです。



あと、講演会の要約は大変に参考になりました。

ありがたいです。



>示すやり方は徹底的に考え抜いてやろう



この辺が彼の凄まじいところなのでしょうか。

考え抜かれた世界に入っていくのは、

なかなか難しいものかもしれませんが…。
 
 
 
はじめまして (たけ)
2005-03-01 22:10:40
デュシャンつながりで、このページ迄たどりつきました。

講演には行けなかったので、とても参考になりました。このページの書き込みを見てから行けば良かったと少し後悔しています。

デュシャンの作品のスタンスは、現在でこそ生きているな~と思いました。CMやポスターなどの広告の表現方法はデュシャンの影響を受けている様に感じました。



『デュシャンは語る』もなかなか面白い本でした☆
 
 
 
はじめまして (lysander)
2005-03-02 00:37:38
たけさん

コメントありがとうございます。



> 講演には行けなかったので、とても参考になりました。

どうもありがとうございます。

そう書いてくれる方が多いので、もう少しきちんと

メモれば良かったな...と思っています(^^;



『デュシャンは語る』は面白そうですね。

デュシャン本はハードカバーばかりかと思って

ました。

読んでみようと思います。
 
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