某mixiのコミュニティを見ていたら、こんな欲望がむくむくと。
な、なぜ。
私の所在地は、九州なのだろうか・・・。
東京だったら、とん太とか行けたのに!<キィ!!!!
(とん太は、ドラマ版で「これが、俺の仕事か?!」バンバン!!!の場末の居酒屋さん;http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13037650/ )
とりあえず、所在地だけでも書いておいて東京出張があった時にでも行こうと決意。
またしてもメモ代わりなblogにカンパイ。
1. ちよだプラットフォーム 「プラットフォーム カフェ」
http://www.yamori.jp/modules/tinyd2/index.php?id=17
最寄りは東西線竹橋駅。駅から徒歩3分
「SOHOまちづくり」ビルの1階
オープン・カフェで村田が牛乳を飲みながら銀行員から、情報を収集する場所
「困りますよ、うちの近くで。」
チュー。。。。。
2. 『 M’s DINING 佐倉店 』(千葉県佐倉市春路1-1-2)
http://www.atom-corp.co.jp/
※2009年5月13日(水)「M’s DINING 佐倉店」は
「ステーキ宮 佐倉店」としてリニューアルオープン
劉と守山のもりもりご飯を食べてるレストラン。
「誰かになるんだよ、守山」
3. 富士ソフト秋葉原ビル
(東京都千代田区神田練塀町3)
別名アカマ自動車本社ビルなのだそう。
「これから、どうする?」
「見に行きますよ、焼け野原を。資本主義のね・・・。」
4. 常盤橋門跡
http://homepage3.nifty.com/oohasi/tokiwa.html
「なあ、頼むよ・・・・。俺も、その車に乗せてくれよ・・・。」
泥まみれ劉から涙のメッセージが受け取れそうな場所。
5. 南国酒家
http://nangokusyuka.co.jp/store_harajuku/room_geihinkan.html
米中会談、またの名を、劉のほくそ笑みレストラン。
6. 料亭/喜祥
http://r.gnavi.co.jp/p865200/
ホワイトナイトお願い料亭。
「ホワイトナイトをお願いしたい。」
「・・・・・・お引き受けしましょう。」
7. マンダリンオリエンタル東京
http://www.mandarinoriental.com/tokyo/jp/
地下鉄銀座線・半蔵門線三越前駅すぐ
鷲津と劉の思い出話に花が咲いた所。
そして、会見会場。
劉の宿泊所。
だそう。
うう、行きたい行きたいいきターイ!!!!
取りあえず、実際に行った方がいらっしゃったので、雰囲気だけでも味わおうとトラックバック!!
劉一華についての考察。
タイトルとしては、「アイデンティフィケーションの喪失と構築」かな・・・?
自分探しの旅に限らず、自己の拠って立つ所を求める人は多い。
ある人は家庭であり、ある人は仕事であり、友人であり、それは数限りなく多い。
よってそれが失われると一気に人格さえも崩壊しかねない人もまた多い。
離職や離婚により、アイデンティティーを失ってしまう人は星の数ほどいる。
劉という青年を見ていると、それら自己の立つ所を敢然と切りはずして生きてきた人間のように見える。
売血することによって生きてきた母と子の生活は、きっと想像を絶するものだったに違いない。
もしかしたら母は、それ故に死んでしまったかもしれない。
親族はおそらくいなかったのだろう。
父を早くに亡くした後の母と子、二人の生活だったかもしれない。
<その中での希望は、「先進国・日本」の象徴の真っ赤なGTだったのだろうか…。
故郷もなく、家族もなく、名もなく…。
戸籍を作り変えることによって、残留3世として異国(日本)にやって来た偽者の少年。
日本語が話せない故に苛めに合い、日本に馴染めなかった残留孤児3世。
結局は日本を捨てて、そして苦学してアメリカに渡った青年。
アメリカで成功した後に、「捨てた故郷」のバックアップ(CLIC)を得て買収を繰り返す青年。
彼という人物を見ていると、故郷・居所を喪失した人間というイメージが纏わりつく。
中国ーアメリカ時代は、幸か不幸か、劉には経済的余裕がなかった。
故に、毎日の生活を送るのに精一杯で中々自分のアイデンティティーについて考える暇もなかったかもしれない。
拘泥する余裕はなかったかもしれない。悩む行為は、余裕のある人がするものだから。
だが。
劉は鷲津に出会ってしまった。
劉にとって鷲津という人物は、自分の欠けていたピースを整合させる又とない人物だったのではないか?
劉の自己を爆発的に発芽させる切欠となる人物だったのではないか?
使い走り(インターン)にとっては憧れの若手筆頭の稼ぎ頭。
そして、「それだけではない」ものを抱えている「同郷」の日本人。
そういう人物として。
「May I?(隣に座っても?)」
と英語で話しかけてきた劉に
「お前、人を殺したことがあるか?」
と鷲津が日本語で劉に話しかけてきたことは(鷲津にとっては独り言に近いものだったに過ぎないにしても)、劉の殻を打ちはがすのに十分なインパクトを持っていたのではないか?
劉がアメリカに渡った…というエピソードは、劉の生い立ちを覗くことの出来る我々視聴者からすれば当然の帰結になる。
偽者の「日本人」として日本にやってきた少年が、日本語が話せない故に「中国人」として苛められるエピソードは、日本も中国も関係ない所へ行きたい、と少年に思わせるのには十分過ぎるものだったのではないか?
アメリカという国は、肌の色も国籍も問わない「人工」国家として劉を迎え入れるに相応しい国だったのではないか?
<参考資料としては、司馬遼太郎の「アメリカ素描」というエッセイが挙げられる。国語の教科書にも掲載されていたから覚えている人も多いかもしれない。
そんな劉に、「日本語」で話しかけてきた鷲津という人物は、もの凄いインパクトを与えるに相応しい人物だったのではないか?
そして、その内容も。
「お前、人を殺したことがあるか?」
劇中で戸惑っていた劉ではあるが、心の中では「是」と答えていたかもしれない。
だって彼の母親は、自分の血を売って生計を立てていたのだから。
文字通り、劉は母の命と引き換えに生きてきたようなものなのだから。
200万で人を殺した、という鷲津の言葉にも、もしかしたら劉は「是」と思ったかもしれない。
密入国してきた人たちが抱えるお値段(渡航料金込みこみ)は、300-400万だそうだから。
戸籍を書き換えた「頭を剃った」少年としては、密入国せずに堂々と入ってきたことを考えると200万位(か、それ以下)で戸籍を書き換えたかもしれない。
そして其の頃には母親は死んでいたかもしれない。
共通したエピソードを抱えた2人の「日本人」が異国のアメリカにやってきて会合した…ということは劉にとっては強烈なインパクトを持ったに違いない。
よって鷲津の言葉が強烈なバイブルとなりアイデンティティーにもなったのは当然なのかもしれない。
「強くなれ。強くならなければ人を殺してしまう。それが資本主義だ。」
劉という人物はこうして孵化したのではないか。
故に、劉は鷲津にこう言い放ったのだと思う。
「俺は、あんただ。」
劉のよって立つ所は、悉く他者に依存するものだったのではないか・・・?と思う。
故に、鷲津と同等(同質?)のものにはなれなかったのだろう。
「お前に、何が解る?」
鷲津に拒否されてしまった劉は、こうして鷲津を越えることによってしか自己を確立していくしかない道を選んでしまったように感じる。
これがなかったら、もしかしたら劉はスタンリー・ブラザースに対するホワイトナイトを名乗り出ることはなかったのではないか・・・と思う。
中米会談(スタンリーとブルーウォールとの会談)でほくそ笑んでいた劉は、あの時が一番の絶頂だったのかもしれない。
しかし結末はそうはならなかった。
お前は誰なんだ、と鷲津に叱責された時、劉はどんな気持ちだったのだろう。
鷲津らによって引き起こされた株の暴落やBWの敗北を前にして、自分が鷲津を越えられなかった、負けた、という思いは劉をどうしたのだろう。
すべてを失った先にあったのは、アカマGTに対する思いだけが純化して残っているだけ。
でも、汚泥の先にあったその思いは、確かに劉本人(というより頭を剃った少年)にとっては本当の宝物のようなアイデンティティだったのかもしれない。
この時初めて、もしかしたら劉は鷲津のことを理解できたのかもしれない。
(勿論、守山君との格闘も重要なファクター)
故に、劉は鷲津にアカマ再建レポートを送ったのだろう。そして、それは鷲津に確かに届いていた。鷲津や芝野たちは、劉の全てを背負ってなすべきことをして行くだろう。
すべてを失ってしまった劉は最後に、もしかしたら全てを手に入れたのかもしれない。
ネタバレメモ書きも一応、これでフィニッシュ。
それにしても、1回の視聴でこれだけのメモ書き(全部で9回)を残す私の妄想も凄いが(苦笑)、それを描かせた「ハゲタカ」はもっと凄いと思う。
スタッフやキャストがどれだけこの作品を磨き上げて行ったか、ということがよく解る・・・。
<私の妄想が爆走しすぎているという事実は・・・ありませんでした。←
1. 再出発 in アカマ自動車エントランス
雨の中の電話から数日後、アカマ自動車の社長退任のニュースは東洋テレビの三島キャスターによって伝えられております。
またこれに続いて、暴漢により刺し殺された劉一華がニセモノの劉であったことも伝えられております。
でもそのニュースも、大不況に突入した世間にとっては、取るに足らない事項になるのでしょうな・・・。
そしてそして。
アカマ自動車エントランスにて、最後に残った役者たち(残された役者ともいう)、鷲津と芝野が話しております。
アカマ自動車再建に対しての打ち合わせみたいです。
ここで、後任の社長として自分が推挙されそうなことを鷲津に告げております。
「大変なのはこれからだ。」
と言いつつも、希望を捨てていない芝野さん。
「お前の言う通り、どうしようもないかもしれない。」
「だけど俺は、日本人の勤勉さを買っている。」
あくまでも希望を捨てていないのだな、芝野さん。
経営者に向いているのは、「明るい人」であること、と作家の村上龍が言っておりましたが、ここでいう「明るい人」というのは、芝野さんのように希望を見出せるヒトたちのことをいうのでしょうね。
そういう人たちだからこそ、一緒に働きたいと思うのでしょうな・・・。
「日本人もまだまだ捨てたもんじゃない。」
と言い切る芝野先輩に、
「相変わらず、クソがつくほど真面目」という後輩の鷲津(笑)。
それに対して苦笑する芝野先輩が、とても素敵です・・・。<鼻血
正直、映画版には芝野の出番はさほどない。
だけど、映画の中で希望を担わせる人物として芝野以外にそれはありえない、と言い切る存在感にあふれている。
野中さんは、背負うもの(スポンサー)があって動くに動けなかった。
古谷社長は、凝り固まり、そして何も変わらないと諦観してしまった。
(鷲津も一時期、放り捨ててましたな、日本を)
だけど芝野は捨てずにここまでやって来た。
それを考えると、芝野の存在感はここで輝いてくるなあ。
こういうお父さんがいれば素敵だな。自慢しまくる・・・p(^_^)q
でも忘れちゃ行けないのは。
鷲津とても、最後の最後まで粘って希望をつかみ取る人間であるということ。
だからこそ、芝野は笑って問いかけるのだと思う。
「これからどうする?」と。
それに対する鷲津さんの答えが、
「見に行きますよ・・・。焼け野原を。資本主義のね。」
何と言うか、深淵な答えです。ファンの間では、いかような解釈も出来そうです。
<ちなみに、この時点で私は、鷲津はアメリカに渡るものと思ってました。
「お前らしい。」という芝野さんの答えは、2人の間に漂う理解が醸し出されてました。
信頼と理解って、なれ合うよりも愛おしい。
そして、もう一人、理解されている人がいた。
「これが、私の処に送られてきました。」
鷲津が差し出したのは、劉から送られて来た資料。中には、アカマを含めた企業再生案が書かれていた。
アカマに対しては、特に念入りに書き込まれていた再生案(といっても、清書はされていない。あちこちに劉の書き込みが入っている)は、劉が鷲津に対して送った信頼から来るもの。
そして、芝野はそれを受け取った(と思う。)。
姿形はなくなってしまっても、魂だけでも、信用されて理解されているということを見出せるのは素晴らしい・・・。
それを感じさせる一コマです。
だからこその、あの台詞だったのかな。
「見に行きますよ・・・。焼け野原を。資本主義のね。」
2. それでも往く道
鷲津は出発した。
行き先は、劉(正確には、頭をそった少年)の故郷。
<かなりビックリした
劉の生家を訪れた先に見たものは、壁に描かれた赤い車・・・。
その絵を撫でるようになぞるように見やる鷲津の視線・・・。「流した血を受け取る覚悟」by 大木会長 が、ひしひしと感じ取れました。他に肉親はいないのだろうな・・・。劉は、独りボッチだったのかも。偽名を使っていたとしても、本当の家族が一人でもいれば、それがアイデンティティの一部になるもの。母子の生活、推して知るべし・・・。
そんな劉を受け取りに、鷲津は行ったのだな・・・切ない。
そして一方日本で、劉の一部を受け継いだ者がおります。
言わずとしれた、守山君。
400万円もらった後、どうやってかは解りませんが、彼はニューアカマGTに乗って町を闊歩しておりました。
劉にもらった400万をそのまま車につぎ込むとは考えられないので(ストーリーの上でも)、恐らく彼は株か何かで資産(400万円)を増やしたのではないか、、、。<でないと、守山くんを劉の死んだ後に移す理由がなくなるし。
にしても守山君。着ている服もレベルアップしている処を見ると、そうとう儲けた?
第二の劉は、守山君になったりするのか・・・?ということを思わせる一コマでした・・・。
守山くんは何処に行くのかな・・・?
赤い車が走る日本の整備されたアスファルトの道が、凄く印象的でした。。。
そして、由香ちゃん。
残された劉の取材テープをじっと見ております。
「君も、コチラ側の人間だったはずだ・・・。」
今となってはニセモノの存在となった劉一華の言葉の裏の真実に、どう向き合うのか。
誰もいない部屋でひたすら取材ビデオを見つめる由香ちゃんの孤独が、ふと感じられました。
<東洋テレビには、彼女の境遇に共感できる人間は、いないだろう・・・。少なくとも、今の現場では。
画面は変わって。
「頭を剃った少年」の故郷を訪れた家を出た鷲津の目に泊まったのは、村で亡くなった老人の葬式。
そこで燃やされていたのは、紙幣(冥府国際銀行と書かれていた)。中国古来の風習で、あの世でもお金に困らないように、とするものですな。
これを見ると、「捜神伝」(中国説話を集めたもの。筑摩書房から出ています。)の姑獲鳥を思い出しますな・・・。
<貧しさで子を亡くした女が夜叉に姿を変えてお金を分捕っては燃やして我が子に与えていた話
燃やされて行く紙幣を前に、鷲津は何を思うのか・・・。
そして、鷲津が「いつか見て来た」道に辿りつくのです。
つまりは物語の最初の道へと。
赤い車が走った道を、今度は鷲津が一人歩いていくのです。
暫し感傷に浸ることがあっても、それでも独り鷲津は往くのだな・・・。
それは鷲津も、芝野も、劉も、勿論、由香ちゃんも西野も皆同じ。
「あなたは私」で「俺はあんた」であるということだ。
世の中は、金だ。
金が悲劇を生む。
だからこそ、希望を見出さねばならない。夢を見出さねばならないのだね。
「人は生きねばならない、鳥は飛ばねばならない。」
さあ、明日からまたガンバロウと思い、そしてRoad to rebirthが始まる。
+++++++++++++
なんとか終わり。
訂正は後日します。
イロイロ見つけてしまいましたが・・・後回しで(笑)。
なんとか、明日に第2回目観賞を行いたい故に、映画版ハゲタカのネタバレメモを駆け足メモ書き。
例によって、順不同/あやふや台詞/妄想爆走中。
1. 経済破綻の始まりは・・・?
スタンリー破綻より、一気に加速化された不況の波。
これでもか、これでもか、と言わんばかりに不況の字が新聞の紙面を賑わしております。
<世界経済不況の始まりって鷲津ファンドが引き金なの?(笑)
東洋テレビでも結局、鷲津ファンドのスタンリー買収の意図は掴めていなかったみたいですね。由香ちゃんも結局、どう、とも言えなかったみたいだし。
ただ、「ドバイの資金調達がアカマ買収の為の資金源ではなかったとすれば・・・?」、、、ということは感じていたようですが。
具体的に確たることは掴めてなかったみたいです。
現実世界でもそうですが、これからどうするか・・・。
自分で考えないとですね。
これからどうなるんだろう、とかはあまり言いたくないなあ。
2. 終わりの始まり
TV会議が終わった後(というより一方的に退席)、劉は一人、街中を歩いております。タートルネックのシャツにジャケット(シマシマ)にお揃いのズボン、そして傘(ホテルの備え付けか・・・?)に新聞。
一見すると、仕事終わりか休憩中のビジネスマンです。
眼鏡もかけてないし。
なんか、憑き物が落ちた顔をしてます。雨上がりの路を歩く姿は清いものがあります。
こういう顔は、見たことがある。BANANA FISHというマンガがあったが、その主人公(アッシュ・リンクス)の最期に似てる・・・。
そして、最期も似てる・・・(泣)
路を一人、歩いていた劉。背後から、いきなり襲われるのです。
一瞬守山かと思いましたが、違ってました。<これは救われた。
サラリーマン風の男。
そのまま刺されて殺されてしまうかと思いましたが(それにしてもちゃちいナイフだ。多分、それでは殺せないような気がする。刺すだけでは、不十分)、襲ったあげくにお金をむしって行くだけでした。
<だけでもアンマリな事体ですが・・。
でも痛ましいことに、それだけではなく・・・。
もみ合って溢れたお金(財布も)に群がってくるホームレスたちの姿。
「止めろよ!!」
刺されてる?のに(出血は確認できず)、必死に泥まみれになったお金を拾う姿はただ悲しく・・・。
「拾え!拾わなきゃ、いけないんだよ!」と守山に叫んでいた劉の姿と重なり、ともかく切ないものですね。
お札(日本円だけでなく、中国元もあった)だけでなく、小銭も必死にかき集めてる所は、自動販売機の小銭を必死にかき集めていた西野(オヤジさんの方)を思い出します。
オーバーラップがあって、切なかったな。
泥まみれになって集めて、そして歩き始め、そして、崩れ落ちる劉。
崩れ落ちて行く劉の目の前に、日本銀行が遠く見えるのは、何かを象徴しておりますね。
3. 去り行く者たち
劉が舞台を降りると同じくして、もう一人、舞台から降りようとしている人もおります。
アカマ自動車の古谷社長、重役(誰だっけ?)。
筆頭出資者であるMGS銀行の飯島。
その背後には、芝野。
そこに登場・・・!した鷲津。
来るなり北米市場進出にあたっての古谷社長の手落ちを批判してます。
海外展開の遅れを問題にされてましたが、その原因は、会社の非効率化を批判していた古谷社長自身の手落ちだったと。
「結局、スタンリーに高額の手数料を払っただけだ」
という鷲津に、
「じゃあ、どうすれば良かったというだ?!」
という古谷社長。それを君がいったらオシマイではないのか(汗)。経営者じゃん。
結局、古谷社長は飯島さんに引導渡されてましたな。
「見苦しいな、古谷君。」
相変わらず、腹黒い飯島さん・・・v。
正直、飯島さんは黒すぎるので頭取には不向きと思ってたんですけど、どうやって頭取になったのかなあ・・・?よっぽどMJS銀行の経営がヤバかったのですかね?やむを得ず?。
古谷社長、完璧に魂ぬかれてしまってます。そして泣いてます。
<大人の人が泣いてる場面ってどうしていいのか解らないな。頼むから他所で泣いてくれって思う私は優しくないんだろうなと思います・・・。
鷲津は、それに対して特に何も言うつもりはないみたい。
「それでは、後は宜しくお願いします。」
しれっと退出してしまいました。
残ってるのは、飯島、芝野、古谷。
そうして・・・。
アカマ自動車で役員会議が開かれた結果、「取締役社長の解任」が決議されてしまいます。
全員一致というところが悲しい・・・。古谷社長(この時点から、前社長)は、もう呆然というかどうしていいのか解らないというか、そんな状態です。
涙に加えて鼻水までたらしてます。
切ないなあ・・・。怠慢だったわけでもないし、愚かだったわけでもない。でも、間違った決断をした責任は取らなければならないということなのですね。
社長や創業者がいなくなったとしても、会社は生き続けます。海の怪物リバイアサンみたいです。
<[国家は人を食う巨大な怪物] by トマス・ホッブス;リバイアサン(国家)より
古谷社長に対して「会社は生き物」といった芝野の言葉がこんな形でリフレインされてくると、切ないですな・・・。
4. そしてベルが鳴り舞台の幕が降りる
アカマに対するTOBを成功させた鷲津ファンドは、早速ミーティングを開始しております。
議題は勿論、アカマ自動車再建案。
鷲津ファンドの若い兄ちゃん(若本?)が張り切って説明しております。
その熱い?ミーティングを他所に、外では凄まじい雨です。
その中、充電中の鷲津の携帯のバイブが鳴りますが、当然鷲津さんは会議中で出れません。やっと会議が終って、鷲津が携帯を取った時には、すでにバイブは鳴り止んでおり、留守電ランプが光っているだけ。
鷲津が何気にパチンとスチッチを入れた途端、凄まじい雨音と弱々しい青年の声が漏れ出てきて・・・
「寒いよう・・・。」
声の主は、劉一華(といっても今となっては偽名)。
あの傲岸不遜なまでの挑戦的な青年はどこに行ったんだろう、まるでNYで寂しく鷲津の背中を追いかけていた気弱な青年が帰ってきたみたい・・・。
「頼むよ、、鷲津。」
「俺もその車に乗せてくれよ・・・。」
その声を聞いた瞬間に、大凡のことを理解したであろう鷲津さんは、動揺して意味もないのに部屋(といっても、仕切られたスペース内といった感じ)を独りウロウロ。<でも脳内では冷静に事実認識を一方ではしてそう・・・。
「頼むよぅ・・・。」
という言葉を最後に切れた劉の電話に対して、何度もリダイヤルを開始しております。
何度も、何度も。
ここの鷲津の目の表情は本当に見ていて切ない。これは劇場の大きなスクリーンで見れてよかったと思うシーンかな。
冷静沈着、でも「つい熱くなる」性格、そして、情に厚い性格の鷲津が、顔を覗かせていて・・・。
そして電話は遂につながることはなく・・・。
拍手のような雨音の中に路上に転がった人間の足下で、電話のバイブが鳴るだけ。
(顔はいっさい画面に映らない。正直、ナチュラルに路上で死ぬ人たち(某地区みたいに・・・)と同じように、「自然に」路上に捨てられていた感じだった。路上で人が死ぬ様に、少し似ていた。)
+++++++++++
字数がオーバーしたので、もう1回。