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鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

旅ケルクの記録7(ドーバー編 )@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月03日 00時34分21秒 | ダンケルク
<旅行3日目>

さて、旅行3日目の朝はドーバーのB&Bで感動に打ち震えることから始まりました。朝ご飯として提供された伝統的なイングリッシュブレックファストに対して。
イギリスのモーパッサンと評されたウィリアム・サマセット・モーム(主な著作:月と6ペンスなど)の言葉に「英国で美味しい食事をとりたければ朝食を三度とればいい(To eat well in England, you should have a breakfast three times a day.)」とありましたが、皮肉でもなく美味しかったです。









滞在当時、「モーパッサンの言った通りだ!イギリスの朝ご飯は美味しい!」と感動しながら食べてた伝統的なイギリスの朝ご飯。←別にモーパッサンとはトモダチではないし、後でイギリスのモーパッサンと評されたウィリアム・サマセット・モームの言葉と知る(恥)

なんだか映画Darkest hourでチャーチルがベッドで食べてたような伝統的なザ・イギリスの朝ご飯を食べた後、ドーバーを散策しながらドーバー城へ。昔からイングランド防衛の拠点として機能した城であり(イングランドのドーバー海峡における防衛の拠点。第二次世界大戦中に地下トンネルが秘密指令基地として機能。幽霊がでる城としても有名)、第二次世界大戦中のダンケルク撤退戦際に要となったダイナモ作戦の司令室としても機能した所です。こんもりとした山の上にあるドーバー城を目指してえっちらおっちら歩いていきました(またしても徒歩!)。



領民のように山の上にあるお城を見上げる

まずは入場料を支払って入場して(紙のバンドをスタッフンさんに巻いてもらう)、さっそく第二次世界大戦の地下トンネルのツアーへ。スタッフさんの説明+ガイド付きで60分程度のツアーになります。人気コースらしく、10時の開館時間と同時に入場してすぐに地下トンネルを目指したのに、すでに先客がゴロゴロいました。
<ツアーはだいたい20分~30分ごとに出発。人数制限あり。写真撮影は禁止。ツアーに参加するための追加料金などは必要ない。




入口にて待機(いわゆるお城(建物)の地下1階にある…というよりも、敷地内にトンネルをあちこち掘っていって、そこを基地として使用)

地下トンネル内部は、当たり前ですが、どこかカビっぽい臭いで暗い。通路は狭いし、慌てて出たり入ったりしてたら色々ぶつけたんじゃないでしょうか(2人同時に楽にすれ違うには、やや幅が足りない感じが)。当時、換気システムはちゃんと働いていたのだろうか電気はちゃんと途切れることなく来ていたのだろうか…と思いつつ入場。

ここに、ダイナモ作戦の指揮をとったラムゼー提督(1883-1945。ダイナモ作戦当時は海軍中将。一度海軍を退役していたが、旧友のチャーチルの依頼もあり海軍に復帰。後に大将。1945年にフランスで事故死)以下16名の主要スタッフがここに詰め、ダイナモ作戦を動かしていくこととなるわけで。

40万人の救出に16名の主要スタッフって少ないな…とも思いましたが、このスタッフはリエゾン(連絡員)的な機能で、その下に色んな組織(部隊)がぶら下がってたりしたのだろうか…とかいろいろ思ったのだけど、実際のところはどうなんだろう。一瞬、映画『シン・ゴジラ』に出てくる巨災対(巨大未確認生物災害対策本部)みたいな感じだ…と思っちゃいましたが。一度は海軍を退役した後に中将として復帰した「上官受けしない」「はねっかえり」ラムゼーの下に集まった少数精鋭の部下…とか、そういうところが。もちろん、集まった実際の部下たちが、例えば巨災対の安田や森、袖原たちのように『オタク』『鼻つまみもの』だったり『一匹狼』だったりした訳ではないでしょうが(たぶん)。

(閑話休題)

さて、入ったトンネル内部には、それこそダンケルクやカレーなどの各地点の気象状況、部隊の状況などが街別・項目別にずらりと並べられておりましたが、ダイナモ作戦中の司令部の様子が『秩序だった混乱』だったことが少しわかるような気がしました…。多忙+混乱+行き違い+イライラ+怒号等があったのでしょうが、どこか整然と情報がならんでいて、各メンバーがやるべきことをやっていたんだろうな…ということが解るような様子というか。いわゆる悲壮感やパニック感があまり感じられないからだろうかと思いましたが、こればっかりは後世に生きる私には解らず仕舞い。『光り輝いた/シャイン』じゃないポンコツ会社員の私は、ひたすらプロフェッショナルな空気に圧倒されてました(しごと出来ないタイプなんで、あははははー)。

そういえば、マネキンの展示を見る限り、けっこう軍服をきた女マネキンの数も多かったのが印象的でした。戦闘機に乗り込む女性(WW II)の写真をジョン・ベダー著の『スピットファイア』(昭和46年発行、山本 親雄 翻訳、サンケイ新聞社出版局)で見ましたが、海軍にあっても女性の台頭は同様にあったのか。

第一次世界大戦中にアメリカ海軍が女性をリクルートしていたし(高校の世界史の便覧で見た気が)、太平洋戦争中に日本陸軍のレーダー基地で女性が働いていた話もあるし、あらゆる分野の働き盛りの男性を戦争にとられ続けて人材不足になった分を女性が代わりにオペレートするようになるという構図は、どこの国であっても変わらないということなんでしょうか。
いずれにせよ、様々な分野でエクスパートとして働く女性たちの姿を見るのは、後の世代の女の私にとって頼もしい限りで有り難い限り。



ラムゼーとチャーチルが眺めたアングルと同じ感じでドーバー海峡を眺めつつ撮影(地下トンネルの出口付近で撮影)。


同じく、ドーバー城の第二次世界大戦の地下トンネルから見えた港(フェリーポート)。なんだか見覚えのある港とフェリーが。


地下トンネルの隣には同じく地下トンネルにある病院もありましたので、ここの見学ツアーにも参加することに。手術室やベッド、トイレといった施設の設備を見学しました。通常の病院施設とはまた別の…病気じゃなくて怪我を直すところなのが明確すぎて、「あ、ここは、本当に戦争で使われた施設なんだ」と今さらながらの実感をいたしました(おそい)。
と同時に、病院の地下トンネルの換気システムを心配してしまいましたが。稼働中の病院は、ものすごく臭そうだし。「便や尿、血液などの汚染物の処理とか、衛生管理をどうやってたんだろう。通常の病院の床とは違うし、拭き掃除とか消毒とかをちゃんとできたんだろうか。」とか。というわけで、こんな穏やかな史跡に見える城が、本当に戦争に使われてきた、文字通り防衛の要として機能してきた場所だったんだなと改めて。流石、幽霊の目撃談がある城。


病院の入口。ここのみ撮影可能。


ラムゼー提督の銅像。ドーバー海峡を睨んでる守護神的な。

とはいえ、史跡や資料として見るイングランドの城や軍服、装備はカッコ良いんですよねえ、うーむ(語彙力がない悲しみをこらえる図)。


イーングランド!万歳!と叫びたくなるドーバー城の天守閣(的なもの)






天守閣からの眺めは最高です(←...)

ちなみに、ここドーバー城には『ダンケルク』の衣装が展示されていたとのことですが、私が行ったときには残念ながらもう展示されてませんでした。FRAC(ダンケルク)での小道具の展示と同じように期間限定だったんでしょう。トミーやボルトン中佐たちの衣装が展示されてたようなんですけども。とても残念でした、とても…(滝涙)。


代わりにねっとり見てきた海軍の制服


さて、ドーバー城をウロウロと4時間近く歩き廻った後(城内は広いので1つ1つ見ていったら結構時間がかかる)、駅に向かいながら街を散策しました。4時間使って回ったけど、正直全然見れてない感がすごいです。とにかく本当に城が大きいんですよね。どこからでも山の上の城が見える感じで。



ドーバー城と街並み。城の周りに街が広がる感じ

ざっくりと散策した後は、ロンドンに移動(本当はもっと散策する予定でしたが、熱中症っぽい症状がでたので体力に余力があるうちに次の予定地であるロンドンへ移動することに)。

原宿駅くらいの大きさの駅舎ドーバー駅(Dover Prior)で駅員さんにブリットレイルパス ロンドン(これ以降、水戸黄門の印籠のように駅改札でチケットを見せて便利に電車を使いまくる)にスタンプを押してもらって日付を入れて貰い(=いわゆるバリデートをしてもらう)、ロンドン ヴィクトリア駅へ。ドーバーのスーパーで買った、謎のモモ+サンドイッチを食べつつ、直通の電車で2時間弱の移動です。電車の座席もひろくて快適な旅でした(東海道新幹線よりぜんぜん良い)。




世界の車窓から的な風景を楽しむ


購入したヨーロッパのモモ。蟠桃に形は近い。果肉は日本の一般的な白桃のより固め。


ロンドンに着いた私は、ついさっきまで熱中症気味になっていたのにコリもせず(冷房の効いた電車の中で水を飲んだり寝たりしたら回復したので…)、田舎者よろしくロンドン散策+夕飯の買い物に繰り出すのですが、それはまた次の記事で。



(ドーバー編 終わり)


Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 真砂 博成(2001年)『5月の嵐 ドイツの電撃作戦とダンケルク』学研M文庫
4. English heritage dover castle 公式HP<http://www.english-heritage.org.uk/visit/places/dover-castle/> (参照2018-05-03)
5. English Heritage Guide books Dover castle a frontline fortress and its wartime tunnels (2011年初版、2016年改定)Geoff Neal Group社
6. 地球の歩き方 イギリス2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
7. Visit Britain(英国政府観光庁)公式ホームページ<https://www.visitbritain.com/jp/ja#MKfded01EWUYht34.97> (参照2018-05-03)
8. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ドーバーからダンケルク旅2018冬・海峡フェリー編」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
9. 山室良(2017年8月28日付)「いま,ダンケルクが熱い! ……ような気がするので,本物のダンケルクへ行ってみた」<https://www.4gamer.net/games/138/G013889/20170825090/> (2018-04-23参照)
10. ダンケルク海岸線、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房新社より)
11. サマセット・モーム(2010年)『月と6ペンス』(行方昭夫 翻訳)岩波書店
12.樋口 真嗣(監督)・庵野秀明(脚本・総監督)、2017年、『シン・ゴジラ』東宝株式会社
13. イギリス国立公文書館(The National archives) 公式HP (Cabinet papers; The fall of France) http://www.nationalarchives.gov.uk/cabinetpapers/themes/fall-france.htm> (参照2018-04-24)
14. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM)”WHAT YOU NEED TO KNOW ABOUT THE DUNKIRK EVACUATIONS” < https://www.iwm.org.uk/history/what-you-need-to-know-about-the-dunkirk-evacuations>(2018-07-31参照)
15. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM)” 7 PHOTOS FROM THE DUNKIRK EVACUATIONS” < https://www.iwm.org.uk/history/7-photos-from-the-dunkirk-evacuations>
16. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM) "A WHO'S WHO OF D-DAY"
17. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM) "HOW CHURCHILL LED BRITAIN TO VICTORY IN THE SECOND WORLD WAR" (2018-07-31参照)

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