ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

今年も蛍が出た

2006年06月15日 08時26分54秒 | 
葉の上に居る蛍の光
2006年6月14日撮影

 そろそろ蛍が出てるかと思って出かけてみたがまだのようだ。それでもと思って歩いて500mほど離れてるところにある前に済んでた借家の裏まで行ってみるとざっと10匹ほど飛んでいた。ちなみに歩いて500mのところは走ったって500mだ(^-^;

 30分ほど粘って写真を何枚か撮ったけど、どれもだからどうしたっていう写真ばかり。蛍はじっと見ているのに限ってなかなか光らない。ところが隣の方にカメラを向けるとさっきまでしょぼしょぼ光ってたのが光だす。蛍の数が多ければファインダーに幾つも入ってるのでどれかが光るけど、少ないので撮影は厄介だ、ってヘボ写真を蛍のせいにするボッケニャンドリ。


こんな蛍が居る
2003年6月14日撮影


 上の写真は丁度3年前に撮った写真。なんて種類かよく分らないけどこの辺りにはこんな蛍が住んでいる。その頃の写真を見ていると今年は蛍が現れるのが若干遅れてるように思った。


♪蛍の光、窓の雪って歌詞がある。でも、蛍の光、窓の毛虫、ってのが頭に浮かんだ。



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葬式では、遺族はホストかコンパニオン

2006年06月15日 08時26分43秒 | 思ったこと
 随分前、死んでしまって会えないんだから後でゆっくり線香上げに行っても良いじゃんか、と友達と話した所、死んだ本人ではなく残った家族を慰めに行くんだと聞いて「なるほどそういうこともあるか」と思った。しかし実際はというと、葬式では遺族は泣いてる暇がないくらいてんやわんやに忙しい。宴席ともなればホストかコンパニオンよろしくお酌しないといけない。それが終ればお返しなどの手配に挨拶回り。

 葬祭場によっては故人の経歴を音楽を流したりするらしい。なんだか結婚披露宴みたいだ。やがてこんなに派手にしなくてもいいじゃないのかという人も出てくるんじゃなかろうか。今回の葬式で 「 いつまでもこんな葬式をやってちゃダメだ 」 と言った重鎮が1人居たが、変わり者扱いされていた。(^-^;その人は、昔は自分や親の兄弟は5人くらいは当たり前だけど、今では子供が1人だったり居なかったりするから同じやり方では無理だろう、と。

 葬式ってのは一体何なのか、誰のためなのか分らない。とブツブツ言っていると、ヨメは「お世話になった人に・・・」と言う。う~ん、納得行かないなぁ。もしかするとこの忙しさってのは、日常生活への復帰をし易くするためなのかな。何時までもメソメソしてたんじゃぁ困るもんね。だけど疲れ果てて別途休暇が欲しいって感じもある。何だかんだと遺族が疲れるってのは昔から変らない?
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