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オヤジのひとり言

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鳥羽離宮・・

2011年09月06日 | オヤジのひとり言
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千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その壱百五拾弐


鳥羽離宮には寝殿 と 仏教施設が混在していた。

こうした 御所には、

それぞれ上皇たちの御願による 寺院が付属していた。

養和三年 ( 1101 ) に、

白河上皇によって南殿に 証金剛院がまず建立され

その後 鳥羽上皇によって 泉殿に 成菩提院、

北殿に 勝光明院、

東殿に 安楽寿院、

田中殿には 金剛心院 がそれぞれ建てられています。

こうして鳥羽は、

住宅である 寝殿と

仏教施設の堂舎 が混じる独特の景観を持つようになった。

離宮内の 殿舎 や 堂舎の前には広大な池が広がり、

それらは水路でつながっていたので、

舟で殿舎間を行き来が出来たようです。

そして鳥羽院全体としては、

北と南にそれぞれ出入りの門があったという。

鳥羽殿の建物や寺院は、

そののち 後白河上皇、

さらには院政を引き継いだ 後鳥羽上皇 によっても、

修造が加えられたり、

新御所が建築されたりする。

こうして 鳥羽殿 は鎌倉時代の末までは 離宮として機能していたらしい。

しかし、

南北朝の内乱以降、

次第に 殿舎と 堂舎は見捨てられるようになり、

現在、

その跡を留めるものは、

幾つかの 天皇陵と

城南宮 ( 歴史上は 城南寺としてその名が見える )、

安楽寿院 などしかない。


現在の 安楽寿院は、

江戸時代のはじめに再興されたものですが、

もとは保延三年 ( 1137 )、

鳥羽天皇 の立願によって 東殿の中に建てられたもので、

それはこの場所に天皇の墓所を作るのが目的てあったらしい。

すなわち、

それ以前の

白河上皇の墓所として 証金剛院に三重の塔が建立されたのに倣って、

寺院内に 鳥羽天皇の墓として三重の塔 が立てられた。

これが「 本御塔 」です。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

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