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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その432
玉欄は、公家の冷泉家に和歌を習うことになったのですが、
最初に挨拶に出たとき、
家の女たちが「 玉欄 」という名前から推して、
どんなに艶やか女性が来るのだろう、と待っていた。
ところがやって来た「 玉欄 」は、
糊がごわごわの綿衣を着て、
魚籠を引っさげて、
まるで草履を履いていない大原女のような格好だったので、
一同は驚いたという。
しかし、けっして裕福ではなかったが、
季節季節の礼の物は人並み以上に丁寧だったという。
これに対して、冷泉の殿様も、
彼女の生来の純粋な気質に沿うよう和歌の指導をした。
また、殿様が面白がって、赤い前垂れを玉欄に賜ったところ、
彼女はそれを着て母の茶屋に出たこともあったという。
興に乗れば、大雅が三弦を弾き組歌をさびた声で歌い、
妻の玉欄もまた筑紫琴を持ち出して合奏した。
大雅が亡くなって数年後に彼女も亡くなる、
というような仲の良い夫婦だったそうです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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