もはや誰がこんなレポートを読むのかと思うのですが、このブログのそもそもが備忘録として初めたものですから、まあご容赦あれ。
女川からの続きになります。
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女川駅のゆぽっぽで時間を気にしつつ汗を流したワタクシ、セカセカと電車に乗り込み石巻へ向かいました。
朝きた道を戻りつつ、海沿いに見えるもの、陸沿いに見えるもの、それぞれの景色を目に焼き付けつつ。
これからどんな風な景色になっていくのかは解りませんが、現地の方々の現在と未来になるべくアジャスト+発展させていけるような風景になれば良いなと祈りつつ。
さて、そんなこんなで石巻に到着。
仮面ライダーやサイボーグ009をカメラに収めつつ(正直、私、あまり詳しくないためこれらについては何ともコメントできず…)、駅前を軽く散策してみました。
駅前の建物は整然と並んでおり、ここで災害が起こって沢山の死者も出たのだということをスッカリ忘れてしまいそうになりそうでした。
ただ、少し歩いた所にある街燈の柱には、浸水した高さを示したプレートが貼付されており、ここが被災地であることを私のようなオタにも思い出させてくれるのでした。
一通り駅の周りを散策したらば、ワタクシ、大野さんがネコの島で、松潤が海辺の工場でそれぞれロケをしているようだとのうわさ情報をツイッター経由で聞きつつも、バスに乗って正反対の方向の内陸部へ進んで行きました。
向かったのは石巻赤十字病院。
ご存知の通り、震災時において石巻市周辺の病院機能のほとんど全てを担った病院です。
翔さんも、ZEROで訪れております。
(wikiより一部抜粋;なお、石巻赤十字病院の救護チームの活動については、同病院のサイトに詳しい記載がある)
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震、またそれに伴う津波の影響で、石巻市は甚大な被害が出た。発災と同時に、石巻赤十字病院は災害拠点病院として予め用意してあったマニュアルに従い、全職員が配置につきトリアージと治療の準備を完了。多くの救急患者が運び込まれ、最大で震災2日後には1日1251人もの急患が運び込まれた。
本来、石巻市では地震などの災害時、市内116の医療機関が連携して対応するはずであったが、大津波の影響により、旧北上川河口にあった石巻市立病院をはじめとしたほぼ全ての医療機関が機能停止。大津波の到達もなく、また、災害拠点病院として、自家発電や緊急時の水などを備えた石巻赤十字病院が石巻都市圏20万人を一手に背負うことになった。全国から120人ほどの医師が石巻赤十字病院に応援に駆けつけ、当院職員と共に対応に当たった。
翔さんは、震災1カ月後の4月に石巻を訪れています。
当時は飛行機が使えず、山形でおにぎりを買って宮城まで行ったと、山崎 元ZEROプロデューサーがコメントをしています(情文ホールのNews Zeroの公開セミナーにて;2012年7月)。
病院の前に張られていた沢山のテント、瓦礫の中に立つ翔さんは忘れることのできない風景です。
私が書いた同セミナーについてのレポートより一部抜粋(2012年7月10日;(公開セミナーのレポート2;製作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO)より)
八木さん⇒櫻井さんはいち早く被災地に行きました。震災の1ヶ月後(4月11日)には村尾さんと石巻に向かっています。
山崎P⇒新幹線が動かなくて。山形空港から石巻へ移動しました。まだ避難所も機能していない時で。山形で事前に準備して…おにぎり1,2個だけ食べて(被災地へ)行きましたね。
あの時の病院は今はどうなっているのか、今までどうしてきたのか。
(なんとなく)確かめたくて、行ってきました。
<勿論、遠目ですよー。患者さんやスタッフ以外の立ち入りは駄目だから。
当たり前の話ですが、「何もなかった」。
さて、
ひとりしきり、ボンヤリした後は、すばやくバスに乗り込み石巻駅へ行き、物産センターでお土産を購入しました。
大野さんがロケで行ったというネコの島に因んだお土産も欲しいなと思ったのですが、あいにく鰹節入りのクッキーしか見当たらず、これについては断念することに(さすがに買って食べる勇気がががが。)。
代わりに、ネコのみみかきカリントウと金華醤油を購入し、私は帰路につきました。
+++
こうして、駆け足の女川~石巻巡りは終わりました。
ロケ地巡りというには、正確性に欠けるところもあるツアーだったとも思うのですが、まあ、私的には満足してます。
現地に着いてから、もっと他にも行きたい所が出てきたのですが、それは次の機会に取っておこうとも思いました。
周知のように、東日本大震災の被害規模は大きく、10年20年単位での時間を必要とするものです。
1995年に起きた阪神淡路大震災の土地の区画整理ですら、2011年3月に終わったのですから。
時間、人、お金とが長いスパンで必要となってくるのだろうなと。
だからこそ、1回の往訪で終わるのでなく、もっと繰り返し足を運びたいなと思ったので。
東北(被災地)への旅に対するモチベーションをくれた嵐さんに感謝しつつ次の日のライブに備えたオタでしたとさ。
Ref)
石巻赤十字病院公式ページ
石巻赤十字病院(wiki)
石巻赤十字病院の100日間
著者名:由井 りょう子, 石巻赤十字病院
東日本大震災 石巻災害医療の全記録
著者名:石井 正
拙ブログ(2012年7月10日の記事)
公開セミナーのレポート2;製作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO
女川からの続きになります。
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女川駅のゆぽっぽで時間を気にしつつ汗を流したワタクシ、セカセカと電車に乗り込み石巻へ向かいました。
朝きた道を戻りつつ、海沿いに見えるもの、陸沿いに見えるもの、それぞれの景色を目に焼き付けつつ。
これからどんな風な景色になっていくのかは解りませんが、現地の方々の現在と未来になるべくアジャスト+発展させていけるような風景になれば良いなと祈りつつ。
さて、そんなこんなで石巻に到着。
仮面ライダーやサイボーグ009をカメラに収めつつ(正直、私、あまり詳しくないためこれらについては何ともコメントできず…)、駅前を軽く散策してみました。
駅前の建物は整然と並んでおり、ここで災害が起こって沢山の死者も出たのだということをスッカリ忘れてしまいそうになりそうでした。
ただ、少し歩いた所にある街燈の柱には、浸水した高さを示したプレートが貼付されており、ここが被災地であることを私のようなオタにも思い出させてくれるのでした。
一通り駅の周りを散策したらば、ワタクシ、大野さんがネコの島で、松潤が海辺の工場でそれぞれロケをしているようだとのうわさ情報をツイッター経由で聞きつつも、バスに乗って正反対の方向の内陸部へ進んで行きました。
向かったのは石巻赤十字病院。
ご存知の通り、震災時において石巻市周辺の病院機能のほとんど全てを担った病院です。
翔さんも、ZEROで訪れております。
(wikiより一部抜粋;なお、石巻赤十字病院の救護チームの活動については、同病院のサイトに詳しい記載がある)
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震、またそれに伴う津波の影響で、石巻市は甚大な被害が出た。発災と同時に、石巻赤十字病院は災害拠点病院として予め用意してあったマニュアルに従い、全職員が配置につきトリアージと治療の準備を完了。多くの救急患者が運び込まれ、最大で震災2日後には1日1251人もの急患が運び込まれた。
本来、石巻市では地震などの災害時、市内116の医療機関が連携して対応するはずであったが、大津波の影響により、旧北上川河口にあった石巻市立病院をはじめとしたほぼ全ての医療機関が機能停止。大津波の到達もなく、また、災害拠点病院として、自家発電や緊急時の水などを備えた石巻赤十字病院が石巻都市圏20万人を一手に背負うことになった。全国から120人ほどの医師が石巻赤十字病院に応援に駆けつけ、当院職員と共に対応に当たった。
翔さんは、震災1カ月後の4月に石巻を訪れています。
当時は飛行機が使えず、山形でおにぎりを買って宮城まで行ったと、山崎 元ZEROプロデューサーがコメントをしています(情文ホールのNews Zeroの公開セミナーにて;2012年7月)。
病院の前に張られていた沢山のテント、瓦礫の中に立つ翔さんは忘れることのできない風景です。
私が書いた同セミナーについてのレポートより一部抜粋(2012年7月10日;(公開セミナーのレポート2;製作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO)より)
八木さん⇒櫻井さんはいち早く被災地に行きました。震災の1ヶ月後(4月11日)には村尾さんと石巻に向かっています。
山崎P⇒新幹線が動かなくて。山形空港から石巻へ移動しました。まだ避難所も機能していない時で。山形で事前に準備して…おにぎり1,2個だけ食べて(被災地へ)行きましたね。
あの時の病院は今はどうなっているのか、今までどうしてきたのか。
(なんとなく)確かめたくて、行ってきました。
<勿論、遠目ですよー。患者さんやスタッフ以外の立ち入りは駄目だから。
当たり前の話ですが、「何もなかった」。
さて、
ひとりしきり、ボンヤリした後は、すばやくバスに乗り込み石巻駅へ行き、物産センターでお土産を購入しました。
大野さんがロケで行ったというネコの島に因んだお土産も欲しいなと思ったのですが、あいにく鰹節入りのクッキーしか見当たらず、これについては断念することに(さすがに買って食べる勇気がががが。)。
代わりに、ネコのみみかきカリントウと金華醤油を購入し、私は帰路につきました。
+++
こうして、駆け足の女川~石巻巡りは終わりました。
ロケ地巡りというには、正確性に欠けるところもあるツアーだったとも思うのですが、まあ、私的には満足してます。
現地に着いてから、もっと他にも行きたい所が出てきたのですが、それは次の機会に取っておこうとも思いました。
周知のように、東日本大震災の被害規模は大きく、10年20年単位での時間を必要とするものです。
1995年に起きた阪神淡路大震災の土地の区画整理ですら、2011年3月に終わったのですから。
時間、人、お金とが長いスパンで必要となってくるのだろうなと。
だからこそ、1回の往訪で終わるのでなく、もっと繰り返し足を運びたいなと思ったので。
東北(被災地)への旅に対するモチベーションをくれた嵐さんに感謝しつつ次の日のライブに備えたオタでしたとさ。
Ref)
石巻赤十字病院公式ページ
石巻赤十字病院(wiki)
石巻赤十字病院の100日間
著者名:由井 りょう子, 石巻赤十字病院
東日本大震災 石巻災害医療の全記録
著者名:石井 正
拙ブログ(2012年7月10日の記事)
公開セミナーのレポート2;製作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO
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