大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その19)

2016年04月13日 | 労働者福祉
モデル地協からブロック制に至るまで約1年間の徹底的な議論を行いました。
議論することの大切さをあらためて感じた1年でした。
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この時の経験がのちの「対話集会」の原点になります。

スタッフ間で連合静岡の認知度を高めるために「認知度向上PT」が結成されたり、「女性による女性のための労働相談」など新しい取り組みもどんどんと生まれてきました。
成果はまたたくまに現れました。
組織拡大に向けて「関連企業組織化セミナー」などが持たれ、産別ごとの組織拡大状況も見える化されていきます。
労働相談も05年度350件→06年度489件→07年度766件→08年度1085件と増加の一途をたどり、しっかりと地域社会に定着し始めました。
連合静岡ユニオンを通して労使紛争に対しても主体的に解決する術をもつことができました。
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2007年10月19日「連合静岡第18回定期大会」で平野会長から会長職をバトンタッチします。
“志”さえ共有できればあとはなんとかなるもんだ…と気楽に考えて会長職を拝命しました。
私の目標は明確でした。
連合静岡20万組合員だけでなく、静岡県の全雇用労働者160万人をターゲットに運動を展開したいというものです。
07年10月19日ブログ

(つづく)