森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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5月21日(月)のつぶやき
二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシーへ (光文社新書) | |
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低所得者対策をいうなら消費税増税を見直せ
不退転と気を吐いてはみたものの、首相の思い通りにはいっこうにいかないようにみえてしまいます。消費税法案の成立は常識的に考えると会期内成立はムリなようですし、そこで出てくるのが懐柔策。
消費税の場合、国民の少なくない部分が反対の意思をもつのですから、受け入れられるための条件を政府はつくらざるをえなかった。そこで、名を社会保障と税の一体改革とし、あたかも社会保障の維持のためと印象づけようとして今日まできたものです。
しかし、それでも消費という行為ごとに課税されるという消費税の性格は消すことができません。自給自足がいうまでもなく不可能な今日、消費なしには生きていくことはできません。ということは、衣食住にかかわる一定額以上の消費から万人はのがれることはできないわけですから、貧富にかかわりなく一定額以上の消費税を支払うことを免れえないと、誰でも理解することができるでしょう。
この点こそ、消費税の宿命だといえます。社会保障のためが増税の目的だとすると、社会保障により本来、守られないといけないはずの人びとにとっては、その一定額の消費税のウエイトは相対的に高くなるのは決まり決まったことです。
この決定的な欠点(逆進性)を隠すことはできません。ですから、政府・民主党も低所得者対策(簡易な給付措置;現金支給)を形の上で提示しましたし、消費税増税に賛成する自民党もやはり低所得者対策(軽減税率)を主張しはじめました。
この両者の主張は、しかし、内容が異なる。縮図があるといったのは、この内容をめぐって両者が不毛の議論をつづけているからにほかなりません。
こんな状況ですから、さすがに朝日社説がとりあげました。
先にのべておくと、今や大手新聞各社は消費税増税に反対するどころか、増税は不可避とする立場で共通しているのが、まったく情けないところです。百歩譲って税源を確保しないといけないにしても、消費税増税だけが選択肢ではないことも今さらふれる必要はないはずです。
朝日の主張は、結局、政権党と自民党との軋轢を前に、困惑気味に折衷案を示したとでもたとえられるような程度もののようにさえ思えます。
- (自民党などが唱えはじめた)軽減税率は先送りにせよ
- 税率10%までは低所得者対策は給付金で対処すべき
社会保障と税の一体改革の柱である消費税の増税には、さまざまな課題が残っている。最大の懸案は、所得の少ない人への対策だろう。
消費税は、家賃や医療費、学校の授業料など一部の例外を除き、モノやサービスへの支出に幅広くかかる。
所得の少ない世帯は食料品など生活必需品を中心に消費の割合が高く、家計に占める消費税の負担率は高所得の人より高い。いわゆる「逆進性」だ。
政府案の通り消費税率が14年4月に8%、15年10月には10%へと上がれば、問題は深刻になっていく。
与野党を問わず声が上がり始めたのが、軽減税率の導入だ。食料品などは増税の対象から除き、税率を5%にすえ置くべきだ、との主張である。
しかし、その長所と短所をあわせて考えると、軽減税率は消費税率を10%超に上げる必要が生じた時の課題とし、今回は別の対策をとるべきではないか。
消費増税と低所得層―軽減税率は将来の課題に
しかし、朝日にしても消費税増税派ですから、本来のいわば致命的な欠点を避けることはできないわけで、その論脈で考えたとしても民主、自民案の域を出でおらず、主張もどことなく腰が引けているように思えます。
ようするに逆進性という欠点は消費税である以上、避けられないのですから、いかなる低所得者対策であっても、それはいくらか緩和するだけのことであって、それを排除するための決定打があるはずがありません。
仮に政府・民主、自民両者の主張にそって考えた場合、現金給付はその財源を何処で捻出するのか明らかにされなければ絵に描いた餅で食べることはできません。また、軽減税率は、朝日主張がのべるとおり、条件整備が容易ではなく、実現にむけては少なくない歳月を要すると考えたほうがいい。何よりこの案でいえば、軽減した税収をどのような形で補うのか、これまた明らかにしないでは提案の意味をなさないといえるでしょう。
両者の主張は、このように低所得者対策という形を意識したものの、中身を伴っていないといわざるをえません。
ほんとうに低所得者対策というのなら、消費税の増税はやめるのがもっとも理屈にあう選択肢ではないか。消費税増税を選ぶ以上、逆進性は不可避で、低所得者の高い負担割合を前提にしたものにほかならないわけですから。
低職者対策をいい出すくらいなら、不毛な議論ではなく、本気で聖域なく税の取り方を検討してほしいものです。
【関連エントリ】
消費税/税の使い途カテゴリ
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5月20日(日)のつぶやき
ヒトの進化 七00万年史 (ちくま新書) | |
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歴史を逆戻りさせる「日本維新」構想
この2人にたいして「歌手や俳優だから支持される」とはあまりにも見下した物言いですが、この橋下という人物は、言行不一致の最たる者かもしれません。なぜなら、自分にたいしては呼び捨てにするな、などと誰彼かまわず逆に罵倒し返すのに、この上から目線。橋下を日本では知る人はいるのでしょうが、日本からいったん出てしまえばどれほどの人が知るのでしょうか。かたやガガもデップも知らない人のほうが少ないと考えるのが順当です。しかも、「歌手や俳優だから支持される」というのも橋下市長の見識の無さを端的に示しており的外れだといわなければならないでしょう。
不特定多数に接し市民全体の「奉仕」者という立場だから入れ墨はいかがかという意見もありえましょうが、しかし、入れ墨という今の時代、嗜好にかかわる事項で全職員を対象に調査をするという、たとえばその費用は物的・人的経費のまったくの浪費としか私には見えないくらい、あえていえば馬鹿馬鹿しく大げさな事態に発展させてしまったといえなくもありません。日頃、さまざまな補助金削減を市民に迫っている市長ですからなおさら釈然としないものが残ります。
この入れ墨問題で、石原都知事が応じています。橋下弁護です。
曰く
入れ墨をしている職員が非常に多いということが表象するように、市の職員組合は年間10人を超す刑事犯が出る、それも傷害、詐欺、麻薬、そういう人間が数多くいる組合の中に、入れ墨している人が多いというのは、ある意味象徴的な現象だと思う。その人間の人格をはかる、能力をはかるのに、入れ墨を有無をメジャースティックにするというのは、人によっていろいろ意見は違うだろうが。
「日本維新の会つくりたい」 第三極は「小沢一郎と手を組むことはまったくない」
一部の不祥事をとりあげ、それが全体であるかのように映し出すのは、ためにする組織攻撃の常套手段でもあるのでしょうが、ちゃんと組合攻撃に話を落とすのが石原都知事らしいとも思えます。
前置きはこれくらいにして、この石原都知事が大阪「維新」との連携の意向を明らかにしました。
東京都の石原慎太郎知事は18日の記者会見で、新党構想に関連し、橋下徹大阪市長が率いる地域政党・大阪維新の会との連携を念頭に、6月にも政治塾「日本維新の会」(仮称)を設立したいとの意向を表明した。
政治塾はたちあがれ日本の人材育成塾を母体とする予定で、次期衆院選をにらみ、第3極の結集を目指す。
石原氏は先月、新党構想の「白紙」を宣言していたが、構想の具体化に向けて再始動した形だ。
石原氏は、昨年1月に開講したたちあがれ日本の人材育成塾について、「すでに優秀な人材を修練している。さらに拡大した形で、積極的に手伝って人材を育てたい」と述べた。
大阪維新の会については、「東京と大阪が連携して新しい人材を政界に送り込む。全体で『日本維新の会』のようなものを作っていきたい。6月に大阪とも話して具体的なメッセージを発したい」と語った。民主党の小沢一郎元代表との連携に関しては、「手を組むことは全くない」と強調した。
(2012年5月18日23時34分 読売新聞)
石原知事「日本維新の会」設立へ、橋下氏と連携
「たちあがれ」がすでに政治塾を開講していて、それを実体にしたものを構想しているそうです。大阪「維新」と手をつなぎ、日本維新にするとか。
ひと月くらい前に都知事と大阪市長との会談が報じられた際、エントリで2人が手を握ったらどうなるのか、想定しました(参照)。今回の石原発言はこれを少し前にすすめたものといえるでしょう。
以前のエントリでふれたことの一つは、石原・橋下両氏ともに改憲の意思を明確にしており、改憲の環境づくりに走るだろうということでした。2人が手をつなげば、その条件が形として出来上がるということです。その懸念をエントリではこうのべました。
==========
戦争することに加担したいとはまったく思いません。9条の改定に賛成するのは、明確に戦争に加担することに道を開いたにほかならないようにみえます。
私たちはリスク社会のなかに生きているともいわれています。だから、少なからず予期せぬ死への可能性のなかで生きているといいかえることもできるでしょう。しかし、戦争は、われわれが絶対にしないという意思を固めれば、安易に戦争の道にすすむことを阻止する手立てがまったくないわけではありません。戦争する国にかえようとする動きは、記憶に新しいところでは安倍首相の時代にもありましたが、結局、彼の新しい国づくりは潰え去りました、
夫や子、恋人、あるいは自分ではない他者を戦場に送れるでしょうか。送るということは死の可能性を容認することです。ただ、それでも生きて帰る可能性がないとはいえませんが、しかし一方では、それでもその彼らが戦場で他者を殺す可能性もむろん存在します。
9条の改廃に賛成するということは、つまるところこの問いの含意する(死の)可能性を現実のものにしてしまうということでもあるのではないか。この2人が手をにぎることはその可能性を増幅させることにつながるのではないか。
ですから、憲法改定を主張する動きには反対の意思表示を明確にしておくことが大事だと思うのです。
(前掲エントリ)
==========
憲法改定を口にしてはばからない2人。それを報じはしても厳しく批判するメディアの姿勢がそれほど感じられないだけでなく、見当たらないというのが率直なところです。それは、たとえば消費税増税問題でも強く感じるところです。
権力の監視が一つの存在意義であるはずのジャーナリズムが、表現やウエイトの置き方が多少ちがってはいても、権力に迎合しているかのような論調で通底する昨今です。ですから、ある意味でメディアの体制翼賛状況といっても少しもおかしくはないような現象に今あるのではないかと恐れてしまうのです。
石原都知事によれば、「6月に、大阪とも話して、具体的なメッセージを発したいと思っている」ということですし、片方で橋氏市長がこの都知事の発言にエールを送っています(参照)。
以上のメディアの状況は、たとえばネット上での言説にも影響を与えているのではないか。改憲を主張する、あるいは擁護する発言が少なからず散見され、これが日本の現実の一面であることもたしかです。
2人の合流は、この風潮をより加速するだろうと思えます。
だからこそ、戦争をする国にすることも、加担する国にする選択肢もとってはならないと今、あらためて主張する意味は大きいのではないでしょうか。
「維新」とは、今までにない国民のための何かしら新しい政治を志向するものではなく、むしろ歴史を逆もどりさせようとするところに維新の意味を見出そうとする動きなのですから。
【関連エントリ】
石原と橋下が手を組めばどうなるか
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5月19日(土)のつぶやき
ポピュリズムを考える―民主主義への再入門 (NHKブックス No.1176) | |
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5月18日(金)のつぶやき
労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書) | |
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撤回ではすまない。橋下「維新」は無責任集団か。
日本児童青年精神医学会という学術団体が同条例案について声明を出しました。
「家庭教育支援条例(案)」には,全文にわたって発達障害をめぐる重大な誤解があります。特に,第15条の「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因である」という記述、および第18条の「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり」という記述に問題があります。それらは発達障害を持つ当事者および家族に重大な不利益をもたらすのみならず、いわれなき社会的非難を浴びせる結果になることが強く懸念されるものです。この条例案は、発達障害に対する地道な臨床研究と脳科学的な病態解明により到達した『発達障害は生来的な脳機能発達の障害を病因とする』という世界的なコンセンサスを否定し、世界標準では完全に否定された発達障害心因論へと数十年時計を逆戻りさせるものであると言わざるをえません。かつては、発達障害の当事者とその両親は世間から「親の育て方が悪いから発達障害になる」、「子どもが甘やかされた結果だ」などと責められ続け、誤った責任を押し付けられたために多くの悲劇が引き起こされました。2005年に施行された「発達障害者支援法」は、発達障害に関する医学的研究の到達点である世界基準の定義に基づき、発達障害を生来の脳の機能的な問題が基盤にあると規定しています。この法律がこのような基盤に立って成立したことから、発達障害の当事者および家族は初めて希望を持って障害と取り組むことができるようになりました。大阪維新の会大阪市議会議員団が成立を目指した条例案は、このような発達障害研究と支援の取り組みがようやく到達することのできた水準を無視し、発達障害があたかも親の育て方によって生じるかのような大きな誤解へと逆戻りさせるものとなっています。このままでは、多くの発達障害児とその家族、関係者を困惑させる内容であると判断せざるをえません。
大阪維新の会大阪市会議員団が提出を予定した条例案に関する声明
発達障害にたいする偏見を助長し、歴史を過去に引き戻したのが条例案。核心を声明は的確に指摘しています。これまで集中した批判も多くは、同条例第15条の「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因である」という部分に関してでした。結果、「維新」は条例案を撤回しました。が、これでよいのか。撤回前後の「維新」の対応に関して日経新聞が報じています。
維新は火消しに躍起だが、その説明のずさんさが目に付く。HPの釈明は「巷(ちまた)に出回っている家庭教育支援条例案について」と題しているが、自ら報道陣に配布したものを「巷に出回っている」と責任を曖昧にした形だ。「5月議会には提出せず、さらに議論を尽くす」との説明にも早く幕を引きたいとの思いがにじむ。
維新が言うところの「既に条例案が提出された県議会」というのも実は判然としない。維新内部で名前が挙がった関東地方の地方議会事務局は取材に対し、「色々な報道機関から問い合わせがあるが、承知していない」と回答。再び美延幹事長に聞くと、「『ある県』がどの県なのか、実は私も正確には知らない」との答えが返ってきた。
辻市議にも真相をただしたが、「もう終わった話だからいいじゃん。話すことなんてありません」と真摯な説明はないまま。取材の中で、高橋教授との勉強会の中で出てきた資料が大元になったことは認めたが、「高橋先生から直接渡されたわけではない。(受け取ったのは)そのラインというか……」と不可解な説明に終始した。
「謎の条例案」撤回騒ぎ ガバナンスの低さに支援者離れも
無責任以外の言葉がみつかりません。
この地方政党は吟味もせずに議員提案ができるようになっているのですね。その点を日経は指摘し、ガバナンスがないと断じています。たしかに、件の思想調査でも、捏造されたデータをそのまま質問でもちいて、労働組合を攻撃したのはついこの間のことでした。
ですから、この「維新」にはそもそも公党として市民にも、また議会においても責任を果たせるような政党とはとてもいえないように思えてなりません。
当該議員の「もう終わった話だからいいじゃん。話すことなんてありません」との発言は鮮やかにそれを示しているのではないでしょうか。言語道断の発言で、厳しく(議員としての)姿勢が問われるでしょう。
一方で、この「維新」の代表を務める橋下市長。
市長もまた、先の思想調査問題同様、自分には関係ないとばかりに傍観者的な態度に終始しています。調査問題のときには、怪しいと思っていた旨の発言をし、今度は、「僕が市民の側に立った場合には『うるさい。大きなお世話だ』と多分言う」と語ったとか。
しかし、彼は仮にも公党の代表であるはず。自分は知らないですむのか。
おそらく「維新」は大阪府・市、そして堺市の議会がほとんどを占めるのでしょうし、それを考えると、大阪市の同党議員団の政策が代表の知らないまま決定されていくという過程が通常であれば理解しがたいものです。ここにも、これまで市長自身が関わった問題はもとより、調査問題においても共通する橋下氏の卑屈な態度というものを感じてしまいます。
ならば国会の多数派である民主党やこれまで長く政権についていた自民党はどうかと問われかねませんが、しかし、こうしたいくつかの議会活動から垣間見えるこの政党の動向は、公党としての体をなしていないのではないかという疑問がわいてむしろ当然と思わせるに十分なようです。日頃、他には徹底した非寛容の態度をとりつづける橋下市長ですが、同党という身内への寛容とそれは一体のもののようにみえます。どこまでも内に甘いといわないければならないようです。
この件でもやはり問われているのは「維新」と代表・橋下市長の文字どおり政治家としての見識です。代表としての橋下氏と「維新」は、そもそも議案提出手続きのイロハさえ理解していないような対応だけでなく、条例案そのものの根本にふれて厳しい批判がむけられているのですから、ただ撤回すればよいというのではない。条例案提出に至るまでの経過と対応について見解をまとめ、釈明してはじめて公党にふさわしい態度だといえるだろうと思えます。
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基地の島・沖縄は依然かわらない
沖縄の人びとが眼の前の現実をどのように考えているのか。
それを、以下の調査は端的に示しているように思えます。実に7割を超える回答者が、「本土の人は沖縄の人の気持ちを理解していると思うか」という質問に「理解していない」と答えたそうです。10年前の世論調査での同様の質問では、「理解していない」と答えた人が57%だったというのですから、「理解していない」と答えた人の割合が14ポイント増えたということになります。このポイント増の背景に、基地移転先問題があり、しかもその解決が方向すら沖縄の人びとに届いていないことがあるのは容易に推測できることです。
沖縄のアメリカ軍基地が依然として減らない中、沖縄の人たちが、「本土の人は自分たちの気持ちを理解していない」と考える傾向を強めていることが、NHKの世論調査で判りました。
NHKは、ことし2月から3月にかけて、沖縄県に住む20歳以上の男女1800人を対象に調査員が面接する方法で世論調査を行い、62.4%に当たる1123人から回答を得ました。
その結果、「本土の人は沖縄の人の気持ちを理解していると思うか」という質問に、「理解している」と答えた人が26%だったのに対し、「理解していない」と答えた人は71%に上りました。
10年前の世論調査で同じ質問をした際に、「理解している」と答えた人が35%、「理解していない」と答えた人が57%だったのに比べると、「理解していない」と答えた人の割合が14ポイント増えています。
この間、特に基地問題に関して沖縄の人たちを失望させるような出来事が相次いでいます。
アメリカ軍普天間基地の移設先を巡って、「最低でも県外」を掲げた鳩山政権に沖縄県民の期待は膨らみましたが、最終的に政府が出した結論は「県内移設」でした。また、おととし、沖縄の基地問題を巡って臨時に開かれた全国知事会で、沖縄県の仲井真知事は「いくらなんでも負担が多すぎる。応分の負担をはるかに超えている」と訴えました。
そうしたなか当時の鳩山総理大臣が、出席した各知事に対し、アメリカ軍の訓練の受け入れに協力を求めましたが、受け入れを明確に表明した知事はおらず、全国知事会として基地問題に「真摯(しんし)に対応していく」と表明するにとどまりました。
沖縄の基地負担を減らすことには総論として賛成するものの、みずから負担を受け入れることには消極的とも言える姿勢が明らかになったのです。
沖縄の人たちが、「本土の人は自分たちの気持ちを理解していない」と考える傾向を強めている現実を、本土の人たちがどう受け止めて行動していくのかが、復帰から40年を迎えた今、改めて問われています。
沖縄“本土は理解不足”と考える傾向
何よりもそれまでの冷戦構造といわれてきたものが崩壊し、先にふれたように世界は大きくかわりました。ですから、米国の世界戦略も当然かわったわけですし、したがって、東アジアにおける米軍基地の位置づけもいうまでもなくそれまでとは違っています。それでも沖縄の米軍は依然、かわることなく沖縄にいつづけてきました。ベトナム戦争の最前線基地として沖縄の米軍基地はその役割を果たしてきました。それだけでなく、アフガニスタンやイラク戦争でも出撃・兵たん拠点としてアメリカの世界戦略のかなめ石の名のもとでむしろ強化されてきたのではないでしょうか。そして日本の米軍基地の7割以上を沖縄が占めている。わずかに面積比1%にも満たない沖縄にこれだけ集中するのですから、県知事の「いくらなんでも負担が多すぎる。応分の負担をはるかに超えている」との言葉は現地の声を代表するものとして当然なのかもしれません。
政府はいまだに普天間基地の辺野古「移設」に固執しています。一方で、普天間基地の補修費用一部について日本側負担を認めてきました。これは、見方によっては、記事にもあるとおり普天間基地の固定化に道を開く布石だとも考えられます。
日米両政府は19日、在日米軍再編計画の見直しに関し、在沖縄海兵隊のグアム移転費における日本側の財政支援の上限額について、海兵隊グアム移転協定(2009年締結)に盛り込まれた約28億ドル(約2280億円)に米国の物価上昇分を積み増し、約31億ドル(約2530億円)とすることで合意した。19日に外務省で開いた両政府の外務・防衛当局の審議官級協議で一致した。
協議ではまた、25日にも発表する中間報告に、沖縄の米軍普天間飛行場の補修実施とその費用の一部を日本側が負担することを明記することも確認した。
普天間飛行場は、滑走路への誘導路や格納庫、管制塔などの老朽化が進んでいるが、1996年の日米返還合意後、代替施設が新たに建設されることを見越して、大規模な補修を控えてきた。このため、今回の補修実施は、普天間の固定化につながるとの懸念が地元で出ている。米側は補修費用として、今後8年間で総額約200億円を見込む。(2012年4月20日 読売新聞)
普天間補修実施明記へ、グアム移転費日本負担31億ドル
沖縄から基地をなくし、基地の島から基地のない島にするためには、日米安保条約のもとでは不可能だと思えます。米国の世界戦略は冷戦後、その侵略的な性格がいっそう深まったともいえそうです。
日本の安全保障を理由にして犠牲にされてきた沖縄。1995年の少女暴行事件のみならず、米軍人が頻繁に起す事件・事故や爆音被害に県民が苦しめられ続けているのは周知の事実です。県民のこうした安全と暮らしを脅かす現実をみつめ直し、米軍基地の存在を根本から問うことこそが、沖縄の人の気持ちを理解する第一歩ではないでしょうか。
その意味で日米安保条約の廃棄、普天間基地返還、辺野古移転中止を避けて通れない課題だとあらためて考えたいものです。
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5月13日(日)のつぶやき
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書) | |
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[橋下維新]政治塾ではまにあわぬ。即戦力がほしい
「維新塾」の受講生の感想だそうです。
「改革への熱い思いが湧いてきた」「人数が多すぎて議論ができない」??。大阪維新の会(代表=橋下徹・大阪市長)が次期衆院選に向けた候補者養成の場と位置付け、3月下旬に開講した「維新政治塾」には今、受講生の高揚と落胆が入り交じる。社会保障や外交・安全保障など、国政課題を学んでいる約2000人を半数程度に絞り込むまで、予定されている講義は5回。12日には第4回が開かれた。
「橋下改革の神髄に触れることができた」と話すのは大阪府内で介護の仕事に携わる40代男性だ。公務員制度改革などに共鳴し、「自らも大阪を変えたい」と参加した。1時間程度の講義をただ受けるだけでは物足りないと、受講する講師の著書を5、6冊買って予習して臨む。受講生の有志約10人で自主的な勉強会も計画している。「参加者全員が改革に熱い思いを持っている。明るい話題が少ない日本で元気になれる」と意欲を見せる。
維新政治塾:参加者に評価と落胆 神髄に触れた/人多過ぎ
これは、自分がカルチャーセンターに学びにいっている者の感覚であれば許されるのでしょうが、必ずしも「維新」側の思惑と整合がとれてはいないでしょう。何よりも「維新」は自らの野望を成し遂げるために、第一関門の候補者要請は火急の課題であるはず。したがって、つぎのような判断にも結び付くのではないかと思えます。
橋下徹・大阪市長が代表を務める大阪維新の会が、次期衆院選に向けた政権公約として6月にもまとめる「維新八策」への賛同や理解を基準に、他党の現職国会議員の擁立を検討していることが分かった。「維新政治塾」による候補者発掘に加えて現職議員の擁立を図り、目標とする「過半数の議席獲得」を実現する狙いだ。国政経験がない維新に、国会議員が加わるメリットもある。
維新幹部は毎日新聞の取材に「候補者を全員、維新塾から選ぶのは現実には厳しい。他に考え得るのは国会議員、官僚、地方議員らだ」と説明。その上で「維新八策に共鳴し、実行することを確約するのが条件となる」と述べた。維新八策は今年2月に「骨格」として提示されており、橋下氏はその後、「6月上旬までにまとめる」としている。
次期衆院選に向けて維新は、3月に開講した「維新政治塾」の受講生約2000人を、6月をめどに約800?1000人の「塾生」に絞り込む。現職国会議員については、公募や個別交渉などを検討している。
……
大阪維新の会:他党議員の擁立を検討…次期衆院選
次期選挙は流動的ながら、間近に行われる可能性もまったくないわけではないし、候補者擁立の作業は必ずしも容易ではないとみているということでしょうか。記事中のコメントが率直にのべています。
候補者を全員、維新塾から選ぶのは現実には厳しい。他に考え得るのは国会議員、官僚、地方議員らだ
政治塾から候補者を探すのは至難の業というわけですね。これはしかし、最初から分かり切ったことではなかったか。そもそも政治塾の開講自体が話題をさらおうとするものであったし、カネを集めの機会でもあった。受講者の中から候補者などと考えるのは少なくとも一義的なことではなくて、二の次、三の次であったとも思えます。何よりも「維新」自身の知名度を高めるための節に政治塾開講が位置づけられてきたのではないかと推測してしまうのです。
受講者側の候補者になるための第一段階の「必要条件」を
- 本人の出馬意思が「強くある」または「ある程度ある」者
- 選挙資金が「ある」または「ある程度ある」者
として考えると、記事によれば、それをクリアしていると思われる人は14%にすぎません。
他方で、議員としての資質がいうまでもなく問われるわけですから、この最初の必要条件を満たしたからといって、もちろん候補者になれるわけではありません。
資質の点でいえば、「維新」議員の行状の悪さについて大阪市職員から強い批判があがっていたのは記憶に新しいところです(参照)。現状でも疑問符がつく「維新」の地方議員。その上に、こうした平たくいえば粗製乱造で候補者をつくり、仮に議員になったとしても、前途多難だといえいるでしょう。かつ、こうした国会議員がふえることは日本の政治の質を低下させることはあっても上げることはまずないといえそうです。
とくに社会運動にかかわるのでもなく、有権者との接点のないまま議員になっても議員としての活動に制約があるのは当然でしょう。自民党や民主党にはタレントやすぽーつ選手あがりの議員も少なくありませんが、彼らが一目おかれるような議員活動をしているようには少なくとも私にはまったくみえてこない。
この日本の政治状況は、外国人には以下のようにみえているようです。
日本では哲学や理念が感じられない「偽りのポピュリズム(False Populism)」が広がりやすい。
外国人の目に映る日本政治は、実に奇妙なものだ。テレビを通じて有名になった“タレント”たちが、いとも簡単に政治家へと転身していく。こんなことは欧米ではまずない。一方で、政治家自身もテレビを利用し、自らの知名度を高めようとする。テレビは「偽りのポピュリズム」を増幅し、人々を間違った方向へと導く元凶である。
TVタレントから政治家への転身 外国人には実に奇妙との声
この記事にしたがえば、西欧と日本の決定的なちがいは有権者の政治へのスタンスのちがいに関連づけられているようにみえます。ようするに日本の有権者の候補者選択の幅により、つまり情報のよりどころがほとんどテレビに限られる結果、タレントが当選する可能性を広げているということになる。つけくわえれば、タレントの彼/彼女が何を思い、何を語り、何をしたのかは選択の外に置かれるわけです。当選のための戦力になる、いいかえると「知名度」のある人物が候補者に選ばれるのが日本と結論づけられるのではないでしょうか。
こうした文脈で考えると、「維新」の考える即戦力づくりも従来の域を一歩も出ていません。
この延長で議員が選ばれた結果、政治に何がもたらされるのか、それは今の国会の状況をみれば察して余りあるというものではないか。「維新」の現にすすめる政治塾も、候補者えらびも実は自民党、民主党がこれまでにやってきたことを繰り返しているにすぎないと考えるのです。
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5月12日(土)のつぶやき
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