大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その20)

2016年04月14日 | 労働者福祉
県内勤労者160万人をターゲットとする運動を、私たちは「静岡県の勤労者福祉システム」と名付け、次のようなイメージを事務局内でまとめあげ、関連団体と協議を始めます。

これを基につくられた「ろうきんバージョン」です。

次は「労済バージョン」です。

今様に言えば「連帯と共同」に向かって各団体と競い合って走り出しました。

この運動を当時は「PT160」と呼び、連合静岡ではふたつのPJを展開します。

(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その19)

2016年04月13日 | 労働者福祉
モデル地協からブロック制に至るまで約1年間の徹底的な議論を行いました。
議論することの大切さをあらためて感じた1年でした。
07年8月2日ブログ8月20日ブログ8月22日ブログ8月25日ブログ9月19日ブログ
この時の経験がのちの「対話集会」の原点になります。

スタッフ間で連合静岡の認知度を高めるために「認知度向上PT」が結成されたり、「女性による女性のための労働相談」など新しい取り組みもどんどんと生まれてきました。
成果はまたたくまに現れました。
組織拡大に向けて「関連企業組織化セミナー」などが持たれ、産別ごとの組織拡大状況も見える化されていきます。
労働相談も05年度350件→06年度489件→07年度766件→08年度1085件と増加の一途をたどり、しっかりと地域社会に定着し始めました。
連合静岡ユニオンを通して労使紛争に対しても主体的に解決する術をもつことができました。
06年8月1日ブログ07年1月15日ブログ1月24日ブログ2月7日ブログ8月28日ブログ12月8日ブログ

2007年10月19日「連合静岡第18回定期大会」で平野会長から会長職をバトンタッチします。
“志”さえ共有できればあとはなんとかなるもんだ…と気楽に考えて会長職を拝命しました。
私の目標は明確でした。
連合静岡20万組合員だけでなく、静岡県の全雇用労働者160万人をターゲットに運動を展開したいというものです。
07年10月19日ブログ

(つづく)


私の運動史(連合静岡時代 その18)

2016年04月12日 | 労働者福祉
「ライフサポートセンターしずおか」も「連合静岡ユニオン」もその根本は“未組織の組織化”です。
連合静岡ユニオンとは、一人でも入れる労働組合です。
労働相談を受けてもただ電話で応対するだけでは責任ある運動にはなりません。
労働組合に守られている労働者と未組織労働者の格差はどんどん広がっていましたから、懐に入り込んでくる労働者の味方になることくらいは当然の役割です。
自分さえよければそれでいいとして、それらを放置すればどうなるか、いつしか自らの足元から崩れていきます。
だからこのままではいけないと警鐘を鳴らしたのが「連合評価委員会 最終報告書」でした。

究極的には組織化100%が目標ですが、現実はその逆で、そのまま放置しておけば労働組合そのものも消滅しかねません。
中小零細企業の組織化はもちろんですが、非正規労働者の組織化も大きな課題です。
連合静岡ユニオンの設立も、のちに設立する「連合静岡メイト」もそのためでした。
しかし、言うは易し行うは難しです。

まずはその志を共有したスタッフに強い動機づけが必要です。
総務会議(会長・事務局長・副事務局長・総務)と事務局会議(月2回)を定例化し、徹底的に議論できるような体制を整えていきました。
今でも確信していますが、すべての会議体はOJTの大切な場になります。
「連合評価委員会 最終報告書」の読み解きを、事務局会議・3役会議・執行委員会・地協へと拡大していきました。
06年7月10日ブログ8月27日ブログ10月27日ブログ
10月に立ち上がったモデル地協ですが、課題はいくつも残されていました。
連合本部からヒヤリングに来た時にかねてから考えていた「地協ブロック化」構想について話をし、静岡特区として認めてくれるよう打診しましたが残念ながら認められませんでした。
やるならば自力でやるしかありません。
07年1月30日ブログ5月9日ブログ7月23日ブログ
そして事務局会議でブロック制の議論を始めますが、大変な激論となりました。
まさに組織問題の本質にまで議論は及びました。

(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その17)

2016年04月11日 | 労働者福祉
連合静岡のふたつめの機能「組織対策」について。

05年10月非専従事務局長になる以前から、連合本部の「地方連合会・地域協議会改革の具体的実施計画」が示されていました。
そのスケジュールに基づき県内に3つのモデル地協を選定することも決定されていました。
そのくだりは「その4」でも述べておりますが、苦労したのは地協専従者の配置です。
労働運動の経験者で即戦力にもなりうるという人選には大変苦労いたしました。
この時には現役をリタイアされた方々数名にあたり、なんとか2名の経験者を口説いてお願いいたしました。

またモデル地協と並行して、「生涯サポートセンター」(現在のライフサポートセンター)と「連合静岡地域ユニオン」(現在の「連合静岡ユニオン」)の検討も行われておりました。
生涯サポートセンターは、地域の生活者・勤労者の相談を県労福協が県下に設置したサポートセンターで受けてサポートしていこうというものです。
第1回準備会を05年7月に開き、企画準備段階から連合静岡も深く関わってきました。
そして06年9月25日「ライフサポートセンターしずおか」設立総会が開催されます。
9月26日ブログ

06年6月には正式に「モデル地協」設置の提案を行い、同年10月20日をもって3つのモデル地協を立ち上げました。
東部は「沼津・北駿地協」として沼津市杉崎町の「ふれあい会館」で、中部は「静岡地協」として静岡市南町労働会館と清水市島崎町の清水テルサ内で、西部は「浜松地協」として浜松市上西町の「友愛会館」でそれぞれスタートします。
またモデル地協の新たな機能として「連合静岡ユニオン」も同日立ち上げます。
6月16日ブログ10月13日ブログ

(つづく)


馬鹿ほど偉い

2016年04月08日 | 労働者福祉
昨日「Workers Library」の資料作成や活動への助言をいただいている「(公)富士社会教育センター」「(株)日本労働科学研究所」と「県労福協」の間で新たに業務委託契約書を交わしました。
この「Workers Library」は2010年3月に、労働界における人材育成を目的として設置された「人材育成システム検討委員会」が始まりです。
そして資料作成に対しては、連合静岡3役組織の教育担当・労働金庫・全労済・県労福協・福祉基金などから委員を派遣していただき、汗をかいていただきました。
大苦労の末に2年後の12年3月、運用を開始します。
しかし当時を知る現役役員は今はわずか3人になってしまいましたので、原点を将来に伝えていくためにも活動を継続させていくためにもこうした外部教育機関との連携が欠かせません。
私自身もこの6月で現役を去りますから、こうして新たに契約を交わせたことにホッとしています。

雑談の中で私自身の気持ちをこんな言葉で話しました。
言葉遣いが悪いので誤解される方もいたかもしれませんので、少し補足説明を加えて私の真意を書いておきます。

「労働組合の役員は馬鹿が多い。頭のいい奴はあまり労組役員にならない。だから教育が必要だ」

馬鹿という意味は、自分の「無知」を知っているという意味です。
私も馬鹿ですから、労働組合のことなどよく分からないままに、この道に入りました。
知らないことばかりですから、必死に勉強しました。
どこまでいっても「無知」の領域はますます増えていきました。
ひょっとしたら今日がこれまでのなかで最も自分の「無知」の領域が広がっているのかもしれません。

逆に頭のいい人はすべて知っているようにふるまいます。
だから自分の知らないことを質問されると気分を悪くします。
彼のソクラテスは「対話」を重視し、質問することで弟子を育てていきました。
しかし偉い人にも遠慮なく厳しい質問を浴びせ回ったので、とうとう冤罪をかけられ死刑にされてしまいます。
こういう社会は当然ながら滅びの道をたどります。

これからもみんなの知恵と汗で「Workers Library」を育ててください。